第6話「出会いはいつも突然だろう」

 自宅から電車に揺られて一時間と少し。俺は改札を通り駅のロータリーにいた。

 この街に最後に来たのは二年前の正月。あの時は母が運転する車だったので祖父の家には直で行った。だから駅に来たのは初めてだ。


 さて、ここから歩いて祖父の家にいくんだけどちゃんとたどり着けるだろうか。車の助手席から眺めていた街並みはなんとなくだが記憶にあるけど、歩くとなったら少し雰囲気が違って見える。スマホで地図アプリを開けばすぐわかるんだろうけど、スマホはあれから一度も起動していない。散策ついでに適当に歩いてみるのも悪くないか。


 夏が終わる気配はまだなく空には入道雲。太陽は天高く昇って元気いっぱいに存在感を示している。今まで住んでいたところと比べて落ち着いた街の雰囲気が、少しだが暑さを和らげてくれる。

 正確な道はわからないので方角だけを頼りに歩いてはいるが、それさえ合っているのかもわからない。コンビニかスーパーで祖父の家の場所を確認すればいいのだろうけど、それもなんとなく嫌だった。


 しかし、かれこれ三十分以上は歩いているけど着かない。この道もさっき通ったような気もするしちょっと疲れたな。そこの自販機で水でも買って休もう。

 キンキンに冷えたペットボトルの水を半分ほど一気に飲み干して大きく息を吐く。

 自販機横のベンチに座った俺は空を見上げた。相変わらず太陽が眩しい。


「はあ……。本当は爺ちゃんに会いたくないからだろ」


 自分に言い聞かせるように独りごちる俺。

 そうだよ。だからこんなわざと遠回りしてるんだよ。俺は心の中で先程の独り言への返事をした。

 本当はもう祖父の家の場所はわかってた。この道をもう少し行けば着く。会うのが億劫だからわざと間違った道に入って同じ場所をぐるぐる回ってたんだ。


「こんなんじゃダメだな」


 残りの水をグイっと飲み込み俺は立ち上がった。

 とりあえず行こう。行かないとどうしようもないしな。

 それは俺が意を決して祖父の家に向かおうと歩き出した時だった。


「すいませーん。ちょっといいですか?」


 昨日からよく声を掛けられるな。声からして若い女だ、無視しよう。

 あたかも声を掛けられたのが自分ではないふうを装い、俺は歩き続けた。


「ねえ、ちょっと待ってよ」


 女は後ろからグイっと俺の腕を掴み俺を引き止める。マジかよこいつ。初対面の人間の体に触んなよっ。


「道を訊きたいんだけど、教えてくれる?」


 そう言ってきたのは頭に頭巾を巻いた甚平姿の同い年くらいの女だった。何を包んでいるかわからないが大きな風呂敷を手にしている。


「嫌だ」


 俺はそれだけ言い再び歩き出した。が、すぐにまた腕を掴まれる。だから初対面の人間の体に触るなって!


「ちょっとイジワルしないで教えてよっ」


 女に優しくするのが嫌なのもあるが、そもそも俺はこの街の人間じゃない。訊かれたからって答えられる訳がないだろ。それを伝えると女は図々しく、じゃあスマホで検索してとほざく。


「スマホ持ってない」

「嘘でしょ。いいから早くしてよ」


 初対面の人間を嘘つき呼ばわりとは。さてはこいつ人格破綻者だろ。

 まあ、嘘はついてんだけど。


「お寿司痛んだら怒られるの私なんだよ⁉」と女は喚く。


 そりゃそうだろ。なんで俺が当事者になってんだよ。

 なるほど、この女が持ってる風呂敷の中身は寿司だったのか。そういえば寿司なんて久しく食べてないな。寿司どころかまともに飯も食べてないんだけど……。


「……もしかして食べたいの?」


 言われて俺はハッとした。そんなに寿司を見てたのか。いや食べたいは食べたいんだけど。

 女は風呂敷を俺の顔に近づけすぐに遠ざけた。


「ふん。あんたみたいなイジワルな人間じゃ、うちのお寿司なんて食べれないわよ。なんたってうちは高級寿司屋だからねっ」


 ああぁ、うざいな。もう無視だ無視。


「あっ、ちょっとぉ。だから道教えてって。日下部さんっていう家知らない⁉」


 歩き出した足が止まる。今なんと言った? 日下部?


「ここら辺のはずなんだけど。おっきい家だからすぐわかるって言われたんだけど……ほら私って方向音痴だから」


 いや、お前の情報なんて聞いてない。せめて日下部さんの情報を言えよ。本当に女ってのはいちいちどうでもいいこと言いやがるな。


「その日下部さんの住所は?」

「え? あっ、やっと教えてくれるんだ。ありがと。えーっとね住所は……。あれ書いた紙どこだっけ?」


 はああああああっ! もうなんなんだよこいつはっ⁉ それは一番大事なものだろう。方向音痴以前に頭が悪いなっ!


「あ、あったあった。えーっと二丁目の一の一だよ」


 ああ、もうそれ完璧に俺の爺ちゃんの家だよ。俺が来るから寿司を頼んでくれたんだろうな。なのに俺は会うの嫌がってたのか……。

 それならこの女を連れて行くしかないか。

 俺はこっちだと女の手を引こうと思い手を伸ばした。


「いやぁっ! なに触ろうとしてんの⁉ 初対面のひとに触るなんて、あんたもしかして変態⁉」


 おほおおおおおおっ!

 くそがっ、それならお前が俺にやったのは何なんだよっ⁉



 数分後俺と寿司屋の女は爺ちゃんの家の前に居た。

 ピンポーンと外構に備え付けられたインターホンを女は押す。


「桃寿司です。お寿司をお持ちしました」

『はいはい。そこの門から中まで入って来てもらえるかしら』


 久しぶりに聞く婆ちゃんの声。なんだか嬉しそうな感じだな。


「それにしてもおっきな家だね。さすがうちの寿司を頼むだけはあるね」


 女は感慨深そうにしている。いいから早く入れよ。

 確かにでかい家ではある。祖父は母以上の金持ちで、昔はいろいろな場所に土地やビルを持っていたみたいだ。隠居してからはそれらはすべて売り払ったらしいが。


「あ、そうだ。ここまで案内してくれてありがとね。じゃあまたー」


 女は門をくぐり母屋までの石畳を歩き出す。広い庭も手入れが行き届いている。綺麗に剪定された庭木、鯉が泳ぐ池の水は綺麗に透き通っていて、ここだけ街より温度が低く感じられる。


「ちょ、ちょっと。なんであんたついて来てんの⁉ 怖いんだけどっ」


 はあ、面倒くさい。俺は女を無視して母屋を目指す。すると玄関の扉が開き祖母が顔を出した。


「あら、ハルちゃん。もう着いとったん?」

「うん。婆ちゃん久しぶり。元気だった?」


 笑顔で出迎えてくれた祖母は俺の言葉に何度も頷いていた。それを見た俺も自然に笑顔になっていた。ちなみに親戚はだいたい俺のことをハルちゃんと呼ぶ。『もとはる』の下の部分をとってハルちゃん。


「く、日下部さんっ。そいつ不審者ですよおおおっ‼」


 寿司屋の女が離れた場所から叫んでいた。

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