第692話 職業病

道で困っているスーツを着た初老の男性を見かけました


スマホを操作しているようですが、思ったような結果にならないみたいです


辺りには誰も居ないので、私はとりあえず声をかけてみることにしました。これは、サービス業の職業病と言えるのでしょうか? 実は私、あるスマホショップの店員なんです……


「お困りですか?」


声をかけられたことに驚いた男性は、私の方を向いて眉を八の字にする


「ええ。メールを打ちたいのですが、どうも操作が分からなくてね。最近携帯をスマホに変えたばかりなうえ、年のせいか覚えも悪くてねぇ」


そう言って頭をかいてスマホの画面を見せてきました。いろいろと操作したのか、画面にアイコンがばらばらに、大量に散らばっています


それでも、私も慣れたものですぐにアプリを立ち上げて操作説明する


「ほぉ、なるほど。そうだ、時間があればお礼に紅茶でもどうですか? ちょうどもらったケーキもあるんですが、正直、私は甘いものが苦手で」


家はすぐ近くだと言い、遠慮しますと伝えても、ほんのお礼ですからと譲らない


サービス業をしていると、つい相手に対して強く出れない癖みたいなものが身についてしまっています。紅茶だけ飲んで、早めに立ち去ろうと思いました


家は普通の一軒家で、新しくも古くも無く、本当にどこにでもある瓦屋根の家でした


「お邪魔します」


「どうぞどうぞ。こっちのテーブルで待っててください。すぐに紅茶を入れますので」


「分かりました。ありがとうございます」


案内されたのは、リビングのテーブルでした


やる事も無く、スマホで時間をつぶしていると、男性が紅茶とケーキをお盆に乗せて持ってきてくれました


「さあ、どうぞ。砂糖は好きなように」


「ありがとうございます。いただきます」


私は一口紅茶を口に含みました。ほどよい渋みがあっておいしいものでした


「妻が先立ってから、話し相手も居なくてね。こうして人と話すのも久しぶりだよ」


男性も紅茶を一口飲み、ほほえんでいます。少しの雑談をまじえて、そろそろ帰ろうかと思い、テーブルの横を見ると大きな鉢植えが置いてあります。観賞用植物は植えてないようですが、白と黒の細い糸のようなものが沢山生えて……


「え? これは……なんですか?」


「ああ、これはね。妻だよ。妻の頭を植えてあるんだ。早く生えて来ないかな」


私はすぐに椅子から立ち上がり、玄関へと走りました。男性が何か言っていましたが、私は逃げる事しか考えられません


玄関に鍵はかかっておらず、本当に私を害するつもりは無かったのでしょう。けれども私は、警察にこのことを通報しました


警察が駆け付け、すぐに調べられたようですが、鉢に植えてあったのは毛髪だけで、男性が言うような妻の頭は無かったそうです

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