第598話 1善
「くそっ、やっちまった!」
そう言ったのは、30代くらいの男だった。高級そうな車の窓から体を乗り出し、車の後ろの方を見ている
「ついてねーな! よりにもよってこんな日に!」
男は執行猶予中であった。それも、明日になれば猶予期間が終わる。ここで事件が表ざたになれば、即刑務所行きだろう
タイヤ痕がしっかりついたアスファルトには、赤いしみが刻一刻と広がっていっている。その元をたどると、3歳くらいの男の子に行き当たった
男は、改めて辺りを見回す。これだけ幼い子供なら、近くに親がいてもまったくおかしくない。むしろ、親がいるのが当然だろう
だが、今のところそれらしい人影は見当たらないどころか、誰もいない
「……せめて明日までばれないように、隠すか……?」
人影はないとはいえ、いつだれが通りかかるかわかったものではない
車にあった段ボールを後部座席にしき、たまたま積んであった45Lタイプのごみ袋を持ち出す
男は急いで車を離れ、ごみ袋に男の子を入れると後部座席に投げた
ついでに、証拠になりそうな部品類もかき集めて、もう一つのゴミ袋に入れた
「ありがてぇ」
その時、ぽつぽつと雨が降り出した。運が良ければこのまま血の跡を流してくれるだろう
男は、車に戻るとアクセルを全開にして山へと向かった
下手に飛ばすと、警察に見つかるかもしれないと思いなおし、かつてないほどの安全運転に切り替える
「頼むから、俺の車にぶつかってくるなよ」
近くを走る車が、自分の車にぶつかると、車内を見られる可能性がある。なんとか車通りの多い場所を通り抜け、車通りの少ない山道へと入った
ちらりとみた後部座席には、ぴくりとも動かないゴミ袋がある
あの出血量なら、どこか重要な血管を痛めたか、それとも……
男はぶるぶると頭を振ると、嫌な考えをやめた。なんにしろ、即死だろうと決めつける
拾ったときはどういう状況だったかなど考える余裕もなかった。少しでも早く離れなければ……ただそれだけを考えて
山へ入り、どこへごみ袋を捨てようかと考える。道に近い場所はだめだ、誰かが通りかかったらすぐ見つかってしまう
むしろ、動物のえさになりそうな場所を……
ゴミ袋を肩に担いだまま山道に入り、どこへ捨てようかと一生懸命考えていた
「……?」
ふと、いやに袋が軽いことに気が付いた。袋のどこかに穴が開いていて、そこから中身が落ちて減っていったわけでもあるまいに
しかし、袋の口を開く度胸はなかった。ないとは思うが、袋を開けた瞬間、目があったりしたら、しばらく眠れなくなるだろう
ある程度離れたと思った場所にゴミ袋を投げ捨てる
そして、来た道を戻ったが、どこから来たか分からなくなっていた
「なんでだ? まっすぐ来たはずだろ……?」
そう思って、少しでも見たはずだと思う場所を歩く。まっすぐ歩いてきたのに、ごみ袋を捨てた場所に戻ってきてしまった
「ば、ばかな! さすがに戻るほど曲がっちゃいねぇのに!」
男は、あわててきた場所をまっすぐに走って戻る。何度もこけて、また走ったが、また同じ場所へ戻ってきた
「た、助けてくれよ! 俺が悪かったから!」
誰にともなく謝る。ゴミ袋の場所へ戻る事数回、とうとう男は疲れ果てて座り込んだ
「だめだ……どうしても戻ってきちまう……」
これはもう、呪いだろうと諦め、せめて遺体を埋めてやろう……そう考えて、近くにあった木の枝を使って穴を掘りはじめた
さすがに、死体を見る勇気はなかったので、ゴミ袋ごとその穴へと埋めた
「すまない……本当にすまない……」
涙ながらに手を合わせ、ゴミ袋に向かって謝る。目を開けると、車で男の子を轢いた場所に戻ってきていた
「なんでだ?」
そして、改めて埋めた場所を見る。そこには、1匹の狸が横たわっていた
男は、その死体を丁寧に持ち上げると、車が汚れるのも構わず後部座席に乗せた
その死体は、きちんと供養された
それからは、男は心を入れ替えて、人のために働くようになったそうだ
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