夕暮
物書未満
微かな出会い
あれは私が五歳くらいのときだったと思う。ある日、近所の高台になっている神社に陽も傾いたころになぜか行ったことが始まりだ。
その神社からは夕陽がよく見えてとても綺麗だった。そんな高台に一人、先客がいた。
「こんにちは」
その先客というのは白いワンピースを着た長い黒髪の少女であった。透き通るような、いや、鈴のなるような、いや、なんと表現すべきかよく分からないがとにかく綺麗な声だったとは覚えている。
静かに紡ぎ出されたその挨拶に私は挨拶で返し、その後は何を話すでもなくただ沈んでいく夕陽を眺めていた。
その晩、私は母親に酷く叱られてしまったことを僅かに覚えている。何を言われたか、それを思い出すには神社での出会いが衝撃的すぎて霞んでしまっている。ただ、父親がやんわりとフォローを入れてくれていた様な気もする。
しかしながら私という生き物はどうにも興味が尽きなかったらしくまた夕暮時に神社に行きたくなってしまっていた。そこで私は「夕陽の絵が描きたいから神社に行く」と両親に半ば嘘をついて神社へ行くことにした。しかし実際に絵が無くては嘘はつききれない。だから本当に絵を描きにいくことになったのも事実だ。
適当なスケッチブックにクレヨンをもって夕暮の神社に行くとやはりあの少女がいた。
「こんにちは」
また、あの綺麗な声が聞こえた。私も挨拶を返し、そこいらの石に座って夕陽を描き始めた。
「何してるの?」
「夕陽の絵を描いてるんだ」
意外にも少女の方から私に声がかかった。内心、どうやって少女に声をかけようかと考えていた私には嬉しいことであった。
「それ、趣味?」
「最近始めたんだよ」
「そう……」
どんどんと沈んでいく夕陽を何とかして描き、陽が暮れる直前、一枚目を描き終えた。と、辺りを見回してみると誰もいない。私は絵描きに没頭していた様で少女が帰っていくのに気付かなかったらしい。
「さよならくらい言ってくれればいいのに」
そうボヤきつつ、家路を急いだ。
私は友人を作るのが苦手で小学生になってからも友人らしい友人はいなかった。だがそれでもよかった。むしろ友人がいないが故に夕陽を描く邪魔をされずにすんでいた、といえる。この頃になると私は嘘から始まった夕陽描きが本当に趣味になって毎日毎日神社に通いつめた。勿論、少女のことも気になってはいたのだが。
いつもの様に神社に行くとあの少女が夕陽を眺めて立っていた。
「こんにちは」
私から声をかけることもしばしばあった。それに綺麗な声が返ってくる。そして私は夕陽を絵描き始める。どちらかが先に声をかけるかという僅かな違いしかないこのルーティンともいえるものは私には心地よかった。
この時、私は少女が学校に来ていないことを気に留めなかった。ただ毎日神社に行けば会えるとだけしか考えていなかったのだろう。大概に呑気であるが、そんなことを続けているとその手のことは聞く機会を失った。
そして私が中学生になった頃、私はまだまだ夕陽描きを続けていた。違いがあるとすればクレヨンから色鉛筆に変わったくらいである。
「今日も夕陽を描きにきたの?」
「うん。そうだよ。君も夕陽を眺めに来たんだね」
この頃、私達は打ち解けて会話もちょくちょくする様になった。少女は少女の見た目のまま変わらなかったがあまり気にはならなかった。それよりもただ、この時間が楽しかった。
「いつ見ても上手だね」
「まだまだだよ。美術部の先生にも絵は褒められたけど満足はしてないかな」
面白いもので夕陽以外にも絵を描く様になっていた。しかし、夕陽の絵は両親とこの少女にしか見せていなかった。
そんなことを毎日続けて、時はサラサラと流れていった。
私が高校生になった頃、やはり日々のルーティンは変わらなかった。学校に行って、神社に行って夕陽を描く、そんな毎日だ。そういう私を周りの人達は「サンセットボーイ」と言っていたらしい。今となってはどうでもいい事ではあるが。
「今日も来たよ」
「本当に毎日来るね。飽きないの?」
「うん。なんだか不思議とね」
実際、この夕陽描きが退屈だとかつまらないとかは思う事がなかった。それはきっと少女がいたからだと思う。
そうして日々を過ごしていると、私も三年生の終わりに近づき、田舎から東京へ進学する事になった。そしてそんな事を少女に話すと少女は真剣な、どこか悲しげな表情でこう言った。
「もう、お別れだね」
「確かに遠くには行くけど何も一生会えない訳でもないし、そんな暗くならなくても」
「違うの! 君は気づいてないの? 私が、私が……!」
「もう、この世にはいないってこと」
その声を最後に少女はフッと消えた。まるでロウソクの火を消すかのように。
ざわざわとなる木の葉。私は絵描き道具を手から滑り落としていた。
夕陽の神社に残されたのは私一人だけだった。
それ以来、私は夕陽の絵を描いていない。
夕暮 物書未満 @age890
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