第10話 ヒトを殺した話 後編
『あなたに、大事な話があります。
今日、お腹の子を堕ろしてきました。
手術はすぐに終わりました。思っていたより簡単でした。
あの子が天国に着いたら、どうか可愛がってあげてください。』
さっきの『お母さん』からのメッセージだった。
「あらら。ずいぶん重い話しね」
画面を覗き込みながら、ミキはあっさりといった。
イマはあわてて文字を打つ。
『誤解です。
バグで間違ったメッセージが届いています。
送信先を確認してください』
メッセージには、すぐに既読がついた。
返信は来なかった。
そう送信した。
「ご飯にしましょ。イマ」
ミキは静かにいった。
食後、イマは二人分の食器を洗い、ミキと一緒にお風呂に入った。
たとえお風呂でも、濡れるのは恐い。先輩が一緒だと、少し気持ちが楽になる。
「ねぇ、先輩」
「なに?」
イマは体を洗いながら、浴槽につかるミキに話しかける。
「さっきのメッセージ、どう思います?」
「まぁ、書いてあった内容が全て真実なら、あのヒトは妊娠していて中絶したということでしょうね。そして、亡くなった誰か、多分、堕ろした子のお父さんでにメッセージを送っていたのね」
イマはうなずくと、シャワーで体についた石鹸を流した。
「先輩」
「なに?」
「子供を堕ろすときの気持ちって、わかりますか?」
「さあね。アタシも経験ないから」
イマは自分の腹部に手をあてた。
「私、最近考えるんです。誘拐されて、助けてもらった後、病院で薬を貰ったんです。吐きそうになる薬。そのときはなんにも考えられなかったけど、あれは、生まれてくるはずの命を、生まれなくする薬だったんですね」
イマは思い出す。
東京にいたときのこと。
塾の帰りに誘拐されて、痛いことをされた。
警察に助けてもらってから、病院へつれていかれた。
あのときは、なにも考えず、いや、なにも考えられず、ただいわれた通りにしていた。
それから若桜町に引っ越してきて、当初はいろいろあったけど、最近は随分落ち着いて、そして、考えられるようになった。
あれはきっと、緊急避妊薬だった。
「結局、私は次の生理はちゃんと来て、セーフでよかったね、ってなったんですけど、あれは『セーフだった』のか薬で『セーフにした』のか、どっちだったんでしょう? もしも、後者だったら……。先輩、命はどの段階から命なんですか?」
イマは湯気を吸って垂れ下がる前髪の隙間からミキを見た。
「いつから命なのか、ということは自分で考えなさい。いつか、わかる日が来るかもしれないから。っていう意地悪な回答しかできないわ。アタシにもわかんないもの」
ミキは「でも」と言葉を繋ぐ。
「もしも、薬の力で『アウト』を『セーフ』にしていたとして、それが罪だとして、それはあなたの罪ではないわ。全てあなたを襲ったあの男の罪よ。イマが背負う必要はない」
ミキは一度、息を吐くとこう続けた。
「いい機会だから、話しておくわ。
イマが小さくうなずくのを見て、ミキは話しを続ける。
「
「それって、どうやったらいいんですか?」
不安げなイマと対照的に、ミキは笑顔を浮かべた。
「毎日、いっぱい遊んで、嫌なことがあったら信頼できるヒトに話して、おいしものを食べて、お風呂に入って、今日もいい一日だったなって、生きていることを感じられる毎日を送るの。簡単そうで難しいけど、簡単よ」
イマは小さくうなずいた。
お風呂から上がると、イマの両親は帰宅していた。
「ごめんね、遅くなって」
イマは首を横に振る。
「ううん。先輩もいてくれたから大丈夫。ごはんも先に食べたよ」
イマはそっと、母を見る。
「ねぇ、お母さん。私って生まれたときから大きかったんだよね」
「そうよ。産むときも大変だったし、その後もアナタ、重いのに抱っこしないとすぐに泣くし」
そこで、父が口を開く。
「俺も、何回か腰を痛めて会社休んだよ」
「ごめんね」
「謝らないで。私達は、あなたを責めているんじゃない。思い出話しをしているの」
「そうだぞ、イマ」
父も、母も、イマをギュってした。
イマは自室で布団に入り、リモコンで照明を消した。
隣の布団には、ミキがいる。
部屋を真っ暗にしているから、姿は見えないが、気配を感じる。
枕元のスマートフォンがバイブした。
『お母さん』からのメッセージだった。
『改めて、冷静になってみて気が付きました。
あなたは、あの人ではないのですね。ごめんなさい。
そうですねよ。
あの人は、死んでしまった。返信なんて来るはずないんです。
でも、私はメッセージを送り続けていた。
そして、返事が来た。
あなたが送ってくれた。
私はそれが、本当に嬉しかった。
巻き込んでしまってごめんなさい。もう、メッセージは送りません』
イマはじっと画面を見る。
「ねぇ、先輩」
「なに? イマ」
「もしもですけど、また私がなにか危ない目に遭ったら、先輩は助けてくれますか?」
ミキはため息をついた。
「アンタね、さっき
とっても、優しい口調だった。
イマは布団の中で、スマートフォンを操作する。
『私はあなたがどこのだれか知りません。
でも、もしもそれであなたが楽になれるなら、あなたのこと、話してくれませんか。
私、なんにもできませんが、お話を聞くくらいはできます。』
何度も読み返して、送信した。既読マークはすぐについた。
『本当に、いいんですか?』
『もちろんです』
それから一時間くらいして、長いメッセージが届いた。
『私が、彼に出会ったのは高校生のときでした。
私は幼いころに両親が他界して、親戚の家で育ちました。そこは、とても居心地が悪く、高校入学と共に、家を出て、バイトをはじめました。
所詮は高校生のアルバイト。毎日節約に節約を重ね、それでも毎日本当にギリギリの生活でした。
そんなときに、彼に出会いました。
彼は大企業の課長で、それなりの年齢でしたが独身でした。
出会いは本当に偶然でしたが、私はこれはチャンスだと思いました。
金銭目的で、何度も私の方から会いにいきました。
体を捧げてもいいと思っていましたが、彼は一度も私に手を出すことはなく、その誠実さに余計に私は惹かれていきました。
いつしか、私たちは正真正銘の彼氏彼女の関係になっていました。
「きっと親子に見えるね」
デートしながら、そんな会話をしたのを覚えています。
高校卒業と共に結婚しました。
そして、はじめて体を重ねたのです。
そして、一人目の子を妊娠、出産しました。
その子は順調に育ち、春からは中学生です。
そんなとき、二人目を身ごもりました。
年の離れた弟か妹だね、って家族みんなで笑っていました。
もしも男のだったら、もしも女の子だったら……。子供の幸せの為にやってあげたいことを沢山話し合いました。
でも先日、彼は死んでしまった。
交通事故でした。
会ったこともない彼の親戚だという人が沢山来て、なんだかんだと理由をつけて、金目のものは根こそぎ持っていってもう、手元にはほとんどなにも残っていません。
身重の状態で一人目の子を育てながら働く。とても現実味のある話ではありません。選択肢など、無かったのです。
まだ間に合う時期でした。これが、この子の最初で最後の親孝行のように感じてしまったのは、私の傲慢です。
一人目に検診だと嘘をいって、堕ろしてきました。
もう、後戻りはできません。
どうして、こんなことになってしまったのでしょう?
二人目は、私のことを許してくれないでしょう。
でも、私にはごめんなさい、ということしかできません。』
イマは長い文章を、何回か読みなおした。
「ねぇ、先輩」
「ん?」
「ずっと訊いてみたかったことがあるんです。先輩の家族のことです」
ミキは布団の上で何度も体制を変えているようで、布のこすれる音がする。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「両親と弟がいたわ。家は特別裕福じゃないけど、貧乏でもなかった。アタシ個人としてお小遣いで困ることはあっても、家全体の問題として金欠になることはなかったわ。お父さんは都内の会社の平社員。お母さんは近所のスーパーでパートをしてた」
ミキは一度息を吸いなおす。
「一族全員、都内にある穴守稲荷の使いで、といってもほとんど形だけで、実際に神獣として活動することはほとんどなかった。両親の実家も両方とも穴守稲荷と同じ大田区にあったけど、私の家は、神奈川だった。神奈川新町駅の近くね」
「家族に会いたいと、思いますか?」
「会いたくない、といえば嘘になる。だけど、アタシは恐いの」
「恐い?」
「命を持つ者と持たない者の間には、決して超えられない壁がある。その壁を、感じてしまうのを恐れているの」
ミキは布団から出ると、勉強机の上にあったメモ用紙になにかを書き込み、慣れた手つきでそれを折り鶴にする。息を吹き込むと、鶴は羽ばたき、部屋の中を飛び回る。
イマは起き上がると、鶴をじっと見る。
ミキは窓を少し開けた。冬の澄んだ、鋭い冷たさの風が吹き込んでくる。その隙間から、鶴は表へ出ていく。
「もしも、アタシが家族になにかをお願いするなら……そうね。忘れないでいてほしい。それだけね。それが、生きるヒトを縛る鎖になるとわかっていても、願ってしまうわ。アタシのことを忘れないでって」
ミキは夜空にむかって呟くようにいった。
それほど時間をおかず、すぐに鶴は帰ってきた。
「イマ。メッセージの『お母さん』の子、女の子だって。おしゃれとクマのぬいぐるみが好きなんだってさ」
ミキはメモを見ながら、そういった。
イマは、メッセージを打った。
次の日。
イマが学校から帰ってきて、スマートフォンを見るとメッセージがあった。
『お仏壇を買うお金もないので、小さな祭壇をつくりました。あなたのアドバイス通り可愛い服をお供えしました。一人目の子にも、全てを話しました。あの子は、喜んでくれるでしょうか?』
次の日。
イマが布団の中でスマートフォンを見ると、メッセージが届いていた。
『今日は、テディベアを買って、お供えしました。あの子は喜んでくれるでしょうか?』
次の日。
イマが家で宿題を終えてスマートフォンを見ると、メッセージが届いていた。
『やっぱり、あの子に直接言葉を届けるのが一番だと思って、手紙を書きました。
私はあの子のこと、絶対に忘れません。
そして、一人目の子と一緒に、ずっと生きていこうと思います。
ありがとうございました。』
イマはメッセージアプリを閉じると、ポケットに入れた。
「先輩。なにか食べたいもの、ありますか?」
「そうね。今日は久しぶりに、コッテリ系が食べたいわ」
イマとミキは、笑い合った。
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