第2話 クリスマス・ライダーの話 後編
サナは男の子を自転車の下から救出すると、近くのベンチに座らせた。
「大丈夫か?」
「痛いよぉ」
サナが男の子のズボンの裾をまくり上げると、膝に傷ができ、血が出ていた。
「こんなの、唾つけとけば治るぞ」
サナは自分の指先を舐めると、その唾液を男の子の傷口に塗った。
すると、傷口はみるみるふさがって出血も止まった。
「なにこれ、なにしたの?」
男の子は驚いたように、何度も自分の膝を見る。
「なんでもいいだろ。気にするな」
サナはそういって笑った。
そこに、コンと男性もやって来る。
「お前、自転車の練習をしていたのか。どうして……」
男性の声は男の子には届かない。
「自転車の練習、してたのか?」
サナが改めて尋ねると、男の子はうなずく。
「うん。ボクが自転車に乗れなかったから、おじいちゃんが死んじゃったんだ」
「どういうことだ?」
サナはさらに尋ねた。
「この自転車ね、去年のクリスマスにサンタさんにもらったものなんだ。おじいちゃんのバイクがかっこいいっていったら、サンタさんが持ってくれたんだ」
男の子は「だけど」といってうつむく。
「ボク、そのときはじめて自転車に乗って、こけちゃって、それで恐くなって、それから乗らなくなったんだ」
「じゃあ、どうして今、練習をしてたんだ?」
サナが尋ねた。
「もうすぐクリスマスだねって話になって、それでこの自転車のこと思い出して、乗らないのはもったいないから、補助輪をつけようってことになったんだ。それで、おじいちゃんが補助輪、買いにいってくれたんだけど、その途中で事故にあって死んじゃったんだ」
男の子はうつむく。
「ボクのせいだ。ボクが、ちゃんと練習しなかったから」
「あれはオレがヘマしたんだ。お前のせいじゃねぇよ」
男性は、寂しそうにいった。
「だからボク、自転車に乗れるようになろうって思うんだ」
「別に、乗りたくなきゃ乗らなくていいさ。自転車もバイクも、なくったって生きていける」
男性が優しい口調でいった。
「バイクに乗るおじいちゃん、カッコよかったんだ。とっても、カッコよかったんだ。僕もあんな風になりたいけど、やっぱり痛いのは怖いんだ」
男の子は、ズボンを握りしめる。
サナは男性を見た。男性はうなずく。
「じゃあ、私が練習に付き合ってやるよ。ケガをしたらさっきみたいに治してやる。それでどうだ?」
男の子はちょっと考えると「うん」とうなずいた。
それから、サナと男の子は練習をはじめた。
男の子が自転車をこぎ、サナが自転車の後ろを支えて走る。
ある程度、勢いがついたらサナは手を放す。
そこから少しだけ自転車は進むが、すぐにバランスを保てなくなり男の子は足を地面につけてとまってしまう。
この一連の流れを何度も繰り返す。
その様子を、コンと男性はベンチに座って子を見ていた。
「オレさ、アイツも将来、バイクに乗ってくれるといいなって思って、あと十五、六年生きていたら一緒にツーリングいきたいな、なんて考えてたんだ」
サナに後ろを支えられながら、男の子は必死に自転車をこぐ。
「お、おねえちゃん。絶対に入って離さないでね」
「ああ。大丈夫。ちゃんと支えてるぞ」
サナはそうかえす。
自転車は、頼りなくヨロヨロと進む。
「息子はさ、バイクに全然興味なくて。でも、孫はちょっと興味ありそうだったから、嬉しかった。だから、去年のクリスマス、自転車をプレゼントしたんだ」
男性はそういって、懐を探る。
「でも、アイツが自転車でこけて、二度と乗らないっていったときから、なんとなくアイツともギクシャクしちゃってさ。情けねぇよな。この年になって、あんな子供との接し方ひとつわからねぇなんて」
取り出したのは、タバコとジッポライターだった。
「大人の好きなものを子供や孫に押しつれるっていうのも、冷静に考えてみればひどい話だな。一服、いいか?」
タバコを見せながら尋ねると、コンはうなずく。
「はい。どうぞ」
男性はタバコを咥え、火を着けた。煙が細く空へと昇っていく。ふわりと、匂いが広がる。
「悪いこと、じゃないと思います」
そっと、コンはいった。
「へ?」
男性はコンに顔をむける。
「親が、子や孫に良いものを残していきたいと思う。それも一つの愛情ちゃいますか? まあ、それを受け取るかどうかは、子に委ねるべきやと思いますけど」
「そういってくれると、嬉しいよ」
そのとき、ガシャンと大きな音がした。
男の子がこけていた。
「まったく、見てられんな」
男性は携帯灰皿にタバコをねじ込むと、立ち上がり、男の子のほうへ歩いていく。
コンは優しい笑顔で見送った。
男の子は目に涙を貯めながら自転車をおこす。
「おねえちゃん、もう一回」
「うん」
サナが自転車を支え、男の子がまたがる。
その時、サナとは別にもう一組、自転車を支える手が伸びてきた。男性だった。
「いいか。思い通りに操ってやろう、いうことを聞かしてやろうなんて考えているうちは上手くいかねぇんだ。チャリンコのいうことを聞いてやる、そしたら、体の一部みたいに思えてくる。ほら、いけっ!」
まるで、男性の声が聞こえているかのように男の子はこぎだした。
サナはその瞬間、手を離した。
自転車は、ぎこちないながらもまっすぐ進む。
男の子がこぐ自転車。支えている男性。だけど男性は、幽霊だから周囲のものに触れることはできない。
「ほら、やりゃできるじゃねえか」
男性は手を放し、立ち止まった。
自転車は、止まることなくヨロヨロと進み続けた。公園のはしっこまで。
男の子は両足を地面について止まる。
そして、振り返った。
男の子のいる場所。サナの立っている場所。その距離が進んだ距離。
「乗れた……ボク、乗れたよ!」
男の子は、泥だらけの顔で笑った。
「ああ。この感覚、忘れるなよ。それで、お前は、オレみたいな死に方するんじゃねぇぞ」
男性も、笑いながら返した。
サナと、コンと、男性の三人は『和食処 若櫻』に戻ってきた。
「ありがとう。満足したよ」
男性はそういって、席に座る。
「ご注文、お決まりですか? 私につくれるものやったら、なんでもいいですよ」
コンはカウンターの内側の厨房に入りながら尋ねた。
「じゃあ、和食じゃなくて申し訳ないんだが、チキンライス、頼めるかな?」
「はい。かしこまりました」
コンはそういってポケットからマッチを取り出し、かまどに火を入れた。
「去年のクリスマス、家族みんなでホテルにディナーにいったんだ。こんなことするの、はじめてだった。ホテルのレストランは旨かったが、やっぱり家でチキンライス食ってる方が性に合うなって思ったよ」
コンはまな板と包丁を用意し、具材をみじん切りにする。
「そんな感じの歌、ありましたよね」
コンは笑いながらそういった。それで男性も思い出したように笑う。
「確かに、そんな歌あったな。赤坂プリンスじゃねぇけど、まんまあの歌詞の通りだ」
「はい、お待たせしました」
コンは、男性の前のテーブルにチキンライスが盛り付けられた皿を置いた。
「ありがとう。いただくよ」
男性はそういって、スプーンを手に取ると一口、食べた。
「ああ。やっぱり、これがいいな」
男性は手を止めることなく食べ続け、あっという間に皿は空っぽになった。
そして、食べ終わると天井を見上げる。
「オレ、いい人生送ってたな」
男性はみるみる薄くなり、そして消えていった。空気に溶けるように。
コンとサナは笑顔でその様子を見ていた。
十二月二十五日。
一晩中降り続いた雪は、若桜の町を白く染めた。
そして、夜明け。
家々の軒先の氷柱からは水滴が落ち、川には氷塊が流れる。
サナの家に同居するコンは、自室で目を覚ました。
枕元に、小さな白い封筒が置かれていた。
コンは起き上がり、封筒を開ける。
中に入っていたのは、赤い髪留めだった。
コンはそのクリンクリンのくせ毛に、髪留めをつけて、卓上の鏡を覗き込む。
自然と、笑みがこぼれる。
鏡の隅に、部屋の入り口の扉がうつる。
扉は微かに開いており、そっと様子をうかがうサナが見えた。
サナの前髪にも、コンと同じ髪留めが光っていた。
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