第47話

「……ッ……?」


 自分が目を閉じている事は理解できる、そして瞼の向こう側ではランタンだろうか、揺れる明かりが灯っていることも分かった、そして誰かの足音、靴音では無くぺたぺたと床を裸足で歩く様な、そんな足音だ。


 瞼が痙攣する、その物音に早く目を開けろと急かされているような気がして、エイジは目をパッチリと開けたのだ。

 焦点がハッキリするにつれ年季を感じさせる木製の天井が見える、そして壁に取り付けられたランタン、どうやら自分は横になって眠っていたらしい、そして身体を起こそうと身動ぎした瞬間。


「グッ……ツゥ~~~~~~、痛ってぇ……」


 曲げようとした肘、動かそうとした肩、上げようとした首に途端激痛が走る、反射的に歯を噛み締めるが力の入った顎も痛い。


「おはよう、エイジ」


 突如聞こえてきたのは女性の声。

 当然その方向に身体を向ける事も、視線を向ける事すら出来ないため、朝の挨拶から続く言葉を待つしかない。


「と言っても、今は夜だ、気分はどうだい?エイジ」

「絶好調……とは言い難いようですね、ヴァネッサさん」

「ふむ、まぁ上等か……痛むようだな、そのままでいい、横になってなさい」


 言われるまでも無く、動きたくても動けない、それにこんな状況はついこの間にも経験している、こういう時は頭の中だけでも無理やり正常に戻すのだ、そうすれば幾らか気を紛らわす事が出来る。


「帰ってこれたんですね、キャロルは?」

「無事だよ、何とかね……エイジは何処まで覚えている」

「魔石の採取中に……見たことも無いモンスターが現れて、えっと……色々あって何とか倒したけどキャロルも僕も危ない状態で、夜通し歩き通して……それから、どうなったんでしょう」


 ヴァネッサが何かをカウンターの上にでも置いたのだろうか、カタンと言う音がした、天井しか見えなかったがここはヴァネッサの店の入り口広間、例のガラクタに溢れたあの場所らしい、背中の感触から柔らかいソファの様な物の上で身体を倒していることは分かるが、そんな物があの部屋にあったのか、埋まっていたのを発掘したのか、わざわざそんなスペースを確保してくれたのか。


「それから町の自警団に発見された、夜中になんの合図も無しに接近するものだから、少し賑やかになっていたぞ?」

「そう言われてみれば……そうだったような」

「ふむ、大分目が覚めてきたようだな」


 ヴァネッサが立ち上がり、物を蹴り払いながら此方に向かってくる気配を感じる、そしてエイジの顔を覗き込む髪の長すぎる女性の姿、表情を覆い隠す前髪の向こうの視線を目が合った、そして頭を優しく撫でられた。


「気分はどうだ?」


 再度同じ質問をされる、その声色は優しさに溢れ、ヴァネッサにしては酷く簡潔な言葉であった。


「身体が動きません、僕は……どうなってましたか?」

「酷いものだよ、重度の魔力欠乏症と言ったところだが、明らかにそれ以上のものまで失っている、あの剣を……使ったんだね」

「はい、あの……」

「私の研究室からいきなりあの剣が消えてね、驚いたものだよ……まさかそんな能力まで備わっているとは思わなかった」


 そんな事が出来るなんて自分も知らなかった、ただ、キャロルが傷付けられた辺りから、妙な昂揚が胸の中に芽生えていたのを、それがルゥシカ村で感じたものと同質のものだと、朧気ながら気付いていながらも、それを受け入れた。


「あの剣に、助けられました……もし“来て”くれなかったら、僕もキャロルもどうなっていた事か」


 二人で仲良く寄生され、あの霧の沼地を今も彷徨っていただろう、そう考えると汗ばんだ背筋がそっと寒くなる。


「おや、出発前は危険な力だ、とか言ってたのに、早くも心変わりかい?まぁ気持ちは分からないでもないが、優しくて甘いんだなエイジは」

「どういう意味です?」

「そのままさ、聞き流してくれていいよ……さて話過ぎたね、未だ君は危険な状況だ、まだ眠っているといい」

「いえ、身体は動かないんですけど……頭は気持ち悪いくらいスッキリしてますけど」

「それが危険だと言っているんだ」


 ヴァネッサの指が二本、エイジの眼前、その意味の通り眼球に触れるくらいに近付けられる、咄嗟に目を見開き、そして閉じようとするが。


「『コンヒュープノス』いい夢を、エイジ」


 その呪文を聞いた途端、エイジは背に感じていたソファの感触が、全て消え失せたような錯覚を覚える、そして同時に襲い来る浮遊感と落下感、目の前に突きつけられた指先も、天井もランタンの光も、全て置いて行かれる。

 エイジの意識は再び闇の中に無理やり落とされたのだった。




 ※※※




「さて、こっちは思ったよりは元気そうだったが」


 エイジを寝かしつけたヴァネッサは、頭をバリバリ掻きながら、店内のカウンターの奥、自身の作業場兼魔術工房へと向かった。

 殆ど足の踏み場も無い廊下を慣れた足取りで進み、やがて開けた空間に出る、ここは希少な魔術道具を使い空間を拡張させている、建物外からでは想像できない、冒険者ギルドの玄関ホール程の広さまで拡張されているのだ、勿論それもヴァネッサの技量が無ければ成し得ない事なのだが。


「可愛いキャロル、エイジが目を覚ましたよ、君のことを心配していた」

「そう、ですか……よかった」


 様々な器具や道具に取り囲まれた、女の子一人が横たわるには広すぎるベッドの上には、キャロルが灰色の貫頭衣を着て足を延ばして座っている、その周囲には大小様々な水晶が漂っており、時折謎の発光をしている。


「そうだね、彼は覚えて無いみたいだけど、痛みにのたうち回って暴れていた時は驚いたよ、あの呪いの代償とはよほどの激痛なんだろうね」

「それなのに……沼地から此処まで、あたしを背負って歩いてきたですって……?何処までふざけているのかしら!?」

「またそれかいキャロル、いい加減許してあげればいいのに……最善とは言い難いが、キャロルもエイジも命が残ったんだから」


「でも!」


 キャロルは右手を爪が食い込む程強く握りしめる、頭を垂れながら自然と身体と肩が震えてくる、そしてキャロルが絞り出した独白を、ヴァネッサは黙って聞いていた。


「でも、あたしはエイジ君の教育係だったのに、守ってあげなきゃいけなかったのに……なにが高位の魔術師よ、肝心な所で足を引っ張って…あたしが囮になっていれば、エイジ君はあんな力使わないで逃げる事だって出来たのに……」


 すすり泣くキャロル、それを見てヴァネッサは小さくため息をつく。


「まったく……まだまだ子供だなキャロルは、そんなんだから未だ目が離せんのだ」

「そんな事……分かってます」


 いいや分かっていないね、その言葉を師匠であるヴァネッサは敢えて言わなかった、代わりに、いつものように笑って場を流してしまう。

 ヴァネッサがキャロルの所に顔を出した用件はそれだけではない、エイジが丁度起きたタイミングでまとめ終わった資料を、何も言わずキャロルに手渡す。


「なんですか?これ」

「二人が戦ったモンスターについて、だよ。詳しく聞いた話と、キャロルが這いずり回って回収した花びらと種子の灰、エイジの肩の肉の中に残っていた植物のような残骸、それを吟味して辿り着いた答えがそれだ」

「スキッド・ヘルフラワー?………聞いたこと無いで、え…Aランクモンスター!?」


 キャロルが資料を持っていた右手に力が入り、紙がクシャと皺寄るが、まぁその反応は当然だろう、ヴァネッサも一致する文献を発見したときは驚いたものだ。


「間違いないと思うよ、キャロルに聞いた話と、回収したという花弁と、燃えカスになった種子、それに彼の肉の中に残っていた植物のような残骸、その特徴を符合させた」

「でも!こんな中央部に、Aランクなんてモンスターが出たなんて、信じられません」

「そうだね、私もこの街に越してきて長いが、高ランクと言っても精々砂漠からCランクのアースワームが迷い込んだり、一度オークキングが近隣に発生したこともあったが、それでもBランクだ」


 オークキングの出現はキャロルも聞いた事がある、確か何年も前、キャロルが弟子になるよりも以前の事だったと思うが、まぁその手の話を広げるとヴァネッサは全力ではぐらかしに来るので流すことにした。


「今の話を踏まえてもう一度、訊かせてくれ、スキッド・ヘルフラワーを倒したのはエイジなんだな?キャロルがやったのは止めを刺した事だけなんだな?」

「そう、ですけど……」

「それは黒い剣を持ったエイジは、Aランクモンスターとも単独で渡り合えるほどの戦闘力を持っている、そう考えていいのだね」

「……………」


 そこだけ聞くととんでもない話だ、即応で肯定する事は難しい。

 しかし、あの植物の猛攻を、あの木の槍の雨霰の中を、黒い旋風を纏いながら突っ込んでいく姿を思い出す、それより少し前に希少な魔石を見て喜んでいた新米冒険者である彼とは、どうしても一致しない。


 直ぐに答えないキャロルを見て、ヴァネッサは小さく息を吐く、ここで詰め寄り過ぎても得はあるまいと、一旦話を区切る、この後に控える話はもっとヘビィで重要な事だ。


「まぁ、いいさ。それよりもキャロル、教区長から連絡があったよ、結果が出たそうだ」

「あたしの……左腕の事、ですよね」


「そうだ、キャロル……はっきりと誤魔化さずに言うが、お前の腕は、もう以前のようには動かせない」









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