第45話
断末魔の悲鳴のように、樹木の擦れる奇妙な音を上げ、血の色の花弁に桃井色の水玉模様の妖花が、毒々しささえ感じるピンクの液体を撒き散らし、その花を頂に構えた大木は、正中から縦に斬り裂かれた。
途端に何百本と言う数の枝が、一切の動きを止め、バラバラと崩れ落ち今まで鞭のようにしなやかだった枝は、瑞々しさを失い枯れ木の様になっている。
後に動くものは、振り上げた黒剣をゆっくりと下ろすエイジ、炎の壁を解除し今度こそ足の支えを失って、頭から地面に倒れるキャロル、そしてひらひらと舞い落ちてくる一枚の妖花の花弁。
「信じられない、あたし……生きてる」
顔に土が付く事も気にせずに、今はその冷たさを感じられることも喜びに変わる、死を覚悟した数と同じ位、エイジならもしかしたらと……そう思っていた自分が不思議でたまらなかった、そして結果として生きている。
「魔剣の担い手……まるで伝説にある深淵のその先の力……エイジ君」
「キャロル……」
キャロルの呼びかけにエイジが掠れた声で答える、地に伏せながらもなんとか首だけを動かそうとする、そのキャロルの目に飛び込んできたものは。
真っ二つに斬られた大木のその断面から、二本の細長い触手が伸びている。
「まだよッ!後ろ!」
「ッ!……ぐぁあああッ!」
倒れ込んだキャロルに歩み寄ろうとしていたエイジにその触手の鋭い先端が襲い掛かる、咄嗟に振り向いたエイジだったが、反応が遅れた、振り向いた事で頭部を狙っていた軌道はズレたが、右肩に深々と突き刺さる。
(くそッ……反動か、右手が……動かない、それにこれは、寄生!?)
既に黒剣に触れていることによって全身を、主に右腕に形容し難い程の激痛が走っているのだが、それに加えて突き刺さった右肩から、肉を掻き分け体内でその根を伸ばし始めている触手の寄生体が蠢く、エルドリング戦後の気が狂いそうになるほどの激痛には及ばないが、動きを止め、まともな思考が停止するのには十分な痛みだ。
「ア゛ァ、ガアアア゛アアアアアアァッッ!」
「エイジ君!引き抜くのよ!速く!」
何とかして血が滲む程強く柄を握っている右手を動かそうとするも、駄目だ、肩より先の感覚が薄すぎる、ただ拳に力が入るだけでピクリとも剣が上がらない。
残る手は一つ、キャロルの言った通りに力尽くで引っ張り出すしかない、左の手が、二本の触手を纏めて掴む、ゴムの様な弾力がある妙な感触が気持ち悪い。
「ぐ、っそ……抜け…な、グアァァア゛ッ!」
妖花の最後の足掻き、そして生き延びるための最後の手段、寄生侵入させる速度がキャロルを捉えた時とは段違いだ。
麻痺してくれない痛覚が、このままでは後十数秒で内臓にまで侵入されると警告している。
(このままではッ)
希望の光を求めるかのように薄く目を上げたエイジは、その触手の大元、斬り裂かれた大木の断面に、見つけた。
(あれは……、アレかッ!)
断面から顔を覗かせている、握り拳ほどの大きさの皺が寄った楕円形の何か、それの一部が割れ、この二本の触手はそこ中から伸びてきているらしい。
「植物なら、なる…ほどなぁ!」
あれが、あの種こそがこのモンスターの本体だったのだ、一番目立つあの花こそが本体だと思っていたが、考えてみれば花が枯れた程度でその植物自体が枯れることはあるまい。
しかし問題は。
五歩進んで手を伸ばせば届く距離のその急所、しかし激痛を伴うこの状況では、その間に内臓、強いては脳まで寄生が到達する恐れがある、既に首に吐き気を催す異物感がある。
(だったらッ)
握る二本の触手を更に強く握る。
そして、残る全ての力を総動員して、引く。侵入された根を引っ張り出す為では無く、その種を、こちらに引き寄せるために。
一瞬の拮抗。
しかしその種は触手を二本だけ伸ばすだけが精一杯だったようで、若干の抵抗のみで、皺の寄った殻の中身を引っ張り出すことに成功した。
桃色で艶のある、種子が露になり。
「キャァロルゥウウウウウッッ!」
「『紫炎弾』!」
寸分の狂い無くピンクの種子に着弾したキャロルの魔術、紫色の炎の光と爆風に煽られたエイジが強く尻を打つ、その一瞬で見えたのは炎の中で、真っ黒になり燃え上がる種子の影。
四肢を投げ出し仰向けで倒れ、本体が焼け切断された右肩の触手は、数秒ほど激しく動いていたが、やがてその動きも止まり、急激に水分がなくなったかの様に萎れ、朽ちて行く。
一陣の風が吹く。
エイジが起こしたわけではない肌を撫でる風に煽られ、周囲に散乱していたスキッド・ヘルフラワーの残骸も急激に枯れていく、縦に裂かれた大木も老木の様に倒れた。
どうやら今燃えた種子が、このモンスターの核に当たる部分で、活動に必要な魔素の発生源でもあったらしい。
もう完全に四肢に力が入らない、言う事を利かなかった右手も、漸く黒剣を離してくれたらしい。
この一時間足らずで色々な事が起こり過ぎた、あの上位モンスターの事も、突然現れた黒剣の事も、しかし今は頬を撫でる風の心地よさを感じよう。
ふと顔を上にあげれば、エイジと同じく立つ力も残っていないだろうに、しかし思うように動かない身体を必死に動かして此方に這ってくるキャロル、その必死な顔が何だか笑えてきて、エイジの意識はそこで途切れた。
※※※
エイジは血の色に発光する魔法陣を見つめていた。
いつからそうしていたのだろうか、もう何時間も経った気もするし、まだ数秒しか見ていない、そんな気もする、視線を外そうとするが、どうやら自分の意思では無理そうだ、そのことに何の違和感も覚えない。
その紅の陣を見ているとなんだろう、とても気が落ち着くのだ。
『求めよ』
ふと、背後からそんな声が聞こえた。
漸く、魔法陣から視線を逸らす事が出来た、安心と残念な気持ちが混ざった妙な気分になる、肩越しに後ろを向いても、何もいない、ただ壁があるだけ。
そして今の自分の状況を理解する事が出来た、これまた奇妙な感覚だが、自分は立ちながら魔法陣を見下ろしていたらしい事にも今気が付いたのだ、そして四方を壁で囲まれた小部屋の中にいるという事にも今更気付いた。
「ここは……?」
何だろうか、見たことがあるような、初めて来たような、部屋の四方には小さく消えかかった蝋燭が辛うじて灯っており、この空間には壁と床と蝋燭と魔法陣以外に何もない事が解かる。
「何処だ…って、え?なにここ!?閉じ込められてる!」
両手を伸ばせば壁に触れられそうな狭い空間、突如このような閉鎖空間に居る事を認識すればパニックを起こすことは当然だ。
しかしエイジの意識がはっきりするにつれ、部屋の中央で血の様な紅色の光を放つ魔法陣が、その輝きを強めていく。
「この、模様は……」
歪んだ十字と左右に展開される翼。
その光と紋様を見ていると、段々と正常な思考が奪われていくような錯覚を感じるが、目を離せない。
エイジは片膝を付いて屈み、その魔法陣にそっと触れた。
そこだけ磨かれたように平面になっている石の床、何故かその光は温かかった、膝が振れている場所からは冷たさしか感じないのに。
その時、視界の隅に何かを捉えた。
それは突然そこに現れた、人間の裸足だ。
その方向に眼球を動かそうとした瞬間、屈んで下を向いていたエイジの頭を誰かの手が掴んだ、それはこっちを見るなとでも言うように動かそうとしていた首を固定し、万力のような力で魔法陣が輝く床へ、額を叩きつけたのだ。
呻き声を上げるような暇も無い。
ただ間近の眩しさに目を閉じ、頭上から聞こえてくる声を聴くだけしか出来ない。
『求めよ』
『何故、私を』
『何故……………』
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