第44話

 岩の向こうから、今まで自分に穏やかに微笑みかけてくれていた人物と同じ声が、狂ったように笑っている声が聞こえる。

 自分の耳を疑わずにはいられないが、なんとかしてまだ動く肩や足の一部分を使って身を乗り出そうとする、しかし本体が戦闘を開始したのと同時に、寄生された動物たちも行動を開始した。

 キャロルが感じる気配は三つ、血で真っ赤に染まったボロボロの足に喝を入れながら、先ずは正面から眼孔から触手が飛び出している猪を、魔術名を宣言するまでも無く燃やす、そしてその隙をつき左右から飛び掛かってくる野犬二匹。


「『炎壁』!」


 それも難なく倒したキャロルは、身体を岩に擦り付ける様にして何とか立つ事に成功する、実際は立つというより片足を軸にして岩の塊に全体重を預けているだけなのだが。


「エイジ君」


 彼の声と、刃物と木が強く衝突する音。

 どうやら寄生体は今ので全てだったらしく、二人の戦いを邪魔する気配は無い。


「呪いの力…………なんで、剣は店にあるのに」


 キャロルの眼が、エイジが纏う魔力に自分でも見慣れた黒い魔力が混ざっていることを写す。

 彼の魔力は薄く青味がかった、青空を透過するガラスの様な透明な、そんな奇麗な色だった、それがどんどん濃くなって、いや、侵食されているのだろうか、紅に縁どられた黒色の魔力に染まっていく。


 キャロルの伸ばそうとした腕は動かない、歩み寄ることも出来ない、今の自分には何もできない、ただ見ている事しか出来ない自分が、悔しい。


「頑張って……でもおねがい、死なないで」




 ※※※




 自分にはもしかして戦士の才能があったりするのだろうか。

 二本目のナイフも折れてしまった、エイジの眼球を貫こうとされた枝をいなしたことで

 刃が欠け、踏みつけた枝ごと地面に突き刺して縫い付けようとしたが、どうも強度が足りなかったらしい。


(こんなことになるなら、ちゃんとバックの中を整理する事を優先するべきだった、確かまだ剣や槍や斧が何本かづつあったと思うが)


 走りながら触手の叩きつけを避け、次に取り出した武器は、三尺ほどの片刃の剣、それを両手で握ってみれば思い出す、村を襲った盗賊共を次々に叩き斬った時の事、左右に大きく広げられた植物の手から広範囲に何本も突き出された触手、その光景が被る。


「ハァアアアアアアッッ!!」


 その数十四本、全てエイジの身体に触れることなく、斬り伏せられる。

 妖花に若干の動揺が見られた、木々の擦れる音と、エイジの高笑いが重なった、その瞬間にエイジが身に纏う魔力、自分では身体強化のつもりの魔術だが、その力が爆発的に増加した、黒色の魔力の割合が、遂に半分を上回った。


「ハ、ッハ……アッハッハッハァ!!!」


 嵐の如く、黒色の暴風が吹き荒れる。

 その風が妖花の人型を形成している木で編まれた身体を揺らし、血色の花弁を撫でる。

 最初は取るに足らない程度の力だった、ろくに自分の身体も切れない、その程度の力だったはずなのに、急にだ、あの黒い力が混ざり始めてから、自分の身体が削られていく。

 相手は仲間を守りながら戦っている筈なのに、とっくに力尽きかけている筈なのに、何故自分が圧されているのか。


 人型を形成していた身体が、解けた。

 バラバラになり、本来の大木の形へとなろうとする。


 それを隙と受け取ったエイジが剣を振りかぶって駆ける。


「駄目、罠よ!」


 その声に足を止めるが遅い、解かれた枝が、触手がエイジを攻撃するのではなく、囲うようにして展開される、獲物を中心として円球状に覆う、そして巻き付くように蠢きながらその範囲を狭めていく。

 網籠を被されたように、囚われたエイジは。

 こんな状況でも笑っていった、端正な顔が狂った笑みを浮かべている。


「フフ、これだ……こういう窮地を、お前も待ってたんだろ?焦らせやがって」


 風が止んでいた。

 しかし彼の髪や衣服が風に靡いている、エイジは右手を強く握り、胸の前に何かに祈る様に当てている、そしてその手が開かれる。


「あぁ……痛い、痛い…イタイイタイ痛いなァッッ!」


 左手で持っていた剣が足元に倒れる、エイジを捉えたドーム型の触手が、蠢き収縮されていく、そうやって中身を絞め殺す気なのだろう。


 光が漏れる隙間すら段々と無くなっていく中、薄く開かれた右手を、まるで何か武器を振うかのような動作で横一閃。


「エイジ君!エイ……」


 エイジが囚われた瞬間に残った魔力を総動員して、外側から穴を空けようと紫炎の準備をしていたキャロルだったが、“黒色の何か”が半球状の内側から横一直線に吹き出したのを見て動きが止まる。


 イ゛イィィィィイ゛イイイイ!!?


 まるで蓋がパカッと開くようにして内側から“斬られた”妖花が今までよりも一層大きな音を立ててその大木を滑らせるようにして、その身を引いたのだ。


「エイジ君、それは……一体何が」


 斬り裂かれた枝の中心に立っているエイジ、今の彼からは先程まで似合わず張り付いていた笑みが消えている、それどころか憔悴したように蒼白な顔色、一切の表情が消えていた。

 その白い貌とはまるで反対色、右手に握られている『武器』を見てキャロルはかける言葉を失った、息を呑む、なぜソレがここに、そんな言葉すら出てこない。


 エイジが“黒剣”を高く振り上げる。

 そして切っ先を真っ直ぐに、妖花に向けた、そう、いつの間にか彼の手には一目見ただけで吐き気を催す程の邪悪、濃い等の言葉では到底足りない深い闇を纏った黒色の剣が握られていたのだ。

 確かに店に置いてきたはず、今はヴァネッサが寝ずにその知識欲を満たしているであろう呪いの黒剣、それに駄々洩れになっていたエイジの魔力が、安定している、尤もその全ての魔力が黒色魔力となってしまっているのだが。


 大きく一歩引いたはずの妖花が、ギシギシと軋む。

 状況が呑み込めないながらも今が戦闘中であることを思い出した、触手が蠢く花の中心から、まるで血を吐くかのように桃色の液体が吐き出される、植物ながらも苦しんでいる事が窺えるがそれもそのはず。


 太陽に影が差した。

 ここから見える空を覆いつくすかの様に広く、広がっていく見渡す限りの枝、蔓、触手の塊、そこから何百という鋭く尖った先端が、自分達を串刺しにしようとギラつかせているのが分かる。

 妖花の背後の森の中から恐らくその身体の一部なのであろう枝などが、集まって来る。黒剣の闇に触れ、その力の異質さを感じ取ったのだろう、己が出せる全ての力を総動員させているのだ。


「大丈夫、自分の身だけを守ってて」


 最早立つだけの力も入らない、その場に座り込んだキャロルに、エイジは大丈夫と言った。

 肩越しに振り向くエイジと目が合った。

 血の気が失せた、蒼白な顔でそのような事を言われても不安にしかならないのだが。


 視線を戻したエイジは、突きつけていた切っ先を背後に回し、地面に触れる寸前まで剣を下ろして構える、それと同時に無数の枝が、あらゆる方向から突き出される。


 その太細大小、槍の雨の如き死地の中を。

 駆け出した。


「無茶よッ!」


 キャロルの制止の声は、最早遅すぎる、数百ではきかない一本一本が寄生と致死性を持ったその中を、切っ先は後方で地面を軽く裂きながら、真っ直ぐに妖花に向け走る。

 その槍はキャロルの位置までその効果を及ぼした、槍降り注ぐ天に向け、魔力を絞り出して発動させる上級の防御術、幾ら有利な火属性とはいえこの物量、何時までも防げるとは思えない。



(剣に風を乗せる)


 先程まで使っていた片刃の剣、あっちの方が小振りなのだが今握る黒剣の方が比べるまでも無く軽いと感じるのは妙な感触だ、先ずはエイジ本人にも視認出来ない速度で剣が振られる、そして眼前に迫っていた十数本の触手が斬られ地に落ちた。

 続く枝は最小限の動きで躱し、いなし、斬って裂いて無力化する。


 この時幸運だったのは襲い来る枝の殆どがエイジに向け迫ってきたことだ、モンスターの本能からか黒剣の異常さを最優先で排除するべき物と認識し、結果キャロルは後回しにされた、キャロルなら今の状態でもなんとか防げるだろう。

 彼女を守りながらエイジが戦っていた事は妖花も理解しており、頑丈な殻があるなら、その殻を壊してから中身を食べればいいと、そう高を括っていた。


 妖花とエイジの距離は既に五メートルを切った。


 足元含めたほぼ全方向から攻撃しているにもかかわらず、エイジが振るう『剣戟の結界』を超える事が出来ない、鋭利な先端が残っている枝だけでなく、途中で斬られたものも鞭のように叩きつけ、一片の隙も無い攻撃なのに。


 一閃が空気を斬り裂き、真空を生む、踊る様に風にあおられ舞う落ち葉を思わせるエイジを中心に、黒い軌跡の後を風が追いかける。

 黒風と狂飆がまた一歩スキッド・ヘルフラワーの大木へと近付く。


「アァアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」


 黒剣が地を撫で高速で、大きく振り上げられる。

 漆黒の魔力が斬撃の形を成し、冷たい一撃が真っ直ぐ一直線、大木を立てに割る様に、無慈悲に下された。







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