第34話

 高椅子から立ち上がったエイジは比較的スペースのある店の中心で、腰に手を回しマジックバックの中で、まだ数回しか握っていないのに慣れてしまった感触、いや、焼き付いた感触の柄を取った。

 その瞬間にエイジの腕を伝い、呪紋からも濃密な黒いオーラが漂い始める。


「おおお、何だこれは……これ程の」


 柄が完全に顔を出し、刀身が姿を現すにつれ噎せ返る位の闇の気配が狭い店内に満ちる、それは人間の抱く暗い感情、恐怖や苦痛と言った類のものだが、そんな言葉にできる程優しいレベルの物ではない、どこまでも暗い負の感情、加えて悪い物だと解かっていても手を伸ばしたくなる欲求を引き立てる甘美な誘惑、カラメルを焦がしたような強すぎる甘い香りまで幻想させる。


「なにこれ、すごい……すごいッ、一体何をしたらこんな呪いになるの!?」

「落ち着きなさい可愛いキャロル、かと言って私も興奮を隠せない……こんな瘴気、古代迷宮の闇精霊だって霞む」


 まるで先ほどまでの気の強い様子が嘘だったかのように、まるで少女の様にはしゃぎ始めるキャロルと、呼吸荒く豊満な胸を机で潰しながら、身を乗り出すヴァネッサ。


「ぐッ、が……あぁ、ああああああッ!」


 美人二人から注目を浴びているというのに欠片も嬉しくないのは何故だろう、黒剣の全身をマジックバックから出すのは一週間振りだが、大分薄らいでいた両腕の激痛を思い出させる、真っ黒な魔力が呪紋をまるで水路を流れる濁流の様に巡り、熱湯が腕に流し込まれているような、痛みを感じさせる。

 エイジは聖の魔力でその奔流を抑えようとするも、正しく焼け石に水、何とか正気だけ保てるも、エイジ本来の魔力を急激に消費させる事はそのまま疲弊に繋がる。


「想像以上だ……正直エイジ、君が扱える程度ならば、よくて封印指定級のアーティファクト位だと思っていた」

「すごい、なんて奇麗な剣……こんなの見たことないわ」

「キャロル、触らない方がいい……下手に触ると人間の意識なんて簡単に飲み込まれそうだ、それなのにエイジ、何で君はこんなものに触れて、正気で…いや生きていられるんだ」


 遂に黒剣の切っ先まで引き抜かれた、二人の随分な言い様に斬ってやりたくなる衝動が沸くが、そっと心の内に仕舞っておく。


「なんで…なんでしょうね、ヴァネッサさんでも……分かりませんか」

「ほう、その言い方はこの私への挑戦と受け取った、どれ握っているのも辛いだろう、ここに置くといい」


 カウンターの上に無造作に置かれていた物を、退かして長剣一本横にできるスペースを作った、その際色んなものが床に落ちて破砕音が聞こえたが気にしない。

 エイジは言われた通りに、黒剣を横にした。


「改めてみると、本当に禍々しいなこの剣は」

「何を言う、これほど美しい、いや…もはや芸術品と言ってもいいくらいの素晴らしい剣だ」

「教会なんかに見つかったら間違いなく封印指定ですよ……恐ろしく斬れそうな剣、てかギルドで喧嘩したとき後ろに手回してたけど、この剣使う気だったんじゃないでしょうね!?」

「喧嘩て、いや普通にナイフとかに手を掛けてただけだよ」


 そんなやり取りをしている隙に、ヴァネッサがそっと、その黒剣の銀装飾が成された柄に向け手を伸ばしていた、咄嗟に止める声を上げようとする前に。


 バキィッッ!


「な、何やってるんですか師匠!?」

「ふむ、なるほど…………なるほど」

「ヴァネッサさん、今のは」


 今までの興奮が一気に冷めたような、いたって真面目な表情で何度も頷き、黒剣に触れかけた右手の指先を撫でているヴァネッサ、そして左の指をちょっと振ればガラクタの山の中から何かが彼女の手元まで飛んできた。


「大変、大変に興味深い代物だよエイジ」


 そう言って何か魔術で呼んだのであろう手袋、薄い革製の、女性もののそれを右手に着け、改めて、今度は笑顔などない一切の余裕を捨てた様に手を伸ばす。


 指先が軽く触れた、銀色から染み出した真っ黒なオーラが手袋に絡みつくが、先ほどの様に激しく弾かれるような事は無い、そのまま柄を指先でなぞる様子をキャロルとエイジは何も言わずに見守る。

 そして一通り撫でまわした後、ヴァネッサは指先を離し、離れても纏わりつく黒い煙の様な物をふっと息で軽く飛ばし手袋を外し、大きくため息をついた。


「ど、どうでしたか?」

「あぁ、これは素晴らしい、これほど完成された呪いを私は知らない、恐らく世界中のどこにも正しい記録すら残っていないだろう」

「私も触ってみたいです!」

「よしなさいキャロル、直接生身で触れなければある程度は軽減できるのだろうけど、恐ろしく強力な防護魔術だ、これは一度持ち主として認められた人間にしか扱えないようになっている、つまりエイジにしか使えない」

「そう、なのか……」

「手にした人間の魔力に拒絶反応する様だ、何の魔力も持たない人間ならば直接触れなければ影響は少ないだろう、しかしそれではこの剣の力も使えないし呪いだけを受けるだろうがな」


 村では布に包んだだけで運んでくれたらしいが、そういう事だったか。


「見ろこれを、この店で一番闇属性のレジストを持つ道具を介してもこの有様だ!くっくっく」


 悪態をつきながらも一層楽しそうに笑ヴァネッサが、震える指先をキャロルに見せている。


「そして、それ以外に何が分かりましたか」

「なんだよ、もう少し余韻に浸らせてくれてもいいだろう、この黒魔女が闇の競い合いで道具に負けたのだ、記念すべき日だぞ」

「ヴァネッサさん……」

「わかったよ、まったく……キャロル、新しい茶を淹れてきておくれ」

「えぇ~、あたしにも手袋貸してくださいよぉ」


 まだ早いとキャロルをその場から遠ざけるヴァネッサ、店の奥に消えてゆくキャロルを見送ってからヴァネッサは小声で話し始める。


「このままではエイジは死ぬ、間違いなくね」

「はい、わかってます」

「ふむ、触れて分かった事だ、この剣はキャロルも言った通りに表に出せば即封印指定を受ける、危険な物だ、もしかしなくても持ち主の君は異端認定されて殺される」

「異端!?」


 異端認定。

 それは大量虐殺や危険思想の流布、禁術指定の魔術の行使から国家転覆を狙ったりと歴史上でもその認定が下された者は、極悪人として処理されてきた。


「そうだ、この剣に付与された呪い、その効果は……どんなものだと思うかね?」

「………剣を使う人間に、強い苦痛を与える、その代わりに力を与える」


 それはエイジが蜉蝣の団と対峙したときに感じた事だ、全身の激痛が増すごとに、剣の力が爆発的に増していった、そんな感覚を思い出す。


「そう思うのも無理はない、この指、表情には出さないようにしているが私も凄く、すっごく痛い……まるで何十本の針で刺されているような気がするよ」

「本当の効果は違うんですか?」

「違う、というよりはこの痛みは副産物だ」


 ヴァネッサが一度言葉を区切った、横たわる黒剣を見つめ、一度笑ったかと思うとすぐに表情を直して告げる。


「この剣の呪い、恐らく手にした人間の命を吸って力に変えている、この痛みはその際に身体が発する拒絶反応だ」

「命を……力に、つまり」

「そうだ、このままこの剣を使い続ければ、君は命を吸われつくして死ぬ、その呪紋はエイジの命、魂をこの剣に送る道の様な物だ」


 エイジはこのままでは与えられる痛みに耐えきれず、気が狂うか身体が壊れ始めて死ぬのだろう、そう思っていた……。しかしヴァネッサから告げられた真実はもっと酷い。


「聖の属性に対して適性のあるエイジが中和しながらでも、話に聞いた蜉蝣の団との戦闘、それと同じような事を後五回も行えば、まぁ死ぬだろうね」

「あと五回……」

「常人ならば一度でもこの剣を使って戦えば命を吸いつくされる、呪紋は全身を侵食し破壊だけをばら撒いてから死ぬのだろう、エイジは……今はまだ身体に不調はなさそうかな、強いて言えば絶え間ない激痛だろう、自分で触れて驚愕しているよ、よくもまぁ直接触れる事なんて出来る物だと」


 眼を閉じて心を落ち着かせると、襲い来る激痛の幻想、それ故に最近は睡眠が不規則になりがちなのだが、このまま黒剣を使い続ければ、もっと……。


「そこでだ、エイジ……少しの間ブレンドに留まるのだろう?だからそれまで、この剣を私に預けてみないか?再度『晩鐘の天秤宮』に誓っても良い、私は研究がしたいだけだ、触れることは出来たがとても振おうなどとは思わない、研究以外の用途に使わないことを誓おう」


「……………」


 考える。

 ヴァネッサはすでにこの剣について口外しないことを命を懸けて誓っている、そしてまだ出会ったばかりだが、この女が自分の探究心を満たすためだけに生きているような人間だという事も、理解している。


「お待たせしました、あたしを遠ざけての秘密の会話は終わりましたか?」

「あぁ終わったよ、ナイスなタイミングだキャロル」


 晩鐘の天秤宮で誓いを立てていないキャロルは遠ざけられたことも理解しており、ヴァネッサも隠そうとはしていない、確かにキャロルならついうっかり何処かで話を漏らしてしまうような気もするのだが、その様子にエイジは気が抜けてしまった。


「分かりました、どうせ急ぐことも無いですし、最優先するべき事はこの剣について良く知る事、ヴァネッサさんにお任せします」

「よし、心得た!任せるが良い、そうだキャロルよ」

「?なんでしょう」

「エイジの教育係を引き受けたのだろう?いい機会だ、そしていい経験になる、しっかりと面倒を見てあげるんだぞ、ラザロからの依頼に加えて師匠からの命令だ」


 紅茶を三つカウンターに置きながら、絶望的に嫌そう表状を見せるキャロル。

 エイジはあの壁画の城へ至るための鍵、黒剣を一度預ける事にした、最初はどうなる事かと思っていたが、今ではこの二人との出会いに運命的な何かを感じている。


 黄昏時が過ぎた街をキャロルに宿まで案内してもらいながら、帰路についた。




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