第12話
温かく紅い雨が降っている。
空中でその胴を切り裂かれ、上半身と下半身が永遠の別れを果たしたエルドリングと一瞬目が合った、最期の時まで奴は信じられないといった表情で、言葉にならない呼吸音を一つ上げただけで、終わった。
ぐしゃりと、肉に包まれた陶器が落下するような音を立て、術者の死がキーだったのだろう周囲の黒いスライムの肉片も散らばり不気味な煙となって消えてゆく。
「ハァ……あ、あぁ」
黒剣の切っ先が力なく地面に向けられる、その刀身の紅の火が完全に消え同時にエイジの身に呼吸すら難しいと感じるほどの倦怠感が襲い掛かる、しかし柄を握るその両手だけは力強く、まるでそこだけ自分の身体ではないかのように、肉が食い込む程に強く握られているのだ、まるでこの渦の紋様に操られているようだ。
『まだだ』
(そうだ、ここで倒れる訳にはいかない、だって……まだ、全員殺していないじゃないか)
脳内に直接響く謎の声に、途切れかけていたエイジの意識が引き戻される、しかし身体の方はもう限界なのだろうか、節々が悲鳴を上げ遂に膝から崩れ落ちた。
地面に突き刺した黒剣に縋る様にしがみ付き、祈る様に額を漆黒の刀身の腹に擦り付ける、そして力無く糸が切れた人形の様に横に倒れた、そして漸く、剣の柄から痛い程しっかり握られていた手が離れた瞬間、エイジの意識は途切れた。
(まだ、まだなのに……皆、アレッサン…ドル)
闇に沈む意識の最後に、自分を呼ぶ誰かの声が聞こえた気がした。
※※※
とある占領された家屋の中から、その様子を慄きながらも涙目になって見ていた人達がいる。
盗賊達の戯れで未だ生かされていた若い男女、どうせ殺すなら少しくらい遊んでからでも構わないでしょうと、下種な笑いを浮かべた筋骨隆々の大男が部下の労いの為に生かしておいた八人の命、そう……たった八人。
その中にメリルの姿もあった、その家屋はルゥシカ村の中心を通る大通り沿いにある、何れ残虐の限りの後に奪われる命を惜しみ泣き喚きたい一心を抑えつつ、皆一塊になり部屋の隅で寄り添っていた。
最初は何が起きたのかと、また新しく若い村人が捕らえられたのだろうかと思ったが、どうやら事態はもっと深刻な物らしい、人を殺す事などなんとも思わない盗賊達が一堂に恐怖の声上げているのだ、助けてくれと、化け物めと。
「何かあったのかしら」
「化け物……?」
凌辱後に打ち捨てられ村娘の一人が力なく声を上げる、メリルも盗賊達が化け物などとよく言えたものだと思った、お前たちの方がよほど化け物だ。
「あ、危ないよ、動かない方が……」
「少し様子を見るだけよ」
線の細い可愛らしい顔立ちをしていると村でも評判だった少年が、窓から外の様子を覗こうとしていた女の子を止めようとする、元来気弱な性格の彼はその子を止められなかったようだ。
「えっ……なに?あれ……ひッ!」
「…………どうしたの?」
窓の縁からそっと顔を覗かせた女の子が、小さく悲鳴を上げ尻もちをついて窓から離れた、何か恐ろしい物でも見たのだろうか、また誰かが無残にも殺されているのだろうか、もう一人が続いて窓を覗き込む。
「あのブロンドの子、教会のとこの子だわ……剣を持ってる」
「教会のって……エイジ君の事?」
その聞きなれた名前に、メリルは伏せていた顔を勢いよく上げる。
「エイジ?」
「そう、だけど……え、嘘でしょ!?」
「何よ、どうしたって言うの!」
メリルは縮こまっていた身体を起こして這いずって窓に手を掛けた、そこから見えた景色は、とても信じられない光景。
「エイジ、何……やってるの?」
この村ではあまり見かけないブロンドの髪は間違いなくエイジの物だ、今朝にも見たばかりだしあの服は彼が狩りに行く際いつも着ている物だ、血と油で汚れているが間違いないだろう。
メリルはエイジが生きていたことを女神に感謝するより先に、その異常な状況に思考が付いていかない。
エイジが剣を振う。
いやそれが本当に剣なのか最初は分からなかった、なにせ刀身が墨で染めたかのように真っ黒なのだ、エイジがそんな不気味な物を持っているなんて知らなかったし、彼の部屋で遊んでいるときも、そんな物騒な代物見たことがない。
エイジが弓と魔術を得意としていることは知っていたが剣も扱えるなんて聞いたことがない、それに彼に似合わない悍ましい渦の入れ墨なんて今朝まで無かったはずだ。
エイジが覚束ない足取りで次々と迫り来る盗賊達に向かっていく。
「駄目よ!エイジィ!」
メリメがそう叫んだ瞬間だ、彼の表情をチラと視界に捉えた、その顔を見てしまっては続く言葉は出てこなかった、なにせエイジはメリルの見たことも無いような形相で笑っていたのだ。
憤怒の形相の中で、確かに彼の口元は頬が裂けんばかりに歪められ、嗤っていたのだ。
エイジが前かがみに倒れそうになりながら高速で振られた剣が、大振りのナイフを突き刺そうと迫ってくる盗賊の男の身体を薙いだ、そして血飛沫を上げながらその男の身体は両断され崩れ去り、その肉塊を浴びながら次のターゲットを持っていた樵斧ごと切り裂いた。
「凄い……あれは、本当に教会の所のエイジ君なの?」
「た、多分…だけどあんなに強いなんて」
いつの間にか部屋の隅で固まっていたほとんどの人間が窓に張り付いてその様子を窺っている、メリルはそんな事気にもせずジッと鬼神の如く黒い剣を振り続けるエイジを見つめていた。
※※※
エイジは見知らぬ部屋に立っていた。
四方に立てかけられた小さな消えかけの蝋燭によって、その部屋が窓も無く密閉された小さな石作りの部屋である事がわかる。
部屋の中心には小さな魔法陣が紅の光を放ちその存在を示している。
その光を見つめていると、何故だろうか……その陣から目が離せなくなっていた、どこかで見た文様だと思う、歪んだ十字と広げられた翼に見えるその文様。
「そうだ、あの時……壁画の部屋にあった魔法陣と同じだ」
ついさっき見たばかりなのになぜ忘れていたのだろうか、あの部屋の事だってどうしてか遠い昔の事の様に感じる、不思議な感覚だ。
エイジは身を屈めてその魔法陣を注視してみる、さっき見た魔法陣とはずいぶんサイズが違うが間違いない、同一の物だと感じる。
そしてエイジの手が、ゆっくりとその魔法陣に伸ばされる、まるで何かに操られているような、糸に釣られた人形の様に、その指がそっと、紅の光に触れた。
その瞬間、その狭い室内は目も開けていられない程の紅に包まれ、誰かの呼ぶ声が頭上から微かに聞こえた気がした、そして顔を隠しながらもその声のする方向に顔を向けた瞬間、エイジの意識は足元が崩れ落ちる様な錯覚と共に闇に呑まれた。
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