第11話

 エルドリングが高らかに名乗りを上げた後、短杖を指揮者のように高く掲げた、そしてその動きに呼応するように周囲で蠢いていた黒い半透明の何かが、頭上で集まり一塊になっていく。


「水よ、闇よ!我が許に集いて全てを喰らう腕となれ!」


 人間の身体など簡単に包み込める程の大きさまで成長したその物体を見て、エイジは漸くその正体を思いついた。


「それは………まさか、スライムか!?」

「ご名答、勿論ただのスライムなどではありませんよ、主に肉類を好んで取り込む亜種、ベススライムの希少種であるナイトメア・べススライムです!」


 スライムというモンスターはその少ない個体数にもかかわらず広く一般にも知られているモンスターだ、水辺や湿度の高い森や洞窟などに稀に発生するのだが、液体ゆえの耐刃性と耐打性、高い水冷耐性を持っている。

 その大きさと危険度は個体によって異なるが、大きな物だとCからBランクや、場合によっては特異性を得たり人型となったり、Aランクモンスターとして扱われることもあるらしい。


「ぎゃああああ助けてくれええええ!」

「熱い、熱いんだよぉおお、何なんだこれはあああ!」


 エイジが回避に成功したナイトメアべススライムの腕が引き寄せられる、その触手の先端には三人の盗賊が首や足だけを出した状態で取り込まれており、そこからなんとか逃げ出そうともがいているがその中は水の様に掴み所がないらしく、その粘性によって張り付いたスライムの拘束は簡単に抜けられそうにない事が解かる。


「敵前逃亡は極刑です、かわいいこの子の餌になってください……あっはっはははははッ!」

「お前……味方なんじゃねぇのかよ」

「真っ先に切り殺そうとしていた少年が何を言っているだか、安心してください邪魔にならないよう、直ぐに溶かしてしまいますから」


 ついに引き寄せられた三人がエルドリングの頭上の大きな塊に取り込まれる、もはや頭部も埋まっており叫び声一つ上げることは出来ないが、半透明ゆえにもがき苦しみながら段々と溶解されていく様子が見えてしまう。

 仲間すら取り込み苦痛の限りを与えようとするエルドリングの所業に、エイジを昂らせていた熱が頂点を超え、逆に冷静な思考を取り戻させた。


「やめろ、やめさせろ!吹き荒れろ『エア・ショット』『エア・ハンマー』……弾けろ!『魔弾』」


 エイジの言葉に合わせて振るわれた腕と共に風の魔術と魔弾が放たれる、狙ったのは三人を取り込みじわじわとその輪郭を曖昧にさせていく一際大きなスライムの塊だ、別にその三人を助けようとしたわけではない、どの道自分で殺すつもりだったし死んで当然だとは思っていた、しかし。


「そんなの……人の死に方じゃねぇだろおおおおお!」

「あーっはははっははははあっははははッ!これが私に逆らた者の末路なんですよ!恐いですか、恐ろしいですか!?少年は時間をかけてゆっくりと殺してあげますからねぇ!」


 エイジの使える風属性の魔術で一番の力を持つエア・ハンマーもスライムの表面を幾らか波立たせただけ、魔弾もその衝撃を吸収されたかのようにして消滅する。

 エルドリングが杖の先をエイジに向けた、そして塊から二本の腕が伸ばされる、人の腕程の太さのそれを風の魔術を乗せた歩法で何とか避ける。


「まだまだいきますよぉ……ほらほらほらァッ!」

「くっそ、ぐ……オオオォアアアアアアアア!」


 杖の動きに合わせて次々と休みなく繰り出されるその触手、倒壊した家屋の柱や魔弾などの魔術を用いてやり過ごすのも限界がある。

 次第に濃くなっていく両手の紋様、それも手首をとうに超え肘にまでその範囲を伸ばしている、これ以上進ませるのは好ましくない事は本能的に分かるが、止める術が分からない、息が上がってきたし倦怠感が全身の激痛を思い出させる、魔力切れが近いのだ。


(はやく何とかしないと、召喚術なんてものまで使えるなんて……)


 召喚術や長時間継続して効果を発揮する魔術を使う相手の場合、術者を先に倒してしまうのは戦いにおいて一つのセオリーなのだが、このナイトメアべススライムはエルドリングの頭上に構えており奴の周囲にもその一部が囲う様にして展開されている、貫通力のある魔術を習得していないエイジでは、魔術によって攻撃を届かせることは不可能だろう。


「だったら簡単な事ッ!まずはそのでかいのを…………ぶった斬る!」

「その威勢だけは買いましょう!」


 今度はエイジの胴程はありそうな腕が伸ばされる、その攻撃を、エイジは敢えて避けない、黒剣を正中に構え、正面からぶつかりに行ったのだ。


(我武者羅だったけど、さっきこの剣で闇弾を斬った、つまりは魔力で出来た物を破壊する事だって可能なんじゃないか。スライムというモンスターは水属性の魔素で出来ているって読んだことがある…………だったら!)


 まずはその切っ先とスライムが接触するその前に、スライムの塊が散々になって弾けた、まるで剣の先端から見えない障壁の様な物が展開されているかのような広がり方だ。


「やっぱり!」

「ア、アンチマジックだと!?まさかそんな馬鹿げたものが」

「これなら行ける、うぉおおおおお!」


 黒剣を真っ直ぐにエルドリングに向けたまま走る、その間にも大小様々なスライムの触手が襲い来るが、躱せるものは回避し黒剣で切り払い弾き飛ばして突攻する。


「正面からが無理ならば……これならどうですッ!」


 エルドリングが短杖を大きく振るうと、エイジの周囲に弾け散らばっていたスライムの肉片が蠢き一斉に触手を伸ばして来る。


(躱せない、全部を斬ることも出来ない、なら)


「『ウィンド・ヴェール』!」


 エイジを中心に魔力を乗せた風が吹き荒れる、それ程強力な風ではない物の散らばった細かい肉片から伸びる細い触手程度なら十分に逸らせるし、その速度を鈍らせることは可能。

 その隙に黒剣で約二十本ほどのスライムは全て斬る。

 剣を握る両手に力がこもる、段々この剣の事が解ってきたように思う。

 振るうたびに激痛が走るこれは正に『呪い』と称して相違ない物なのだろうが、それ以上にこの凄まじいまでの威力、強度、速度、全てにおいて一級品以上、加えて魔術を払うなどと言う聞いたことも無い能力まで付与されている上に、どうやらこの能力はエイジの風属性の魔術まで打ち消してしまう様な無差別な物では無いらしく、むしろウィンド・ヴェールの風を纏う様に利用して剣速を上昇させるようなことも可能だ。


 剣が厄介ならばエイジ本体をと策を練ったのであろうエルドリングの全方位攻撃も不発に終わり、奴がその足を一歩引いた事が気配で分かった。


「こんな、こんな事が……お前たちも一斉に掛かりなさい!逃げようとするやつは全員取り込んでやるからなぁッ!」


 周りの盗賊達に増援を呼びかけようとも最初に捕まった不幸な三人以外はとっくに散り散りにその姿を隠しているし、残っている者も勇敢さから残っているのではなくエイジとスライムに対する恐怖で動けなくなっているだけだ、当然誰一人としてエイジに攻撃を加えようとする者はいない。


「くそぅ…くそぉおおお!僕に近付くなあああああ!」


 短杖を力いっぱいに振り下ろす、その頭上辺りの大きなスライム塊が鎌首をもたげ目の前の敵を圧殺しようと振り落とされる、が。


「お“お”おおおおおおッ!」


 エイジは剣を高く掲げ雄叫びを上げる、握る手の平から柄を通し刀身に向かって全身から何らかの力が吸い取られていくような感覚、その代わりに与えられるのは悲鳴を上げる程の痛み、苦しみ……そして力。

 黒剣の刀身が燃え上がる、まるでエイジから吸い取った何かを燃料にしているかの様に紅の瘴気が立ち昇る。


「グゥあぁあああああああ“ッ!!!」


 振える足を力強く一歩踏み込ませ、掲げた黒剣を振り下ろす。


 パァアアアアン


 スライムを斬った感触を味わうのは初めてだ、勿論人間を斬った感触だって今日知ったばかりなのだが、少し柔らかい肉の塊を斬ったような気分だった。

 目前まで迫っていたスライム塊は切り口をグパッと開いた後、一瞬体積が増した様に盛上り、爆発四散した。


「くッ、熱……」


 飛び散った黒いスライムの肉片が辺りに降り注ぎ、その一部がエイジの背中に当たると、強い毒に触れたかのように熱を持ち、ジューッと肉の焼けるような臭いを立てて肌を焼いた、しかしそれも全身の激痛に紛れ次第に気にならなくなる。


 エイジは踏み込んだ足をもう一歩、更に一歩と段々に速度を上げながら、もはや身を守る物は何もなくなったエルドリングの元へと駆ける。


 気味の悪い雨の様にボタボタと地面に叩きつけられ動かなくなるナイトメアべススライムの残骸を、信じられないと言った様子で見ていたエルドリングだが、自らを貫こうと迫る凶刃を前に狂ったように笑い始めた。


「ヒ、ヒヒ……ヒィアっはははははっはっははははは!」

「今更気が狂った所で、お前はもう死ねェッ!」


 エイジは跳んだ、父さんの仇をこの手で葬り去る、その意思だけが未だ意識をつないでいるのだ、この刃がこの狂人を切り裂いた後は確実に意識は途切れ、狂いそうになる苦痛を思い出しのた打ち回る事は予想出来ている。


(だから!後は!どうなってもいいから!)


 その額を狙い、紅のオーラを燻ぶらせている黒剣を、振り下ろして終いだ。


「甘いんですよぉ!ガキがッ!『闇杭』イイイイィ!」

「分かってたよクソ野郎があああッ『光盾』ッ!」


 エルドリング最期の足搔き、起動の魔力を殆ど感じさせずノータイムで放たれる下級上位の闇属性魔術と、エイジの事前に待機状態にしていた、残る魔力を全て注ぎ込んだ渾身の聖属性防御魔術がぶつかり合い、白と黒に彩られた激しい魔力光を発生させる。


「く、はぁあああああああ!」

「お、おぉ……おぉおおおおおッ!」


 アレッサンドルに初めて教えてもらった魔術、あの時の彼の言葉が脳裏に浮かんでくる。


『これは、正義を成すための魔術』

『正義?』

『そうだ、聖の力は祝福と正義の力、悪を成すものは決して扱えぬ』

『祝福……正義……』

『エイジ、お前がこれを習得できたことを誇りに思う、後は祝福があらん事を』


 エイジは黒剣で盾と拮抗していた闇杭を斬った、勿論その隙にエルドリングに体勢を立て直す暇など与えない、着地してもその足は止まらず、一足で奴の懐まで潜り込んで渾身の力を持って蹴り上げる。

 そのローブには何らかの防御魔術が施されていたのだろう、その衝撃が分散されたのが分かったが、その身体が浮き上がるのは止められなかったようだ。

 もう魔術を起動する暇は無い、空中ではその一閃を避ける事も不可能。


 闇よりも黒い一撃が、エルドリングの身体を凪いだ。




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