第5話

 アレッサンドルの胸部を貫いた闇杭やみくいが、黒と紫の粒子となって消える、そして噴水の様に夥しい量の血が神聖なる聖堂の床を、真っ赤に染め上げる。


「父さん!」

「来るなぁッ!!」


 エイジは今まで隠れていた窓を破る勢いで聖堂の中へ入ろうとするが、それは突然現れた見えない光の壁によって阻まれた、アレッサンドルは明らかに致命傷を負っているにも関わらず、未だ地に伏すことなく、震える足で立ち続けているのだ、そして鋭い眼光がエイジを真っ直ぐに捉えている。


「『聖棺せいひつ』……エイジ、そして皆の者、逃げるのだ、こ奴らは今暫く此処へ閉じ込める」

「父さん!なんで!そんなことしたら……逃げなきゃ!」

「良い、エイジ……すまない……お前と出会えてなかったら俺は」

「何言ってんだよ父さん、そんなに血が、駄目だ駄目だよ!」

「もう助かりませんよ、『闇杭』」


 いつの間にか光の壁越しにローブの男がエイジの目の前にいた、そして放たれた魔術は茉央の目の前で完全に静止している、そして消滅した。


「うわぁ!」

「やられましたねぇ」

「先生、こいつはどうなってんだ!出られねぇぞ!」

「文字通り命を賭した故の魔術、なんでしょねぇ……これほどの強度の結界、しかも対象は私達のみ、そんなもの見たことも無いです、大変興味深いが、あの神父様の最期の悪足搔きです、じきに消えますよ」

「ならいいんだけどよう、でも先生、目撃者は村人含めて全員消すって話じゃなかったか?もう裏口から皆逃げちまってるぜ」

「ソコなんですよねぇ」


 数メートル先での二人の会話でこの魔術がアレッサンドルの全てを賭した、最後の魔術であることをエイジは理解した、アレッサンドルはいつもと変わらない厳格ながらも優しい視線でエイジをじっと見つめている。


(エイジ)

「父さん……そんな、こんな別れってないよ、僕は、もっと父さんと」

(お前と出会えて、俺は……許されぬ罪人である俺が、贖罪を神に救いを求めるだけの愚かな俺が、こんなにも穏やかな、幸せな時間を過ごせたのは、エイジ……お前のお陰だ)

「何を、言ってるんだよ……父さんが罪人なわけないじゃないか、だって父さんはあんなに」

「早く……行け!エイジ!」


 それは念話では無く、アレッサンドルの最期の肉声、既に命を終わらせつつある彼の、最後の言葉となった。

 エイジは窓から顔を離した、アレッサンドルは笑っていた。


「父さん、父さん、あああああああああッ!」

(何度でも言おう、エイジ、ありがとう……そしてさようならだ)

「ああああああ、うあああああああ!」

(お前と過ごした日々、たとえ冥府に堕ちようが、俺は笑って逝けるだろう)

「いやだ、嫌だよ父さん、なんでだよ!」


(ありがとう、エイジ)




 ※※※




 エイジは山の中を無茶苦茶に走っていた、アレッサンドルからの念話はすで途切れている、心の中で何度呼び掛けても、追っ手の事などいとわず大声で彼の名前を叫んでみても、もう答える事は無い。


「逃げる、父さん……うぅ」


 木枝で傷つく事など気にせず、エイジが向かう先は偶然か習慣か、無意識のうちの事か例の洞穴に向けて走っていた。

 兎に角、あの壁画の前に行きたかったのだ、それ以外にもアレッサンドルがどうなったのか、聖堂にいた他の人たちは無事に逃げられたのか、様々な事が頭の中に浮かんでは消えてを繰り返す。


 気が付けば絶壁岩肌の前にエイジは立っていた、フラフラになりながらも壁を伝いながら、ゆっくりと進んでいたが、不意に誰か、人間の気配を感じた。

 咄嗟に身を低くして周囲の様子を窺うと、そこまで離れていない山の下方に、ボロ着と雑多な武器を持った三人組の男、その姿を発見する事が出来た。


「本当にこっちなのか」

「間違いねぇって、おらぁ目が良いんだからよ」

「だけど見失ってんじゃねぇか、このポンコツが」

「あぁん!?木偶の坊がなぁに言ってやがる!」

「静かにしろ!見つかっちまうだろうが!」


(追手だ、もうこんな所まで)


 正確には教会から追ってきたのではなくルゥシカ村の周辺を探っていたグループの一つだったのだが、エイジは当然知る由も無い。

 草木の隙間から様子を窺いつつ、溢れ出しそうになる涙と嗚咽をグッと堪えて、岩肌の亀裂へと身体を滑り込ませた、そこに一先ずは身をひそめながら一呼吸、地下へと続く階段から吹き上げられる冷たい風が、濡れた頬をさらに冷たくする。


「…………?」


 ふと、背後から何か、呼ばれた様な気がして、エイジは振り返る。

 しかしそこにあるのは当然、薄く発光する鉱石で彩られた不気味な階段だけ、気のせいかと再び外に意識を向けた時。


「………ッ!何だ?」


 また聞こえた、今度はさっきよりはっきりとした音で、何かの声だった。

 まさかもうここが見つかっていたのか、と警戒したが、亀裂内部は特に荒らされた形跡はないし、石階段に積もる砂埃には足跡が付くのだが、どうも先程エイジが昇ってきた跡が最後の様に見える、日ごろから自分以外にこの場所に入る物がいないのかと、警戒していたエイジは直ぐに分かった。


「やっぱり、でも誰かの声がする………呼んでる?」


 エイジは徐に腰を上げ、石階段を普段よりゆっくり一歩ずつ下っていく、勿論警戒はしているのだが、どうにもこの声はエイジにはそんな悪意のあるような物には聴こえないのだ、ただ助けを求める様な、喜びの色の様な、害のある人物とは不思議と思えなかった。


 次第に階段を下る速度が上がっていくのをエイジ本人が理解できているのか、暗い地下へ進むごとに声は、しだいに大きくはっきりとしたものになっていく。

 エイジは駆け出した、もはや頭の中には早くこの声の元へ行かなくては、そんな思考しかなかった、そしてドーム型の広間の床が見えてきたところで。


「あっ!!?」


 急に足が縺れて、エイジは階段を駆け下りながら頭から転倒してしまう、咄嗟に腕で頭は守ったが、その勢いは止まらず、硬い石の床に頭から滑り込む形になってしまった。


「いッ……痛ぅ、ぐ……くッそぅ」


 対象の居ない悪態をつくも、鈍い痛みだけが返ってくる、暫し蹲っていたエイジだが前方の祭壇の上が、なにやらいつもより明るいような気がして顔を上げる。


「……わ、凄い」


 床に伏せながらもエイジは頭だけ上げて、王城の壁画を見た。

 磨いたように滑らかな壁は、天上の大きな光る鉱物に照らされ、普段から輝いて見えるのだが、これは違う。まるで絵そのものが光を放っているかのように、壁の後ろから光が透過しているかのように、後光に照らされているかの如く神秘的なその光景は、城を見上げるエイジに痛みを忘れさせた。


『………求めていた』

「え……?」


 不意に、女とも男とも解からぬ声が、エイジの耳に届く。

 陶酔していた意識は引き戻され、辺りを見渡すが、相変わらずの広間だ、警戒した侵入者もいなければ他に誰かが踏み入った形跡も無い、ただいつもより美しくなった城だけだ。


『資格を………持つ者』

「だれ!?誰かいるのか!」

『解き放て……解放を望みし者、最も暗き力こそが、純粋なる願いを叶える事が出来る………さぁ、求めよ』


 その声はあらゆる方向から聞こえてきて、正確に位置を察知することは出来なかった、しかしその声を聴いていると、なんだろうか、胸の内でエイジの意思と違う力で、様々な感情が浮かんでは消えてゆく。

 不安、恐怖、劣等、恨み、悲しみ、焦り、困惑、後悔、無念、嫌悪、不快、不満、羞恥、嫉妬、絶望、憎悪、苦しみ、怨み、怒り、罪悪、空虚、殺意。


「ぁ、あああ、ああああ……うわあああああああ!!!」


 エイジの脳裏にアレッサンドルの胸に杭が突き刺さる瞬間が、何度も何度も何度も何度もフラッシュバックする、ケイルに突き立てられたナイフ、ノーブルの頭が斧で割られ、拘束されたメリルが火にくべられる、思い出したくない光景も見覚えの無い光景も、最悪の想像がエイジの脳に直接叩き込まれたように、何度も再生される。


 跪き、頭を抑えながら慟哭どうこくの絶叫が狭いドーム内に木霊する、響き渡る。

 そしてその叫びに反応するかのように、王城へ至る道が、エイジを憧憬という暗闇に案内したその壁画に、少しずつ、ヒビが入っていく。

 エイジは絶望に彩られた脳でそれを認識していた、これから旅立つための大切な指針、一目だけでも自分の眼で見たいと夜ごと願い、夢に思い描いたその城が、音を立てて崩れ去った。





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