第4話

 走った。

 この季節、普段なら涼しさを感じる山道だが、今は下方から昇り来る熱気と、木材の焼ける嫌な臭いで満ちてとても不快だ。

 いつもなら行商隊なども通る比較的舗装された道に出てから、村の正門に向けて歩くのだが、緊急かつ最悪な事態が起こっていると仮定して行動しよう、エイジは公道へは出ずに木々の生い茂る悪道をひたすら走った。


「はぁ、はぁ……いったい何が」


 村に一番近い雑木の中、茂る草に隠れて村内の様子を窺う。


「なんで、あれは……盗賊、盗賊だ!」


 彼方此方に見知らぬ男達の姿を確認できた、薄汚れた服装に革製の防具、油分と汚れに塗れた顔は恐ろしい、屈強な男達、近隣の村にもそんな風貌の人間はまずいないだろう。

 家に火をつける、扉を斧や角材で壊して押し入る、そんな残虐極まる行動からまず盗賊の類と見て間違いないだろう。


「あ、あれはケイル………ああああッ!」


 見える範囲で一番近い家の中から、一人の男の子が飛び出してきた、計量屋を営むケイルの家、主に搬入にしか使われないであろう裏口から飛び出してきた六歳になったばかりのケイルは、両親の名前を叫びながら村の入り口の方向へ駆けだした。

 エイジがこっちの森の方向へ来いと声を上げようとした途端、ケイルの家からボロ着を纏った盗賊が一人、ケイルを追うために出てきたのだ、立ち上がりかけていた身体を咄嗟に隠す。

 まだまだ子供の足と大人の足、当然のようにすぐに追いつかれてしまう。

 そしてエイジは見てしまった、男の握る大振りなナイフが、ケイルに追いつくと同時にその後ろの首筋に深々と突き立てられた、男は笑いながら立ち止まった、誰が見ても致命傷を負ったケイルは、そこから二歩だけ歩き、顔だけ後ろを振り返りながら、前かがみに倒れた。


「あ、あああああ…………ケイル、なんて、事を」


 ケイルを殺した男の笑い声が周囲に響く、あまりの不快さに意識から外そうとするが、村中から絶叫と咆哮が、至る所から聞こえてくることに気付いてしまった。

 エイジは最悪の状況を思い浮かべる、こんな辺境の小さな村に、まさか盗賊団が襲いに来たのか、おそらく相当数の不届き者に攻め込まれているのだろう。


「ハッ、父さん……父さんは?」


 村の中心から大分外れているとはいえ、盗賊の類が教会を襲わないわけがない。

 彼らの多くは信仰に対して過剰に敵意を示す、自分を救ってくれなかった神、誤った道を歩ませた責任を、そんな世迷言を高々と叫びながら教会へ火を放つ、神の像を倒して壊す、そして磔にされ公衆に晒されるのは神父などの聖職者だ。

 負の思考がエイジの脳内を駆け巡る、足を掴まれ引き摺られていくケイルに小声で謝って、エイジは教会へと急いだ。


 ※※※


 村の外れにある小さな教会、エイジとアレッサンドルの家。

 教会の裏手と片側面は木々が近くにある、鉱山や小山にもそのままつながっている浅くは無い森の中の悪道を、生まれ育った庭だと言わんばかりに、エイジは裏道抜け道を駆使して生涯で一番急いで帰宅の道程を走った。


「ついた、父さんは……扉が開いている、聖堂に誰かいるぞ」


 先と同じ様に草木に紛れて聞き耳を立てれば、聖堂の中から数人の怒号が聞こえてくる、そしてステンドグラスごしには幾つもの人影が見える。

 内で何かが起こっている、瞬時にそう確信したエイジは足音を立てないように走り、農具などを入れている木箱の上に飛び乗った、そして窓の一つから顔をそっと覗かせ、中の様子を窺う。


「何度言われようともそんなものは此処にはない、金銭なら幾らでも持って行け」

「そうは言ってもねぇ、私の勘だと教会ってのは怪しいんだよねぇ、なんか秘密の地下道とかあるんじゃないの?隠しても良い事無いよ」


 アレッサンドルと黒紫色のローブを纏った男が話しているのがまず見えた、そして聖堂の奥、女神像の前には避難してきたのであろう何人もの村民が、集まり身を寄せ合っている、ローブの男の後ろには入り口を囲うようにして何人もの小汚い男たちが、ナイフや斧などの武器を持ちながら立っている。

 アレッサンドルは皆から一歩前に出て堂々とした態度で、盗賊団のボスなのだろうか、ローブの男と対峙しているのだ。


「立ち去るのだ、田舎など実入りの無い場所……金貨などありはしないが収穫後の作物の類は、売りに出す前だ、お前たちの飢えを満たすには十分であろう」

「へへっ、勿論それも頂くがよう、こちとらそんなもんの為にこんな辺鄙な所まで足を運ぶほど暇じゃねぇんだ、なぁ先生、さっさと皆殺しにして総洗いすれば解決ではないですかい?」

「僕はそれでもいいんだけどねぇ、君は分からんだろうけどコレ、結構重要な調査なんだよ?出来るなら万全を期したいじゃないの」

「まぁ先生がそう仰るなら……」


 後ろに控える盗賊の中から比較的装備の良い、大斧を構えた一人だけ鎧姿の大男が一歩前に出てローブの男に話しかけた、どうやらあのローブの男は『先生』などと呼ばれているらしい。


「そういう訳なんだけど、さっさと知ってる事あったら教えてよ、じゃないと本当に皆殺しになっちゃうよ?」

「教会を暴きたいならば幾らでも探しつくすが良い、古い物だ、お前らが何を探しているのかは知らんが、私の知らない事柄もあるかもしれん」

「んー、なんか本当に知らないみたいだね、こりゃぁ村長さんを先に殺しちゃったのは失敗だったかね」

「仕方ありませんでしょう、老いぼれがいっちょ前に抵抗してきましたんで」

「お前達、いやお前は何を探しているのだ、『太古から伝えられる何か』とは、何のことを示しているのだ」


 先生ことローブの男はアレッサンドルの質問には答えず、ただニヤニヤと笑うだけ、そこでアレッサンドルとエイジは一瞬だけ目が合った気がした、エイがは咄嗟に顔を隠したその時。


(エイジ、聞こえるかエイジ)

「と、父さん!」

(声を出すな、隠れながら話を聞くのだ)

「…………」


 頭の中にアレッサンドルのいつもの声が直接聞こえてきたのだ、アレッサンドルの魔術だろうが、エイジは彼が念話など高度な魔術を扱えることは知らなかった、突然の事で吃驚したが壁を背に縮こまり口元を両手でふさぎながら何度も頷く、それが見えないアレッサンドルに通じているかは分からないが、話は続く。


(村の状況は見たな、こいつらはただの盗賊じゃなさそうだ、恐らくはエルドレッドの王都周辺を根城にしていると噂の、蜉蝣かけろうの団……その一隊だろう、この男の鎧に刻まれた紋章に見覚えがある)

「………」


 蜉蝣の団、主に南地方の移民達で構成されているという、盗賊団だったとエイジは記憶していた、十数年前の王国が出した移民掃討令いみんそうとうれい、その生き残りが彼らなのだ。

 アレッサンドルの言った鎧の男とは大斧を担いでいる奴の事だろう、だったらそんな人物に先生と呼ばれているローブの男は一体何者なのか。


(分からないが、魔術師であることは間違いない、どうもきな臭い話になっている様だ)


 この念話はエイジの思考もアレッサンドルに通じているのだろう、エイジの考えた事に対して返答が返ってきた。


(エイジ、此処は私が何とかしよう、だから逃げるのだ)

「そんなッ」

(旅立ちの日にしては最悪だが、急ぐのだ……何とか聖堂に引き付けている間に、私達の家を荒らされる前に、準備は出来ているのだろう?)


 矢張りというか、アレッサンドルは全てお見通しだったらしい、しかし何とかすると言ってもどうしようというのか、村の方向では変わらず火の手が上がり、幾つもの家屋を焼き尽くそうとしている、この場をどうにかしてやり過ごしたとしても、盗賊達はまだまだいるのだ。

 そんな緊張に、聖堂内で母親に抱えられている赤ん坊が大きく泣き声を上げた。


「大事な話をしているというのに、耳障りですねぇ………『闇杭やみくい』」

「むッ、『聖盾せいじゅん』!」


 突如念話が途切れた、エイジが再び聖堂内を覗き込めばローブの男の突き出された手から、その着物と同じような黒紫色をした杭が放たれ、アレッサンドルの目の前で静止している、咄嗟に間に割って入ったアレッサンドルの防御魔術による防御だ。


「ッ、ほう」

「子供に向け……何という事を、女神の御前で口汚いが、この外道めッ!」

聖魔術せいまじゅつ……実に神父らしい属性じゃないですか、元より見逃すつもりはありませんでしたが、こんなところで魔術戦が出来るとは……嬉しいですねぇ」

「皆、下がっていなさい!出来るだけ一ヶ所に固まるんだ!」


 男はローブの中から徐に、一本の杖を取り出す、先端に薄紫色の宝石の付いた一尺ほどの短杖だ、そして小さく呟かれた言葉に反応して宝石が怪しい光を帯びる。


「次はもっと威力を上げますよぉ?頑張って防いで下さいね」


 そして振るわれた杖の軌道上に出現したのは三本の『闇杭』どれも先ほどの魔術より鋭利で一回り程大きいサイズとなっているのが分かる、アレッサンドルの表情に焦りの色が浮かぶ、出現した杭の一本は真っ直ぐアレッサンドルに向けられているのだが、他の二本はその後方、身を寄せ合うだけしか出来ない村民に対して向けられているのだ。


「はぁあああ……『聖壁せいへき』!」

「貫きなさいッ!」


 アレッサンドルが使った魔術は聖壁、聖盾よりも広範囲に対応できる聖属性の防御魔法だ、しかしより広くをカバーできる代わりにその防御力は聖盾に若干劣る、しかし闇杭を応用させたその範囲に対応するためには、この方法しかない。

 両手を大きく広げ、絶対に自分後ろの人々を傷付けさせないという強い意志を魔術に乗せ、三本の闇杭はアレッサンドルの前で、激しい魔力の火花を弾けさせながら、その力は拮抗していた。


「父さん!」

「おぉ……いい魔力ですねぇ、一端の冒険者でもこれを防げる魔術師は中々いませんよ」

「ぬぅう、おおおおおッ!」

「しかし限界ですかね」


 闇杭のその尖端が徐々に、光の壁に埋まっていく、やはり無理があったのだ、しかしアレッサンドルは諦めるようなことはしない。


 彼は聖壁に広げていた魔力の比率を変えた、三か所に均等にしていた力の配分を二か所に絞った、そう二か所……アレッサンドルの後方を狙っていた闇杭を、一段階強化された聖壁が完全に防ぎ切った、そして。


「ごふッ、逃げる……のだ」

「そんな、神父様、そんなッ!」

「あーーーーっはっはっはぁ!なぁにやってるんですか神父さまぁ、流石は聖人ですねぇ、身を挺してまでそんな……はっはっははははは!」

「父……さん?なんで、そんな」


 当然壁の薄くなったアレッサンドルの前方の聖壁は脆くも崩れ去り、抵抗が消えた闇杭はその胸の中心に、深々と突き刺さっていた。



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