霧島の車

尾八原ジュージ

霧島の車

 僕の友人の霧島はおかしな奴だった。何しろ自家用車が異様に汚いのだ。


 彼はその頃、街中でよく見かけるような小型の普通自動車に乗っていた。腕のいいフリーのSEで、同い年の平均収入よりもよっぽど高い年収を稼ぎだす一方、仕事に煮詰まると、その自家用車で漫然とドライブに出かけることがよくあった。


 そのドライブの序盤で、霧島は必ずと言っていいほどコンビニに立ち寄り、おにぎりやパンなどの軽食やスナック菓子、アイスクリーム、それに缶コーヒーを何本か買う。そして飲み食いしながらマイペースに、夜の山道や人気のない一般道を走るのだ。


 その際出たゴミを、彼は後部座席にうっちゃっておく。そしてそのままほったらかす。中身のないおにぎりやサンドイッチなどのパッケージ、空になったスナック菓子の袋や味のしなくなったガム、コーヒーの空き缶……そういったゴミが、後部座席や座席の下に積み重なり、こんもりと山を作っていた。


 一見強烈な腐敗臭がするものはなさそうだが、まさに塵も積もれば山となる。古くなったそれらのゴミが積み重なると、一種異様な臭いが車内に立ち込めてくる。特別潔癖な人でなくても、心地よく乗っていられる者はほぼいない。僕もそのひとりだった。


 僕は一度、彼の車について尋ねてみたことがある。


「いつ頃からゴミ溜めてんの?」


 霧島は平気な顔でこう答えた。


「確かこの車、買って6年くらい経つんだけど、その間一度も捨ててないよ」


「ひえ~」


 話を聞くだけで全身が痒くなってくる。


 6年間の歴史を持つ得体の知れない堆積物が、後部座席でカサカサと音を立てる霧島の車は、影で「モンスターマシン」と呼ばれていた。




 このモンスターに、平気で乗せてもらっていた男がいる。霧島の幼なじみで、河野という。


「そんなに気にならなくね? まぁ、ちっと臭いけど」


 と平気な顔でのたまっていた河野はペーパードライバーだったので、運転好きでフットワークの軽い霧島に頼んで、あちこち乗せていってもらっては、ふたりで遊んでいたらしい。


 なのでこの話は、僕が河野から聞いた話だ。


 ある日のドライブのとき、何の気なしにバックミラーを見ていた河野は、はっと後ろを振り向いた。後部座席のゴミの山が、不自然に動いたような気がしたのだ。


「どうした?」


「お前、後部座席に何か生き物でも入れた?」


「いや入れねえよ」


 河野はじっとゴミの山を見守ったが、それはもう車の動きにつられてカサカサと音を立てるだけだった。気のせいだろうと彼は自分を納得させた。


 ところがその後も、同じことが何度か起きた。さすがに気のせいにしておくのが難しくなってきたぞと思い始めた頃、河野は再び霧島の車に乗る機会に恵まれた。とある道の駅に、ご当地B級グルメを食べに行くだけの旅である。


 車はいつもどおりのんびりと走って、広い駐車場の一角に停車した。さて降りるかとシートベルトを外したその時、背後でガサッと比較的大きな音がした。これには鈍い霧島も振り向いた。


 河野は何か黒っぽいものの端っこが、おにぎりのパッケージを跳ね上げ、堆積物の中に消えるのを見た、と思った。


 とっさに彼は、後部座席に身を乗り出し、ゴミの山に手を突っ込んだ。


 ゴリリ、というような感覚があった。


「いってぇ!」


 強い痛みを感じて、河野は慌てて手を引き抜いた。人差し指の付け根に丸く、歯形がついていた。


 極小の人間に噛まれたような痕だ、と思った。見ていると、うっすらと血が滲み始めた。


「どうした?」


 青くなった河野の顔を見て、霧島が尋ねてきた。河野は恐怖のあまり、何も言えずに車を飛び出した。


 霧島はわけがわからないという顔で、後を追いかけてきた。


「お前、何やってんの? ゴミに手ぇ突っ込んだりして」


「おい! 俺、噛まれたぞ!」


「は? 何に?」


「知らねえけど噛まれた! 見ろここ!」


 そう言われた霧島は、河野の手をとってまじまじと見た。


「なにこれ」


「だから噛まれたんだって! お前の車、やっぱり何かいるぞ!」


「いやいや、いないって! 大体こんな歯形の動物いるか? お前、変な冗談やめろよなぁ」


「はぁ!?」


「そもそもあんなとこに生き物なんかいるわけないのに、何が噛むんだよ」


「俺だって知らねえよ!」


 ふたりはその場で口論になり、腹を立てた霧島は河野を置いて、車で走り去ってしまった。


 河野はむかっ腹を立てつつも、タクシーと公共の交通手段を使って帰宅した。何度か霧島に連絡をとったが、すべて無視されてしまった。


 手に残った歯形は、何日か消えなかった。




 それから半年ほどが経って、僕と河野は霧島が行方不明になったと知らされた。


 普段通りゴミを積んだ霧島の車が、人気のない山道に放置されていたのが発見されたという。いつものドライブの途中、何らかの事情で下車した霧島に何かあったのではないかと思われたようだが、真相は未だにわかっていない。


「あいつ、行方不明なんかじゃなくてさ。後部座席にいた奴に食われちゃったんじゃねーかな、実際」


 河野は僕に、こっそりと囁いた。


 彼が聞いた話では、霧島の車は彼の家族によって売り払われたという。もちろん、後部座席のゴミはすべて撤去されただろう。


 そこにゴミ以外の何かがいたかどうかはわからない。


 霧島の行方は、誰も知らない。

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