ブルライド

 立ち並んだ倉庫の外れ、月明かりが照らす岸壁。

 積み上げたコンテナの陰に、おれたちはシボレーを停めていた。

 ここからなら、少し離れた所にある『ピア88』の出入口がよく見える。おれたち四人は車に乗り込んだまま、黙って『ピア88』の出入口を凝視していた。

 亜熱帯の湿気を含んだ空気が、屋根の無いシボレーに重くのしかかってくる。フジが腰の辺りを気にする素振りを見せた。

 背中に忍ばせた、黒い金属の塊。

 冷たい銃の感触を、おれはまるで自分の背中にあるように、はっきりと意識した。張り詰める緊張感。

 岸壁のコンクリートに打ち付ける波の音も、どこか低く澱んで、少しも涼しげではない。時折風に乗って『ピア88』の喧騒と、汚れた海の生臭い潮の匂いが漂ってくる。

 おれは腕時計を見ようと手首を上げたが、さっきジェイディーにプレゼントしてしまったのを忘れていた。おれの素振りを見て、マサが無言で自分の手首に巻いた時計をおれのほうに向ける。九時を少し回ったくらいだった。

 その時、大きな音でカーオーディオを鳴らしながら、赤い車がやって来た。車は『ピア88』の前に停まる。

 フジとリョウが互いに目配せし、おれとマサを振り返って、頷いた。

 奴らだ。

 エンジンを切って、奴らは車を降りる。女が一人。男が三人。けたたましい笑い声を上げながら店の中に入っていった。

 リョウが助手席のドアを開ける。フジが無言でリョウの左腕をつかんで引き留めた。リョウが目顔でフジに問う。

 フジが言った。

「奴ら楽しみに来たんだろう。飲ませてやろうぜ」

「楽しませてやる事ないだろう」

 リョウは反論する。が、フジは平然と座っている。

「酒でも飲みまくってもらって、あわよくば何かもらっとけば、こっちの思うツボだ。ベロベロのところをくらわしてやる」

「そんな汚い手を……」

 言いかけたリョウに、フジがかぶせるように言葉を続けた。

「正々堂々の勝負を挑みにきたワケじゃない。どんな汚い手でも使ってやる。おれとおまえが何をしにここに来たか、そいつを忘れるな」

 リョウは黙ってフジを見ていたが、やがて助手席のドアを閉め、シートに座りなおした。フジはダッシュボードに置いた煙草に手を伸ばし、一本抜き出して火を点け、煙を吐き出しながら何か呟いている。おれは運転席のシートごしに耳をすませた。

 フジは鼻歌を口ずさんでいた。『Real Wild Child』だった。

「やっと見つけた……やっと……」

 歌の合間にそう呟きながら、フジは小さな声で歌っていた。

 おれはミラーに映るフジを見た。店の出入口に目を凝らし、煙草を燻らせ、わずかに笑みさえ浮かべながら歌っている。

 小一時間ほどそうしていただろうか。フジが口を開いた。

「おれとタカで中に入る。リョウとマサは奴らの車を抑えておいてくれ。中でガチャガチャやるわけにはいかねえから、何とか外に連れ出してくる」

「ぶっぱなすなよ」

 マサがフジの背中の膨らみを見ながら言った。フジは頷く。

「当たり前だ。こいつは最後の切り札……ジョーカーだよ」

 フジが運転席のドアを開け、外に出る。少し足を引きずってはいるが、痛みはそれほどないようだ。フジの後に付いて、おれたちは車を降りた。店の入り口に近付くにつれ、喧騒がはっきりと聞こえてくる。

 おれたちはフジの歩調に合わせ、四人でゆっくりと歩いていく。昔観た映画のワンシーンが頭に浮かんだ。『ワイルドバンチ』。スローモーションで踊る銃弾のバレエ。

 扉の前でおれたちは二手に分かれる。フジが扉を開けた。

 趣味の悪い音楽が大音量で溢れ出し、おれは思わず顔をしかめる。音に合わせて明滅するビビッドな照明。長居したら気分が悪くなりそうだ。

 前を歩いていたフジが振り返り、おれの耳元に顔を寄せて大声を出す。

「女がカウンターにいる。裏口側を押さえてくれ」

 おれは頷いて店の奥に向かう。視界の隅でフジが背中から銃を抜くのが見えた。周りからは見えないように、女の脇腹に突きつける。おれは店の奥、裏の通用口への通路を塞ぐように立ち、周囲に目を配る。見えた。一人が表の扉から外に出て行き、もう一人もそれを追うように出て行く。さらにもう一人がこちらへ来た。おれに気付かずに横をすり抜けて逃げようとする。おれは左腕を伸ばして奴の腕を捕まえた。

「どこ行くんだよ」

 奴は一瞬怪訝な顔でおれを見た。目の焦点が合っていない。明らかに酒か薬に酔っている顔だ。おれがフジの仲間だとようやく気付き、喚きながら腕を振り解こうとする。

「離せよクソ!」

 おれは奴に引っ張られたついでに、右肘を奴の耳の下辺りに、右フックの要領で思い切り叩き入れた。いい所に入ったらしく、奴は昏倒する。

 一発入れたらスッキリするどころか、逆に怒りが込み上げてきた。襟首をつかんで立ち上がらせ、そのまま裏口に引き摺って行く。ドアを開けて奴を放り出し、ふらつく奴をまた立たせて、鼻っ面に頭突きを一発入れると、奴の鼻から鮮血がほとばしった。

「とりあえず、今のはいつかのグラスの礼だ」

 おれは言った。怒りが収まらない。収まるどころか次々と込み上げてくる。

「あれはおれじゃない……」

 言い訳に構わず、右腕で顎を下からかちあげた。上下の歯がぶつかる音がする。もう一発。今度は鈍い音。舌を噛んだようだ。

「おれじゃないだと? 人違いか? そいつは失礼したな」

 言いながら右肘をもう一発顎先に入れる。拳は使わない。指でも折ってベースが弾けなくなったら大変だ。意識朦朧とした男の襟を後ろから掴み、膝蹴りを入れながら歩かせ、表通りに向かう。

 おれじゃない、だと? きっかけを作ったのは、てめえらだろうが。

 表通りに出ると、奴らの車の脇に、マサとリョウが立っていた。二人の足元に、男が二人転がっている。おれが連れて来た男と同じように、顔中を血まみれにしていた。おれは転がる二人の横に、連れて来た男を放り出す。

 マサとリョウがおれを見て、少し安心したような表情を見せる。男たちを料理した後で、おれたち三人とも軽く息を切らしていた。

 マサが小声で囁いた。

「フジの作戦勝ちだ。こいつら、ラリッてやがる」

 店の扉が開き、中から女が出て来る。ミスコンだ。ミスコンのすぐ後ろに付いて、フジが出て来た。ミスコンの背中から銃を離して、自分の背中にしまいながら、転がっている男たちに近付く。

 ミスコンが男の一人を抱え起こすと、男は立ち上がり、フジに飛びかかって行った。フジは男を受け止め、腹に右膝を入れる。一発、二発、三発。崩れ落ちる男を両腕で支え、フジは顔を近付ける。

「三人とも随分いい顔に仕上がってるな、ええ? でもな、まだ腹の虫が収まらねえ。とりあえず四人揃って、手ついて謝れや。バカにも分かるように言ってやろうか? 土下座だよ」

 奴は焦点の合わない目で笑っていた。

「やなこった、またやってやるぜ、またこの前みてえにやってやる」

「そう言うと思ったぜ」

 フジは満面の笑みを浮かべながら右ストレートを入れた。男が仰向けにひっくり返る。おれは一瞬、フジが拳を使ったのかとひやりとしたが、掌の下の部分で殴ったらしい。

 フジは顔をしかめ、右手を軽く振りながらミスコンを振り返った。

「あとはあんただ。どうする?」

 フジは胸ポケットから煙草を取り出し、一本抜き出して、使い捨てライターで火を点ける。

「謝れって言うの? 私に?」

 ミスコンが言った。リョウがミスコンに向かって、諭すように言う。

「ここで転がってるこいつら、君の言う通りに、おれらを襲ったんだろ?」

 リョウの言葉を聞いたフジがゲラゲラと笑った。

「説教なんて無駄だぜ、リョウ。この女に良心の呵責なんてねえよ。あったらおれら、こんな所に来ちゃいない」

 フジは女の顔を覗き込み、煙草の煙を吐きかけた。女はみじろぎもせず、フジの視線を受け止める。

 フジが静かに言った。

「ちょっと運試しをしないか? おれらと」

 わけが分からないといった表情の女に、フジが続けて言う。

「向こうにおれらの車が停めてある。こっから端までどのくらいあるか知らねえが、波止場はまっすぐ海まで続いてる。チキンレースだよ」

 女は答えない。フジは構わず、コンクリートの上に転がる男たちに向かって声をかける。

「どうする、バカ男ども。バカ女を乗っけてチキンランだ。おれたちが車ごと海に落ちるの、見たくないか?」

 誰も口を開く者はいなかった。『ピア88』の扉の向こうから、相変わらず悪趣味な音楽が聞こえてくるだけだ。

 やがて、女が口を開いた。

「やるわ」

 フジはジーンズのポケットからピルケースを出し、ピンクの錠剤を四つ、女に手渡した。

「気付け薬だよ。さっき買ったんだ。おまえらジョイントか何かやってんだろ。しゃっきり目ぇ覚まして運転してもらわねえとな」

 フジはおれたちの方を向いて続けた。

「リョウ。悪いけど、おれらの車をここまで持って来てくれないか?」

 フジはリョウに向かってシボレーのキーを投げた。リョウは何も言わずに受け取って、おれたちのシボレーに向かって走る。

 リョウを待つ間、奴ら四人が、フジが渡した錠剤を飲んで車に乗り込んだ。運転席のシートに座るのは、さっきフジとやり合った男だ。

 リョウがゆっくりと、おれたちのシボレーを奴らの車の左側に付けた。腹に響くシボレーの排気音。奴らは車内で何やら話しているが、会話が聞こえるほど近い距離ではない。

 フジがシボレーの運転席に近付いた。

「サンキュー、リョウ。代わろう」

 フジは足をかなり引き摺っている。さっき右膝で蹴りを入れたのが堪えたようだ。リョウはフジの足を見て何か言いかけたが、そのままシフトレバーをまたいで助手席に移る。フジが運転席に乗り込んだ。おれはフジの後ろ、マサはリョウの後ろに、それぞれ乗り込む。

 フジはアクセルを空吹かしした。シートから、アメリカ生まれの鉄の心臓の鼓動が伝わる。

 マサがあきれたように首を振った。

「まさか、チキンレースとはね」

 フジはマサにニヤリと笑いかけ、また一本、煙草に火を点けた。

「女を殴りつけるってのは気が進まなかった。たとえクズでも、な」

「正々堂々の勝負を挑みにきたワケじゃない。さっき、おまえの口からそう聞いた気がするがな。しかもラリッた連中に気付け薬か。紳士的だ。実に紳士的だよ」

 おれがそう言いながら運転席のシート越しにフジの顔を覗き込むと、フジは肩を揺すって笑っていた。

「タカ、おれがホントに奴らにアッパーを渡すと思うのか?」

 ポカンとするおれたち三人に向かって、フジが種明かしをした。

「さっき奴らに渡した薬、おれの足の痛み止めだ。入院直後にもらったやつの残り。効き目が早くて強い。アッパーどころか、ダウナーもいいとこ。ダウナーだよ」

 おれはフジの顔をまじまじと見た。

 フジのヤツ、一服盛りやがった。

 こらえきれなくなったマサが、軽く吹き出した。リョウも肩を小刻みに震わせて笑っている。おれは苦笑しながら首を左右に振った。

 リョウを思い留まらせる為に、おれとマサはここに来た。

 そして、リョウと同じ動機でここに来たフジとも会えた。

 ところが、おれたちは今、奴らとチキンレースを始めようとしている。

 最初の目的とは、かなり違ってしまった。でも、おれはやっぱり、ここに来て良かった。

 四人揃っている。

 フジ、マサ、リョウ、そしておれ。

 ノー・ブレーキのラストライブは、やはり四人でないと始まらない。

「オーケー、ハイファイブだ」

 おれは運転席と助手席の間に右手を上げた。

「ぶちかまそう」

 三人が笑顔で、右手を合わせてくる。

 よし、行こうぜ。あのバーガー屋の牛たちのように、おれたちも野生の匂いを放とう。

 挽き肉になるのではない。猛り狂う雄牛になるんだ。

「タカ、カウントしな」

 フジが車の外に煙草を投げ捨てた。吸いさしがアスファルトの上に赤い火花を散らして跳ね、それを合図にしたように、波止場に響くエクゾーストがひときわ高くなる。

「いつものように、ノー・ブレーキで行こうぜ!」

 ノー・ブレーキのルールその二。ベーシストがカウントを出す。

 おれは奴らの車に向かって声を張り上げた。

「行くぞ!」

 二つのエンジンが、夜の湿った空気を引き裂くように咆哮する。おれは右手を上げた。いつものライブとは逆に数えるカウント。

「4・3・2・1……ゴー!!」

 コールと同時に右手を振り降ろした。二台の車がほぼ同時にスタートする。

 フジのペダルワークはタイミングばっちり。磨り減ったグッドイヤーが波止場のコンクリートを蹴りつけ、おれたちはシートに押し付けられた。シフトアップ。クォーターマイル先にある越えてはいけないゴールラインに向かって、暗い波止場を狂ったように駆け抜ける。

 シボレーの鼻先が奴らに並び、前に出て、引き離した。並んだコンテナの壁が流れるように、前から後ろにすっ飛んでいく。フロントガラスの向こうの夜空がぐんぐんと大きくなり、ゴールラインが近付く。

 フジはアクセルを緩めない。

 天国まであと三歩。エディ・コクランのところへ行くのか。マーク・ボランが乗ったミニのテールライトが赤く輝き、ブライアン・ジョーンズが青く冷たいプールに飛び込む。カート・コバーンを涅槃ニルヴァーナへと導くショットガン。トリガーを引くのはロバート・ジョンソンが十字路クロスロードで出会った男。

「フジ!!」

 おれはたまらず右手を伸ばし、サイドブレーキを引いた。バーが折れそうなほど強く。耳障りなスキッド音。テールが左に流れ、フジが咄嗟にカウンターを当てる。シボレーが止まるのと同時に、右から赤い車が、黒い海に向かってダイブするのが見えた。大きく、低い、水しぶきの音。

 訪れる静寂。

 気が付くと、おれはサイドブレーキを握ったままだった。おれだけではない。四人の手が、サイドブレーキを引いたまま固まっていた。

 最初に、リョウの手がサイドブレーキから離れた。止める間もなく、フジの背中から銃を奪い取って助手席に立ち上がり、汚れた水を湛えた、黒く暗い海を狙う。

 奴らの車は前半分が沈み、辛うじて這い出した四人が闇の中で溺れかかっている。両手で銃を握り、奴らを狙っていたリョウは軽く息を吐き、銃を下ろした。冷たい目で水面を一瞥し、座席に腰を下ろす。

 おれはそっと車の外を覗いてみた。シボレーは岸壁から十五センチ程で、車体を斜めにして辛うじて停まっていた。

 フジは煙草に火を点ける。

「いいのか、リョウ」

 そう言って深く吸い込むと、ため息と一緒に煙を吐き出した。

 リョウは静かに、吐き捨てるように言った。

「もう、いい。あいつらには、こいつをぶち込む価値も無い」

 フジは点けたばかりの煙草を海に放り込むと、暗い水面に改めて視線を送って、言った。

「月までぶち上げてやったぜ」

 エンジンをかけなおし、ギアをリバースに入れてシボレーをバックさせると、右に大きくUターンして、ゆっくりと波止場を出る。

 おれは肩越しに振り返った。

 海の上、晴れた夜空に、青い月が丸く大きく浮かんでいた。

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