よいおとしを
フジとおれは、街を隅から隅まで歩いて、奴らを捜し回った。
ジェイディーが『バビロン』と呼ぶこの街は、ひとつ路地に入ると、その名に
昼間から道端に古びた椅子とテーブルを持ち出してサイコロ博打に興じる連中が、澱んだ目をして酒を呷っている。
煙草の煙と、裏通り独特の饐えた匂いに目をやられ、おれとフジは気休めにサングラスをかける。娼婦らしき派手な出で立ちの女が、おれたちを見て目を丸くしていた。こんな所に来る日本人は珍しいのだろう。女の横をすり抜け、おれたちは路地を進んでいく。
しばらくそのまま歩いていくと、広い埠頭に出た。街の端だ。最果ての街の、さらに最果て。岸壁にコンテナ船が停泊し、立ち並ぶ倉庫にはコンテナを抱えたフォークリフトが出入りしている。
貨物船が何隻も入れそうな立派な波止場だが、働いている男たちの外見は、さっきの路地でたむろしていた男たちと大して変わらない。生気の無い目で、淡々と荷役をこなしている。
歩いているおれの視界の隅で、フジの歩調が少し遅くなった。
「どうした、フジ。痛むのか?」
フジが眉間にシワを寄せ、右足を少し気にしていた。
「ああ。ちょっと張り切って歩き過ぎた。少し休みたい」
「オーケー、おれの肩につかまれ。あそこに座ろう」
おれはフジの右腕を肩に担ぐようにして、岸壁の繋船柱に座らせた。
「こいつはボーダーのシャツを着た船乗りが足を乗せるもんだと思ってたぜ」
フジが大きく息をつきながら言った。
「別におまえのケツを乗せたって構わんさ。痛み止めは持ってるか?」
「あるよ」
フジはポケットから小さなケースを取り出し、錠剤をいくつか口に放り込むと、そのまま噛み砕いて飲み込んだ。
「ひどい味だ」
唸るような声を絞り出しながら顔をしかめる。
「失敗した。水を持ち歩けばよかったよ」
「後で買ってこよう。足を伸ばしたほうがよくないか?」
「このままでいい」
フジはもう一度、深く息をついた。
おれは腕時計を見た。午後二時を少し回っている。朝から五時間以上歩いたことになる。痛むのも無理はない。
その時だった。
「よお、あんたらかい。開店まで、まだずいぶん時間があるぜ」
荷役の男が一人、おれたちに近付きながら声をかけてきた。フジの知り合いかと思ったが、フジは不思議そうな顔をして男を見つめている。会ったことのない顔のようだ。
フジが英語で言った。
「誰かと間違えたのか?」
今度は荷役の男が不思議そうな顔をする番だ。
「……何だ、違うのか。日本人はみんな同じ顔に見える」
立ち去ろうとする男の背中に、おれは声をかける。
「待てよ。誰と間違えたのかって聞いてる」
日本人が少ないはずのこの街で、この男はおれたちではない日本人を知っている。
男は振り返ると、面倒くさそうに言った。
「うるせえな。おとといあたりから、この先のクラブで夜ごと遊んでる連中さ。クソみてえな連中だが、羽振りがいい。車で乗り付けて来て、朝まで遊んでいく」
「この先のクラブ?」
「埠頭の外れにある。まわりは倉庫ばかり。『ピア88』って店だ」
おれは笑顔を作って頷いてみせた。
「ああ、あの店か。やつらの一人を知ってるよ。何人で来てるんだ」
「女王気取りの女が一人に、取り巻きの男が三人」
男はおれに訝しげな視線を向けながら立ち去った。
おれはフジの肩を何度か叩いた。
「フジ、やったぜ。たぶん奴らだ」
「ああ、電話のある所まで戻ろう。クラブが開く頃に出直しだ」
おれは立ち上がろうとするフジに手を貸した。
いよいよ、ライブの始まりだ。
ジェイディーの携帯に電話して相談し、一度ジェイディーのガレージに集まる事にした。
日が傾きかけた頃、ジェイディーとマサ、リョウが戻って来る。
全員集合すると、フジは言った。
「ジェイディー、『ピア88』って店を知ってるか?」
痛み止めの錠剤を口に放り込み、ペットボトルの水で胃に流し込むフジ。
「きいたことない。どのあたり?」
「西の方の埠頭。倉庫街の外れ」
「ああ、それならわかる。うわさでは、ひどいところ。ドラッグ、ファック、ナイフ、アンド、ガン」
ジェイディーの口から飛び出す単語を聞いたマサが、抑揚のない声で言った。
「なるほど。そりゃあ楽しそうだ」
ジェイディーが表情を曇らせる。
「まずいよ。あそこ、このあたりのサイアクのクズれんちゅうのたまりば。ガンをうったら、うちかえされる。かくじつに」
険しい顔のジェイディーに、フジがなだめるように言った。
「店の中ではやらないよ。奴らを見つけたら、どうにかして外へ誘い出す。屋外ライブにご招待するのさ」
フジはテーブルの上の銃に手を伸ばし、シリンダーを振り出して弾を確認した。右足をかばいながら、テーブルを支えにして立ち上がると、ジーンズと背中の間に銃を差し込む。
「フジ、足が痛むのか」
リョウが言った。フジは笑みを浮かべながら頷く。
「今、痛み止めを飲んだ。今夜いっぱい痛まなければいい。おれの足の事は心配するな」
リョウにそう言うと、フジはジェイディーに向き直った。
「ジェイディー、車を用意できるかな」
「うん、できるよ」
「四人で乗れるヤツを一台、用意してくれ。歩きでは、今のおれには少しきつい距離だ」
「オーケー……よにん?」
「車を調達してくれたら、ジェイディーの任務は終了だ。おまえは残れ。おれら四人で行く」
ジェイディーは血相を変えた。
「なぜ!? ぼくもいっしょにいく! ぼくも、なかま。あんたたちのかたきは、ぼくのかたき。さいごまでいっしょ!」
フジは真剣な眼差しをジェイディーに向け、首を左右に振る。
「ジェイディー、おれら下手したら警察の世話になる。おまえも一緒に捕まっちまったら、おまえの家族はどうなる」
「でも……」
「ジェイディー、フジが言い出さなかったら、おれが言おうと思っていた」
おれは口を挟んだ。黙り込むジェイディーに、おれはなおも続ける。
「おまえや家族だけじゃない、タムも厄介に巻き込む事になる。おれら、ここまでじゅうぶん世話になった。ありがとう」
「タカ……」
ジェイディーの目に、悲しみの色が浮かんだ。おれは腕時計を外し、ジェイディーの手に握らせる。
「安物だけど、おれらが出会った記念だ。とってくれ」
そのままジェイディーと抱き合った。フジやマサ、リョウも、代わる代わるジェイディーと握手し、固く抱き合う。
「心配するな、ジェイディー。必ず戻る」
フジが力強く言った。ジェイディーは頷き、おれたち一人一人の顔を見て、ガレージを出て行った。
二十分ほどで、ジェイディーは驚くような車に乗って帰ってきた。
年代物のシボレー。薄いグリーンのコンバーチブル。埃と乾いた泥にまみれた上に、あちこちぶつけてへこんでいる。
見た目はオンボロだが、エンジンはいい音をさせていた。亜熱帯のこの国にいても、生まれ故郷の事は忘れていないとでもいうように、野太い排気音を轟かせている。遠く海を隔てた自由の国の鼓動が、ボンネットの内側からこちらの腹に響いてくる。
ここまで運転してきたジェイディーと握手しながら、入れ替わりにフジが運転席に乗り込む。
「フジ……大丈夫なのか?」
マサが心配そうに訊ねた。
「運転はいつもおれだろ?」
肩をすくめるフジに、マサがハンドルを指し示した。
「左ハンドルだ」
「誰か左ハンドルに乗り慣れた奴がいるか? いねえだろ。じゃあドライバーはおれだ」
リョウが助手席に乗り込む。心配顔のマサは、おれと一緒に後部座席に乗り込んだ。
「みんな、きをつけて」
ジェイディーがおれたちみんなと握手を交わす。
「みんな、きょうはニュー・イヤーズ・イブだよ。ぼく、きょうつかうにほんご、おぼえてる。よいおとしを」
おれたちは顔を見合わせて笑った。南の島で聞く、日本の情緒が溢れる言葉。生ぬるい風の向こうに、ほんの一瞬、しんと冷えきった日本の年末の空気を思い出す。
「良いお年を」
五人で何度も言い合った。フジはサイドブレーキを下ろし、ゆっくりと車をスタートさせる。ジェイディーはおれたちに向かって、見えなくなるまで手を振り続けていた。
よいおとしを、よいおとしをと繰り返しながら。
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