ここへ来た理由

 翌朝、マサとリョウはサイクルタクシーで出かけて行った。ジェイディーのリヤカーが二人に伴走する。

 おれとフジは徒歩で中心街へと向かった。途中、フジが説明してくれる。

「おれが昨日まで見た感じじゃ、この街、日中はさほど人通りが多くない。夜からが本番だ」

 フジが歩きながら煙草に火を点けた。右足はやはり多少引き摺っているようだ。背中に差した銃を少し気にするような素振りをみせる。

「じゃあ、下手にそのへん嗅ぎ回ると、目立つかな」

 おれの疑問に、フジが頷いた。

「この街じゃ、日本人はあまり見かけないからな。歩いてるだけで目立つよ」

「なら、奴らもこの辺りには来てないかもな」

「どうかな。この街のアクティビティは、奴らのようなバカが好みそうなものばかりだ。とりあえず朝飯でも食って、それから捜そうぜ」

 中心街に出て、手近な食堂に入る。今まで入った中で一番狭く、一番汚い店だ。

「ツー・ナシゴレン」

 フジが店の奥に向かって声をかけた。おれは軽く息をつく。

「そろそろナシゴレンにも飽きてきた。おまえはどうだ?」

「アンド・ツー・ビア」

 フジが付け加え、肩をすくめた。

「おれも飽きてきてたから、付け合せを頼んだ。それに、明るいうちに飲むビールは格別だ」

 店に他の客はいなかった。テーブルが三つきりの小さな店。先にビールが来る。何となく乾杯して、ひと口飲む。

 おれはビールがあまり好きではない。酒を飲むといったら、居酒屋で飲むチューハイくらいのものだ。

 しかし、この国で飲むビールは悪くない。日本のビールとは違う瓶の色に、海外の匂いを感じる。ほとんど映画でしか知らない外国の文化。吹き替え映画の口調になってしまうのも無理はない。

 おれはテーブルの下を覗き込んだ。

「フジ、足はどうなんだ」

 フジは軽く肩をすくめる。

「正直、少し痛む。けど、帰国するまでもてばいい」

 料理の皿が運ばれてくる。ひと口食べた。店は薄汚れているが、味は悪くなかった。

「リハビリするって言ってたな」

 フジは頷いた。

「膝から足首まで固めてたからな。リハビリで動かしておかないと、そのまま動かなくなる」

「こんな所に来てる場合じゃないんじゃないか?」

 フジはニッと笑って眉をあげた。

「足は二本あるからな」

「二本ないと不便だからだ」

 フジは笑ったまま首を振る。

「一つしか持っていないものを壊さないために、おれはこの国に来たんだ」

 フジはそう言って自分の胸を指差しながら煙草を消し、ナシゴレンを食べ始めた。

 おれはフジを見て、軽くため息をつく。

 無茶苦茶だ。

 だいたいおかしな話だ。マサの推理の通り、リョウとトモちゃんの仲をやっかんだ女が企んだ事だとすれば、なぜフジが襲われなければならないのか。

「ひとつ聞いていいか?」

 おれはフジに声をかけた。フジがスプーンを口に運びながらおれを見る。

「なんだ?」

「なぜおまえが襲われた? あの日、なぜ三人一緒だったんだ?」

 おれは思い切って質問してみた。

 しばらく黙って食べていたフジが、『あの日のこと』をぽつぽつと語りだした。

「一緒じゃなかったよ。あの日、外に出ようとアパートのドアを開けたら、いきなり誰かに頭を殴られた。そのまま気を失って、気付いたらどこかの倉庫みたいなところに転がってた。トモは裸同然で、もう正気じゃなかったよ。おれはトモを助けようと暴れたが、その時にはもう両手を後ろで縛られててな、サンドバッグだ。そのあと呼び出されたリョウが、バイクで倉庫をメチャクチャにした。奴らは逃げ、おれはまた気を失った」

 おれは全身の毛穴がざわつくような感覚を覚えた。憤怒で震える体を、異国のビールでなんとか抑えこむ。

「なぜ奴らは、おまえの所に来た」

 瓶を呷り、おれはなおも問う。

「うん……奴らの会話から察するに、情報が古かったみたいだな」

 淡々と話しながら、フジはスプーンを口に運ぶ。

「情報が古かった?」

「トモの彼氏を捕まえてこいって指示で、おれんとこに来ちまったみたいだ」

 フジはニヤリと笑ってビールを流し込むと、先を続けた。

「つまらねえ。全くつまらねえ、基本的な間違いさ。その間違いを、奴らはこれからたっぷりと後悔することになる」

「フジ」

 おれは食事の手を止めて、改めてフジの顔を見ながら言った。

「おれが育った辺りじゃな、そういうのは『とばっちり』って呼ぶんだ」

 リョウとトモちゃんには悪いが、おれは率直にそう思った。

 フジはしなくてもいいケガをして、しなくてもいい復讐をしに、ここに来たのだ。

 おれのあんまりな物言いに、フジは声をたてて笑った。

「そうだな……おれが育った辺りでもそうさ」

 皿を脇に押しやり、フジは煙草に火を点ける。ひとつ煙を吐き、薄くたゆたう紫煙の向こうで、おれを見て微笑んでいた。

「どうした?」

 おれもフジと同じように、皿を脇に置いてフジを見た。

 フジのこの表情は、前にも見たことがあった。学食で、フジと二人で話した時。笑みと呼ぶのがはばかられるほど、どこか寂し気な微笑み。

「タカと話してると……言わなくてもいい事を喋っちまいそうになる」

「言えよ。壁に向かって話してると思え。ここだけの話ってヤツだよ」

 おれがそう言うと、フジはクックッと笑いながら頷いた。

「タカの言う通り、本当ならおれには関係ない話さ。たぶんトモもそう思ってるだろう。今度の事は、藤井くんには関係ないって……」

 フジは煙草の煙を吐き出した。灰皿を引き寄せ、静かに灰を落とす。

「……でも、おれにとってはそうじゃない。トモの仇を討つためにここに来たんだ。いつだったか、学食でおまえに話した事は正確じゃなかった。おれの気持ちはまだ終わっちゃいなかったんだ……おれはな、タカ……」

 フジは灰皿で煙草をもみ消すと、静かに、しかし力強く、言った。

「……まだトモが好きだ。あいつと過ごしたのは、たった四ヶ月かそこらなのに。でもな、あいつと過ごしたあの四ヶ月が戻って来るなら、おれはこの先の人生を全部引き換えにしてもいいと思ってる」

 フジの言葉に、おれは胸がいっぱいになって、何も言うことが出来なかった。フジの顔を見ながら、ただ頷いてみせるだけだった。

 フジはそんなおれを見て、明るく笑った。

「前におれ、言っただろ。このままじゃ終わらせない、って」

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