鋼鉄の六弦

 二人でジェイディーの家に戻るなり、フジは言った。

「おう、こんな所まで来て、おまえらのツラを拝むとは思わなかったぜ」

 マサが苦笑しながら、首をゆっくりと左右に振る。

「それはこっちのセリフだよ。足はもういいのか?」

 フジの右足を、マサは心配そう見つめている。

「まあな。そのうち、リハを始めるよ」

「リハ?」

 首を傾げるおれたちを見回し、フジがニヤリと笑う。

「そう、リハ。リハビリさ」

 マサとフジは声をあげて笑った。

「とにかく、会えて嬉しいよ、フジ」

「おれもさ」

 フジは真顔に戻ると、改まった調子で口を開いた。

「なあ、リョウ」

 それまで黙っていたリョウが顔を上げた。

「リョウ、おれ、おまえにひどい事を言ったらしいな。後で病院の人に聞いた。すまなかった」

 フジはリョウの目を見ながら言った。リョウは微笑んで、首を左右に振る。マサがリョウの背中を軽くポンポンと叩いた。

 タムが作ってくれた夕食をみんなで食べ、おれたちはジェイディーが用意してくれた部屋に案内された。

 母屋の隣の、ガレージだ。

「こんなトコでごめんね。せまいけど、すきにつかって。あとでまたくる」

 そう言って、ジェイディーは母屋に戻っていった。

 マサが周囲を見回して笑みを浮かべた。

「本当の『ガレージハウス』だな」

 ジェイディーは狭いと言ったが、ガレージとして考えると広いほうだ。土産物が満載されたリヤカーが隅に停めてあり、おれたちの為に、四人分のカウチやビーチチェアーが用意されている。他にも机や足踏みミシンなどが雑然と置いてある。物置も兼ねているようだ。

 マサが部屋の隅にあるアイロンを指差しながら言った。

「あれを何に使うんだろうな。アイロンかけるような服は着ないだろ。亜熱帯だぜ」

 フジが煙草に火を点けながら、マサの指差すほうを一瞥する。

「ありゃジェイディーの商売道具だよ。たぶんな」

 フジの煙草から、チョコレートに似た甘い匂いが立ち込める。

 マサがフジを振り返る。

「商売道具?」

「グラスを手っ取り早く乾燥させたい時に、アイロンを使うんだよ」

「グラスを乾かす? 洗ったあとで?」

 フジは笑った。

「そのグラスじゃねえよ。だ」

 どうやら煙草ではない『はっぱ』の事らしい。

「ああ……なるほど……って、おいフジ、まさかその煙草……」

 マサは慌てて問いただした。フジは笑って首を振る。

「違うよ。これはローカル煙草。この辺りじゃ、これが一番安いんだ」

 フジが煙を満足そうに吐き出す。カウチに腰かけると、紫煙の向こうでリラックスした表情を浮かべながら言葉を続けた。

「ジェイディーは元々首都に住む実業家の息子だ。親父の事業が失敗して、この島に働きに来た。リヤカーで観光客にお土産売るだけじゃ、家族の収入の足しにならない……汚れ仕事だってそれなりにやってるだろうな」

 フジの言葉に頷きながら、おれは言った。

「なぜこんなに親切にしてくれるんだろうな」

 フジはカウチに横になった。

「うん。おれも思ったよ……」

 灰皿代わりのルートビアの空き缶で煙草を消す。

「……だから訊いてみた。日本に留学してた時、日本人が親切にしてくれたのが嬉しかったんだと。だから、この国に来た日本人には親切にしたいって言ってた。知ってるか? この国じゃ、ツーリストを民家に泊めるのは違法なんだ」

「マジかよ」

 マサが驚いた声を出す。

「観光地だからか。旅行者がホテルに金を落としてくれないと、経済が回らない」

 おれはフジに言った。フジは頷き、先を続けた。

「ばれたら法外な額の罰金を払わなきゃならないらしい。法外とは言っても、日本人にとっては端金はしたがねさ。おれは万一の為に、罰金分くらいの宿泊代を出すって言ったが、奴はとらなかった。そのかわり、日本で外国人が困っているのを見たら、そいつを助けてやって欲しいって……」

 おれは胸の奥が、何だかほんのりと温かくなるのを感じた。

 そういう繋がりを大切に紡いでいけば、ジョン・レノンが想像イマジンした、夢のような世界を築き上げるのは、不可能な事ではない。

 そんな世界であれば、おれたちも復讐の為に海を渡るような事はないのだろう。

 ガレージの扉が、ガタガタと音を立てて開き、噂のジェイディーが入って来た。おれたちを見回し、口を開く。

「さっき、フジとタカ、そとではなしてるとき、ぼくらそうだんしてた……」

「相談? 何を?」

 フジが相槌をうちながら、新しい煙草に火を点け、マサとジェイディーを交互に見た。独特の甘い香りが、紫煙と共にガレージに漂う。

 マサは言った。

「明日の予定さ。おれとリョウは一般的な観光地を回る。タカとフジはこの街を捜す。リョウを見つけた時の、電話作戦も使おう」

 マサは近くにあったデッキチェアーに腰掛けた。長い間使っていなかったらしく、座るだけでかなり軋む音がする。

 ジェイディーが頷きながら言った。

「ぼくもスーベニアうりながらさがす。ぼく、セルラーフォンもってるから、みつけたときは、ぼくにでんわ。オーケー?」

「なるほど。助かるよ」

 フジがジェイディーに右手を差し出す。ジェイディーがフジの右手を勢いよく叩いた。

 リョウがジェイディーに訊ねた。

「ダイビングとかやってるって線はあるかな」

「かんがえられる。けど、いつかはりくにもどらなきゃならない……」

 ジェイディーが『陸』のくだりで、床をドンドンと踏み鳴らす。

「……このくにには、サーファーがよくくる。やつらも、サーフしてるかも。いずれにしろ、りくにもどらなきゃならないのは、おなじ」

「海に出る用意もしたほうがいいか」

 フジがそう言いながら、ジェイディーに煙草を勧めた。ジェイディーは一本抜き出し、フジが差し出したライターの火に顔を寄せる。

 煙をうまそうに吐き出しながら、ジェイディーが言った。

「マサとリョウは、よういしたほうがいいかも。フジとタカは、いらない。ここにはダイバーもサーファーもいない。このまちのうみ、よごれてるから、うみにはいったらびょうきになる。やつらみつけたら、つきおとしてやるといいね」

 そう言って明るく笑っていたジェイディーが急に黙り込む。

「どうした、ジェイディー」

 リョウが言った。ジェイディーは真剣な目でおれたちを見回した

「みてほしいもの、ある」

 ジェイディーがガレージの奥に置いてある机に歩み寄り、抽斗の奥を探る。奥のほうから、両手に乗るほどの大きさの油紙に包まれた物を取り出してきた。

「なんだい、それは。何かの部品か?」

 おれは言った。ジェイディーは穏やかに微笑む。

「どちらかのチーム、もつといい」

 ガレージの真ん中に据えてある小さなテーブルの上に、ジェイディーがそれを置いた。ごとり、と重そうな音をたてる。

「むかし、ステイツから来たジャンキーがおいていった。38口径キャリバー38

「おい、嘘だろう」

 声をあげて立ち上がったマサの表情がにわかに固くなる。フジがテーブルに近付き、そっと油紙を捲り上げた。

 ドラマや映画で見た事のある、銃身の短いリボルバー。

 油を吸った金属の匂い。くろがねの肌が、ガレージの暗い裸電球の光にぼんやりと浮かび上がる。

 テーブルの上に置かれた黒いスナブノーズは、言われなくともオモチャではないと分かった。薄くひかれた油が、冷たい鋼鉄の上で虹色の皮膜を作っている。

 フジがゆっくりと、手を伸ばした。

「待った」

 マサがフジの前に手を出しながら言った。フジが動きを止める。

「トリガーガードに指を入れるな。こう持つんだ」

 マサが右手を出し、人差し指を伸ばしたまま、他の指でグリップを握ってテーブルから持ち上げる。

 銃口を下に向け、右手の親指でサムピースを押し、左手の指を下からまわしてシリンダーを押し出した。僅かな金属音を響かせ、蓮根を思わせる円筒形の弾倉が滑り出る。6つのチャンバーが空虚に口を開け、弾丸が装填されるのを待っていた。

 直径0・38インチの、怒りの塊をくわえ込む穴。

 一発で何もかも吹き飛ばす。撃たれる奴の命と、撃った奴の人生も。

 マサが淡々と続ける。

「銃口は常に安全な方向に向ける。人や物のない方向だ。撃つ時以外は、引き金に絶対に指をかけない。そして、自分の手に持った時は、最初に弾丸の有無を確認する。常にな」

 マサはシリンダーを静かに元に戻した。隅々までオイルが行き渡り、動きは工芸品のように滑らかだ。そっとテーブルの上に置く。木のテーブルと触れ合う音が、嫌でも重量感を意識させた。

「なんで扱い方を知ってるんだよ」

 フジが笑いながら言った。心なしかフジの笑い声も固い。圧倒されながらも、虚勢を張るような笑いだった。

 マサがフジの疑問に答える。

「昔、家族でハワイに旅行した時に撃ったことがある。その時、インストラクターにそう教わった。自分が死なない為と、周りの人を殺さない為に」

「マサ、きみがもつ?」

 マサになら持たせても安心と思ったのか、ジェイディーが微笑みながら言った。が、マサとジェイディーの間に、フジが割って入った。

「いや、扱い方は今教わった。おれが持つ」

 置かれた銃を、教わった通りにテーブルから持ち上げるフジ。マサがやったように、銃口を下に向けてシリンダーを振り出し、未装填なのを確認してから元の位置に戻す。

 ジェイディーが別の抽斗から弾を持ってきた。フェデラルの38スペシャル。フジがマサに装填方法を教わりながら、弾を一発ずつシリンダーに滑り落としていく。

「なるほど……六連発か。六本弦とたいして変わらない」

 フジがうそぶいた。シリンダーをゆっくりと戻して、銃を体の後ろに回し、ジーンズと背中の間に差して、シャツの裾で隠す。

 おれは言った。

「バカ言ってんじゃねえよ。ギターで人が死ぬかよ。扱い方を間違えると、おまえが怪我するぞ」

 フジはおれを見てニヤリと笑った。

「だったら女と同じだ。どっちにしても、おれは扱い慣れてるよ」

「どうだかな」

 マサが肩をすくめた。

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