復讐のギター

 おれたちはそれぞれ宿泊先をチェックアウトし、夕方、海岸の外れでもう一度ジェイディーとおちあった。

 おれはジェイディーの自転車の荷台に乗り、リョウとマサはサイクルタクシーで、ジェイディーの言う『バビロン』に向かう。

「ジェイディー」

 おれはジェイディーの背中越しに声をかける。

「なに?」

「あんたの言う『バビロン』は、裕福な街じゃないよな?」

「そう」

「あんた、留学してたって言った。どうして二年も日本にいられた?」

「ぼくは、首都でうまれた。かぞくは、首都にすんでる。リュウガク終えるころ、ちちのかいしゃ、なくなった。ぼく、ハイスクールやめて、このしまでスーベニアうってる」

「そうか……」

「タカは?」

「日本で、大学に通ってる」

「ガールフレンドは?」

「いるよ」

「かわいい?」

「もちろん」

「オーケイ、スラップ・マイ・ハンド」

 ジェイディーは笑いながら、背中越しに右手をおれのほうに差し出した。おれはそれを勢いよく叩く。

「あとで、ぼくのガールフレンドしょうかいする。ぼくのかのじょも、かわいいよ」

「オーケー、スラップ・マイ・ハンド、ワンスモアだ」

 おれはジェイディーに右手を差し出した。今度はジェイディーがおれの手を叩く。

 40分ほどで街に着いた。同じ海辺の街でありながら、さっきまでいた場所とは明らかに違う。観光客向けではあるのだが、明るく楽しげな雰囲気が全くない。暗く、澱んだような空気に満ちている。

 交代で自転車を漕いでいたおれに、後ろからジェイディーが声をかけた。

「そこでとめて」

 おれは自転車を止める。海岸沿いの小さな森の外れだ。マサとリョウがサイクルタクシーを降りた。

 森の中に少し入った、海が見える場所にジェイディーの家はあった。廃材を集めて作った小さな家だ。家の隣に、母屋と同じくらいの大きさのガレージがある。ジェイディーはそのガレージに露店のリヤカーを置いて、母屋のドアを開ける。中に入り、中にいる人物と何事か現地語で会話している。

 ジェイディーが半身をドアから出して、おれたちに手招きをした。

「はいって。しょうかいする。ぼくのガールフレンド。タム」

 ジェイディーに言われるままに中に入る。

 コットンの、シンプルな白いワンピースを着た女の子が一人、テーブルについていた。豊かな長い黒髪に、軽くウェーブがかかっている。ジェイディーと同じ、健康的な肌の色。白い歯。少しきつい目元が、どことなくカナを思わせた。

「ハロー」

 おれたちはタムに挨拶する。タムも「ハロー」と答える。ジェイディーとタムがまた現地語で何か話している。

 ジェイディーがおれたちに向き直った。

「かれはかえってない。きっとまださがしてる。マサとリョウはここにのこって、あしたからのプランをたてて。タカとぼくで、フジをさがしてくる」

 おれはジェイディーの案内で繁華街に向かった。

 きらびやかなネオンとはいかないが、悪徳の街というのはどこでも共通の雰囲気を持っているようだ。街自体に、生き物のような鼓動と息吹が感じられる。通りを歩く観光客に抜け目ない視線を送る男たち、女たち。今夜のカモを探しているのだ。

 連中の何人かはジェイディーに声をかけてくる。どうやら顔見知りのようだ。つまり、ジェイディーも危ない橋を少なからず渡っているということだろう。

 不意に後ろから、日本語で声をかけられる。

「何してんだ、こんなトコで」

 聞き慣れた男の声。おれは弾かれたように振り返る。驚いた顔のフジが、くわえ煙草で街角の暗がりから姿を現した。

「フジ」

 おれはフジの右足を見た。少し引きずって歩くのが痛々しい。

 フジが足元に煙草を捨てながら、ジェイディーにまくしたてた。

「ジェイディー、こりゃいったいどういうことだ、なぜタカがここにいる」

 おれはジェイディーとフジの間に入った。

「おれが説明する。こんなところで立ち話じゃ風情がない。どこか場所を変えようぜ」

 おれの言葉を聞いて、フジが苛立つのが分かった。

「ほう、そりゃあいい。納得のいく説明を聞かせてくれるんだろうな? ジェイディー、おれはタカと二人で話をしていく。悪いが先に帰っていてくれないか?」

「うん。でも……」

「心配しなくても大丈夫だ。遅くならずに戻るよ」

 ジェイディーは少し不安そうな顔をしながらも、フジに同意した。

「わかった。じゃあね」

 おれに軽く手を振り、来た道を引き返していくジェイディーを見送りながら、おれはフジに訊ねた。

「なぜジェイディーを帰した」

 フジは肩をすくめる。

「言ったろ。おまえと二人で話したいって。ここに入ろう」

 フジは手近のバーに親指を向ける。おれは黙って頷いた。

 入り口の扉を開けた途端に、大音量の音楽の渦に飲み込まれる。女の子たちが銀色のポールに絡みつきながらダンスを踊り、男たちがダンサーの下着に紙幣をはさみ入れる、そんなたぐいの店だ。

 カウンターにつくと、シャツの前をはだけ、胸の谷間を強調した女の子がオーダーを取りに近付いてくる。

「ビア。ふたつだ」

 フジは言った。

 フジが女の子に代金を渡す。女の子が離れて言った。

 髪を金髪に染めた浅黒い肌のダンサーが、目の前のステージの上を踊りながら歩き回っている。

 しばらく無言でダンサーを見ていたフジが口を開いた。

「さあ、うたって聞かせてくれ。ここに何しに来た」

「リョウを止める為に来た。マサも一緒だ」

 フジが目を丸くし、呆れたように首を振る。

「嘘だろ、マサも一緒なのか。リョウ? リョウを止めるだって?」

「リョウは奴らに意趣返しをするつもりだ。おまえもその為に、ここに来てるんだろ」

 ビールが二つ運ばれてくる。ここでもグラスは付かない。ひと口飲んだ。この島ではおなじみのグリーンの瓶。

 フジはおれの問いかけには答えず、瓶に入ったビールを半分ほど一気に飲み、深々と息をついて言った。

「なぜジェイディーと一緒だった」

「奴らを探す途中で会った。会話するうちに、偶然おまえの話が出た」

「奴らを探す? 意趣返しをやめさせる話はどうなったんだ?」

 フジがカウンターに瓶を置いた。おれの目を見据えたまま、踊るダンサーの下着に金をねじ込む。おれはフジの質問には答えず、ただ肩をすくめて両手を拡げ、ビールを呷った。

 フジは頭を左右に振りながら、深々とため息をつく。

「あのな、リョウやマサはともかく、おまえは帰れ」

「なんでおれだけ帰そうとする」

「タカ、おまえの推察通り、確かにおれは意趣返しに来た。日本じゃダメだ。警察はおれとリョウが犯人を知ってて黙ってるって気付いてる。下手すりゃ張られてるかもしれない。ここにいる間がチャンスなんだ。たぶん、リョウも同じ考えでここに来てるんだろう……」

 フジはビールを飲み干し、女の子を呼んでもう一本注文した。

「……あのクソ野郎共のケツを、月まで蹴り上げてやるんだよ。もしかしたら、ここの警察の厄介になるかもしれん。最悪の場合、病院の厄介にもな……」

 フジのビールが来た。代金を渡すと、フジはまた半分ほど一気に飲み、言葉を続けた。

「……万が一おれたち全員でそうなった場合、おれはその事についてカナに説明するなんてのは真っ平ごめんだ。おまえだって、カナを泣かせたくないだろう」

 おれは肩をすくめて言った。

「カナは知ってるんだ」

 フジがまた目を見開いておれを見る。

「何? おまえ言ったのか、バカ正直に」

「まさか。日本発つ前日にカナに言われた。『あんたが何しに行くか知ってる』って。あいつ鋭いから、バレたみたい。でもおれは、カナも大事だがおまえらも大事だ。カナもそれを分かってる。だから行かせてくれた」

 フジはもう一度、大きくため息をついた。

「おまえもおまえだが、カナもカナだ。おまえが来る必要なんてないんだ。おまえはカナのそばにいればよかったんだよ」

 女たちが次々と、チップを求めて踊りを見せにやって来る。が、おれたちは見ていなかった。セクシーな女たちがいるバーで、男同士、真剣なまなざしで見つめあっている。

 おれはフジに質問した。

「フジ、おれたちは、何だ?」

 少し考えて、フジが答える。

「バンドだ」

「バンドさ。でも、カナに言われたよ。『あんたたちの繋がりは、バンドだけじゃない』って。おれもそう思う。おまえだって、そう思うだろう?」

「でもな、タカ……」

「おまえら三人がプレイするのに、おれだけ参加させないってないだろう。忘れたかフジ。おれがカウント出さなきゃ、ライブは始まらない」

 黙り込むフジに、おれは続けた。

「怒ってるのは、おまえとリョウだけじゃない。おれやマサ、カナたちもだ。みんなの怒りも全部背負って、おれたち四人でやるんだ。奴らを月まで蹴り飛ばしてやろうぜ」

 フジは黙ったまま、おれを見つめている。やがて、ビールを飲み干し、ニヤリと笑うと、言った。

「この店で、おまえが谷間に見とれていた事は、カナには秘密にしといてやる。奴らを月への旅路に乗せてやったら、四人で日本に帰ろうぜ」

 フジはもう一度、ダンサーの胸の谷間に金を入れた。

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