ワンヒット・トゥ・ザ・ボディ
リョウは、おれたちからテーブル二つほど離れた所にいた。こちらに横顔を見せて座っている。リョウの左側に立ってベースを弾くおれにとっては、見慣れた側からの横顔だ。
おれとマサは食べかけの皿とビールを持って、リョウのテーブルにそっと近付き、素知らぬ顔でリョウの正面に座る。
胡散くさげな目を向けたリョウの顔が、おれたちだと気付くなり、呆気に取られた表情に変わった。
「初めてマンモスを見た原始人の顔だな」
おれはここぞとばかりに言ってやった。リョウは口を半開きにしたままだ。
マサがニヤニヤと笑い、追い討ちをかける。
「いや、モノリスを見た原始人の顔だ。カメラを持ってくればよかった。今年一番のアホ
開きっぱなしだった口から、リョウがようやく言葉を発した。
「何してんだよ……二人とも……」
「話は後だ。おれとタカが、このうまい飯を食い終わるまで待ってくれ」
おれたちは食事を終えるまでリョウを待たせ、三人揃って店を出た。近くにあったストアで飲み物を買って海岸に降りる。ストアに売っている飲み物の缶に書いてある文字は、幸いにも英語が大半だった。おれは買ってきたルートビアの缶を開け、ひと口飲む。相変わらずすごい味だ。
海岸は大勢の人で賑わっているが、家族連れは少ない。若い連中が多いようだ。日本人も多いようだが、それ以上に、欧米人たちを頻繁に見かける。
「よくそんな物が飲めるな」
マサがおれを見てあきれたように首を振りながら、自分のコーラの缶のタブを起こす。プシュッという開封音は万国共通だ。
「たまに無性に飲みたくなるんだ。筋肉痛に効きそうな匂いだ」
「歯磨きしてるみたいなんだよな、そいつを飲むと」
おれとマサは軽口を叩きながらリョウを見る。リョウは、おれたちの声も耳に届かないという様子だ。右手にぶら下げたコーラの缶は、タブを起こしただけで口も付けず、ただ黙って海のほうを見つめていた。
おれは口を開いた。
「端からホテルに電話したんだぜ……いつからいるんだ、リョウ」
「おととい来た」
海のほうを見たまま、リョウが短く答える。
「おれたち、おまえを迎えに来たんだ。リョウ、帰ろうぜ。日本に」
マサが慎重にリョウの様子を窺いながら、おっとりとした口調で本題を切り出した。
打ち寄せる波の音が、マサの言葉に相槌を打つかのように耳に響く。四ヶ月前、夏の湖の波音を聞きながら、カナに好きだと打ち明けた時の事を思い出した。
マサの呼びかけに、やや間を置いてリョウが答える。
「……おれ、ここでやりたい事があるんだ。それをするまで、帰れないよ」
おれは言った。
「何がやりたいのかは、だいたい想像がついてる。だからおまえを追って来た。警察の聴取に何も言わなかったのは、その為か」
リョウは、一瞬こちらに向けて微笑を見せた。少し悲しげな目。しかしすぐまた海のほうに顔を向ける。
やがてリョウは、海を見たまま、搾り出すような声で言った。
「……トモは『忘れたい』って言った。早く忘れてしまいたい、って。告訴して、裁判をして、検事や弁護士の前で証言をして……それじゃあトモがかわいそうだ。あの時の事を何度も聞かれて、何度も思い出させられて……」
リョウは言葉を切り、握り拳で一度目を拭うと、続けて言った。
「……でもな、おれはそれじゃ気が治まらない。ほんの一撃でいい。おれは自分の手で、あいつら四人に喰らわせてやりたいんだよ」
おれにはもう、何も言えなかった。
おれは考える。
日常の閉塞感、延々と続く退屈な毎日に、ほんの一撃。
その為に、リフを刻み、ラインを唸らせ、シャウトをキめ、ビートを紡ぎ出す。おれはそんな気持ちで、フジやマサ、そしてリョウと共にバンドをやってきた。
そして今、リョウもまた、『ほんの一撃』を入れたがっている。
最低、最悪の、腐った連中に。
そしてそれは、おれもマサも同じだった。リョウを連れ戻したいのと同時に、抱えた怒りを刃に変えて振り下ろしたい。そういう思いも、心のどこかにあった。
飛行機が成田を発つ時、もう戻れない、ライブが始まる、とおれは思った。そう、これはライブなのだ。
ノー・ブレーキの、おそらくは、ラストライブ。
おれはリョウに問いかける。
「見つけたのか、奴らを」
リョウは首を横に振った。
「この島に来る事と、冬休みのほとんどをここで過ごす事くらいしか分からなかった」
おれは頷いた。
「それだけ分かれば十分だ。なあマサ」
「ああ、三人寄れば何とやら、だ。コーラを飲み終え次第、探偵ゴッコを始めよう。まずは黒いスーツと赤いシャツを買いに行く」
「それなら、白いネクタイも忘れるな」
おれとマサのやりとりを戸惑いながら聞いていたリョウが口を挟む。
「ちょっと待て、二人とも。おれは……」
何か言おうとするリョウを遮って、おれは言った。
「リョウ、おれらはバンドだ。おまえが歌うって言うんなら、おれらは演奏する。怒ってんのは、おまえだけじゃない。おれらも同じだ」
リョウは左手で顔を押さえ、ゆっくりと首を左右に振った。
「まったく……どうかしてるよ、あんたら……」
マサがリョウの背中をポンポンと軽く叩いた。
「リョウ、よく言うだろう。『ミイラ取りがミイラになった』ってやつさ」
マサが自分とおれを指差し、続けた。
「しかも、このミイラ取り二人組は、ミイラになる気満々ときてる」
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