復讐の計画

 あれから、二ヶ月が経った。

 また今年も、街角にジョン・レノンの歌声が流れる季節がやって来た。

 ミスター・レノンの言う愛や平和は、街にはこれっぽっちもないというのに、彼の声だけが初冬の雑踏の中に、今年も虚しく響き渡っている。

 12月の初め、おれは大学の近くにあるマサのお気に入りのコーヒーショップに来ていた。

 通りを歩く人たちが間近に見える窓際のテーブルに座り、カウンターで金を払うマサの背中を、おれは気の抜けた顔で見つめていた。両手にひとつずつカップを持って、マサがゆっくりとテーブルに近付いてくる。

「サンキュー」

 おれは自分の分のカップを受け取った。

 マサは自分のカップからホットコーヒーをすする。おれはアイスコーヒーだ。ストローをくわえてひと口飲む。おれはこの店があまり好きではないが、コーヒーの味自体は悪くない。

 右手にカップを持ったまま、マサが切り出した。

「昨日、おれのアパートに警察が来た」

 警察。マサのところに警察が来るということは、要件はひとつしかない。

「あの事か」

 おれがそう言うと、マサは頷いた。



 話は二ヶ月前にさかのぼる。

 カナたちと病院を訪れた日から三日後。おれとマサはもう一度二人で、フジを見舞った。その道中で、マサは事の顛末を聞かせてくれた。

 おれとマサがスタジオで待ちぼうけをくわされたあの日の夜遅く、リョウからマサに電話があった。マサは終電間際の電車を乗り継いで病院に向かった。深夜の病院で、警官がマサを出迎えた。

 警官はマサに言った。

「あなたのご友人の三人が四人組に襲われました。三人とも怪我をして、女性の方は乱暴された形跡があります」

 おれは話の途中で、すぐにマサを問い詰めた。

「なんですぐおれを呼ばなかったんだ」

「あまりの事で頭が回らなかった。気持ちが少し落ち着いたら急に一人じゃ心細くなって、おまえに電話した」

 そうマサは言った。

 その時、マサを出迎えた警官は、マサにこう言ったらしい。

「三人とも襲った四人を知らないと言っています。しかし、処々の状況から、顔見知りの怨恨の線を疑わざるを得ません。何か心当たりはないでしょうか」

 おれはすぐに思い当たった。

「言ったんだろ、おれがグラスで怪我した時のライブの話を」

「いや」

「なぜ」

「当の三人が口を揃えて知らないと言ってるんだ。とっさに話を合わせちまった」

 おれはそれ以上、何も言わなかった。



 たち込めるコーヒーの香りで、我にかえる。

 店内には、コーヒー豆やシナモン、様々な香りが漂っていた。

 おれは口を開く。

「警察が、おまえに何の用なんだ」

「この間と同じさ。四人組に心当たりはないか」

「何て返事した」

「それも同じだよ。ない、と」

 おれはくわえていたストローを離し、ため息をついた。

「フジもリョウも、なぜ話さない。心当たりが無いわけないんだ。あのライブの時、物投げて嫌がらせしてた連中、あいつらが怪しいよ」

 マサがカップに口をつけながら頷いた。

「おれもそう思う」

「じゃあなぜ話さないんだよ」

 マサは黙ってカップを置き、窓の外に視線を向ける。

 外を行き交う人々は、みな厚手の上着を着込んで、寒そうに首を縮めながら歩いている。

 フワフワしたコートを着込んだ、華やかな女の子たちが歩き過ぎていく。商品を包む包装紙がきらびやかなだけで、おれには全く魅力を感じない。カナの格好ときたらワークブーツにミリタリージャケット、まるで活発な少年のようなのに、なぜあんなにも魅力的なのだろう。

「タカ、おまえはどう思う? リョウやフジが、警察に詳しい話をしないのは、なぜだ?」

 マサが窓の外を見ながら言った。

「あのライブの時の事、憶えてないのか……いや、そんな筈はないな……」

 考え込むおれの目の前、テーブルの上に、マサが自分の鞄から何かを取り出して置いた。

 東南アジアへの旅行パンフレットだ。リゾート地として有名な場所だった。

 おれはマサを見る。

「何だこりゃ」

「見たままさ」

 マサはそう言ってカップを取り上げ、コーヒーをひと口。

 おれはパンフレットを手に取ってページをめくった。青い海。白い砂浜。深緑の森に極彩色の花々。おれはもう一度、疑問を含ませた視線でマサを見る。マサは言った。

「これと同じものを、何日か前にリョウが部室で見ていた」

「リョウが?」

「そう。で、おれがよそで聞いた話じゃ、おれらの大学の、とある四人組が、年末年始にかけてここに旅行するらしい」

「……四人組」

「そう。女が一人。その取り巻きみたいな男が三人だ」

「おい……それって……」

「その女は、夏くらいまでリョウに熱をあげてたそうだよ。リョウにはその気がなかったらしいが、その女に言い寄る男は大勢いるみたいだな。去年の学祭のミスコンで優勝してる。容姿以外の審査基準があったら、確実に予選落ちらしいけど」

 マサはコーヒーを飲み、先を続ける。

「学祭のミスコンな、わずか二票差での優勝だったんだってさ。『どっちが勝ってもおかしくなかった』って言われたそうだよ」

「ミスコン……」

 おれは思い出した。モナ・リザ、柿ピー、吹き渡るつむじ風……。

「そう、ミスコンだよ。その時、たった二票差で準ミスになったのは誰だと思う?」

「トモちゃんなんだな」

「憶えてたか。暖かくなったら、また『モナ・リザ』やろうぜ」

 マサはおれにニヤリと笑いかけ、飲み干したカップをテーブルに置いた。

 おれはひとり言のように、自らの考えを口に出していた。

「だから警察に言わないんだ……リョウは意趣返しをしようとしてるのか、その国で……」

「おれもそうだと思うよ……」

 マサはそう言いながら、パンフレットを鞄にしまう。

「どうするんだよ」

「どちらにしろ、ここではダメだ。めるにしても、のっかるにしても、な」

「のっかる? めるんだろ」

「今『敵討ちなんかやめろ』って言って聞かせても、この先どうする? ずっとリョウのケツにくっついて見張ってるのか?」

 マサの言う通りだ。おれが反論できずにいると、マサが続けた。

「それに、今度の事はおれも腹に据えかねてる。おまえもそうだってのは聞かなくてもわかるぜ。そこでだ、なあタカ……」

 マサは言葉を切り、テーブルに頬杖をつきながら、明日の天気の話でもするような口調でこう言った。

「おまえ、パスポートは持ってるか?」

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