おれたちの矜恃

 そのライブの翌日から、頻繁にリョウとトモちゃんを見かけた。学内で見かける事もあれば、大学から少し離れた路上で、リョウのバイクの後部座席に乗るトモちゃんを見る事もあった。

 二人が付き合っているというのは、もはや疑いようの無い事実といってよかった。

 もう九月も終わろうかというのに、残暑が厳しい晴れた日の午後。部室にいたおれとマサは過ぎ去りつつある夏の残り香を感じようと外に出た。

 正門を出てコンビニに寄り、おやつを買い込んで、校舎から少し離れた所にある運動部の練習グラウンドに向った。

 南側の芝生に涼しそうな木陰がある。

 そこに陣取ると同時におれの携帯が鳴る。カナからだ。

「よう、どうした。うん、今マサとグラウンド。うん……」

 マサがおれをチラリと見る。

「カナか? 来るように言えよ……おやつ買って来いって……」

 マサは言いながら、コンビニの袋にガサガサと手を入れる。おれはラインの向こうのカナに言った。

「おまえも来いよ……ん? マサもそう言ってる。ああ、おやつ買って来なよ……何でも好きなの。うん……南側の木陰にいるから。そう、じゃあな……」

 電話を切った。

 マサがおれにアイスティーを手渡す。

「カナ、来るって?」

「うん。休講になって暇らしい」

 おれはアイスティーを受け取った。カナの影響か、最近おれもアイスティーを飲む事が多い。

「それ……カナのファンだったらしいな……」

 マサが自分の眉の上を指差しながら、かき氷のカップをおれに手渡す。

「ああ……そうだ……」

 おれは答えながらカップを受け取り、蓋を取った。

 鹿児島名物、白くま。パウダー状の氷の上にたっぷりの練乳がかかり、色とりどりのフルーツがその上に乗っている。もう秋も近い。たぶん今年最後の白くまになるだろう。

 マサが世間話でもするような調子で話し始める。

「一曲目の終わりあたりから、ペットボトルが飛んでたろ……」

 話しながらマサも同じかき氷の蓋を開け、木のスプーンでしゃくしゃくとやり始める。

「……あれ、おまえを狙ってたと思うか?」

 おれは首を振った。

「たぶん違う。演奏中の印象を信じるなら、おれを狙ったのは当たったグラス、あれだけだ」

 おれもマサに倣って氷をしゃくしゃくと崩し始めた。ひと口食べる。うまい。かき氷を美味しく食べられるという点では、残暑ってやつも悪くない。

 空飛ぶペットボトルについてのおれの見解に、マサが頷いた。

「おれもそう思う。ペットボトルは複数の連中が面白半分にやってた。おまえにグラスが当たってから、ペットボトルが止んだだろ……本気の一撃がおまえに当たって、面白半分の連中はひいちまったんだよ……」

 おれは思わず鼻で笑う。

「なるほど。素晴らしい推理だ、ホームズ」

「推理というより、洞察力だよ、ワトソン君」

「とにかく、そういう小説の読みすぎだよ、おまえは」

 運動部の連中の声に、おれたちが氷を崩すしゃくしゃくという音が重なる。

「おれたちが嫌がらせされる理由は何だ?」

 おれはマサに問いかけ、かき氷の上の凍ったミカンを口に入れる。小学校の時の給食のデザートを思い出す味だ。

 マサが目の前の空間に向かってスプーンを軽く振った。

「それだ。それが分からない。おまえの額の傷と同じ理由と考えるなら……トモちゃんファンの仕業かな……」

 マサはスプーンを口に運んだ後、こめかみを押さえながら顔をしかめる。

「どうしたマサ。キンキンしてんのか?」

「ああ……」

 木のスプーンをくわえたまま、マサはこめかみを手でこすった。

 おれはマサの推理の穴を考察する。

「ふぅむ……トモちゃんファンがリョウに嫌がらせした、ってのか。じゃあ訊くけど、六月のライブの時、トモちゃんはフジの彼女だった。その時、フジに向かってペットボトルが飛んで来なかったのはなぜだ?」

 マサが肩をすくめる。

「そこなんだよ……そうすると、トモちゃんファンの線は薄くなる……」

「あっ……」

 おれは軽く声をあげながらこめかみを押さえた。

「何だ? ……ああ、キンキンか……」

 おれと入れ替わるように頭痛がおさまったマサが、またしゃくしゃくやり始める。

 おれはこめかみをさすりながら言う。

「そういえば……急に客が増えたのも、おかしな光景だったな……ドラムセットの後ろからでも分かったろ? センターマイクの前だけが混んでるんだ」

 おれはアイスティーを少し飲み、頭痛を沈めようとした。白くまが冷たいので、アイスティーが少し温かく感じる。

「そうだったな……部長に聞いたけどな、客の入りは、普段より少し多い程度だったらしい。おまえ言ってたろ……演奏中に、壁際にいたカナが見えたって……」

 マサが頷きながら答え、おれは頷いた。パイナップルを口に入れ、マサは先を続ける。

「ぎゅうぎゅうに混んでたら、カナがいるとこまでは見えないだろう。ピッグエッグはフロアとステージの高さが、そんなに変わらないからな。つまり、混んでるのはセンター前だけだったってことだ……」

「おれの当日の印象では、リョウがよく見える位置だけ混んでるように感じたけど……」

 頭痛が収まり、おれはまた白くまをかき込んだ。マサも負けじと白くまをかき込んで手の甲で口を拭い、先を続ける。

「そうだな。そして、こう考えるのはどうだ……奴らは、物を投げ入れてる奴を特定させないように、その人混みを利用してたって……つまり、行き当たりばったりで物を投げてたわけじゃないってことさ。もしかしたら、混雑自体も仕組まれていたのかも」

「計画を練って、やっていたと?」

「あくまで勝手な推理だよ、ワトソン君」

 自分で言うように、あまりに勝手なマサの推理に、おれは苦笑する。

「荒唐無稽だな……コナン・ドイルが気を悪くするぜ。でも、まあ無い話じゃない。それにしても、わざわざそんなプランたててやってるんだとしたら、小賢しいな」

「そう、狡猾だ……おまえのその傷をこさえた奴のほうが、おれにはよほど人間的に感じるがな……」

「あっ……」

「あっ……」

 二人で同時にこめかみを押さえた。

「なにしてんの?」

 聞き慣れた声に、おれとマサは振り返った。

「おお、カナ……早かったな……」

「なあにー、それ……でっかいかき氷……」

 カナは自分で買ってきたおやつが入ったコンビニ袋を傍らに置き、おれの隣に座りながら、おれとマサが持った白くまのカップを覗き込んだ。

「白くま。食ったことないのか……」

 おれはカナにカップとスプーンを渡した。カナは受け取って何回かしゃくしゃくやると、ひと口食べた。

「うん、おいし……あんた、甘いの好きだよね……」

「そうか?」

「チョコシェイク好きじゃん……あ、さくらんぼ入ってる……」

「いいよ、食べて……」

「いっこしかない」

「いいよ」

 おれはアイスティーをひと口飲んだ。カナはさくらんぼを口に入れ、満足そうにカップをおれに返してよこす。

「おいしい。ありがと」

「どういたしまして」

「おでこ、大丈夫?」

 カナは右手でおれの前髪をめくり上げた。子猫のような大きな目で覗き込まれて、おれは少し照れくさくなる。

「おかげさまで。どうやら大事無く治りそうだ」

「よかった」

 カナは軽く息をつき、安堵の表情を浮かべた。

 頭痛をやり過ごしたマサが、白くまを食べ終えて言った。

「ちょうど今、タカとその傷の話をしてたんだ……」

「どういうこと……」

 カナがおれとマサを交互に見る。

「おれにグラスが当たる前に、ペットボトルが空を飛んでたろ……」

 おれは白くまの氷を崩して、黄桃をスプーンに乗せ、カナを見る。カナが首を横に振ったので、おれは黄桃を自分の口に入れる。

「……あれは誰を狙ってたと思う?」

「あんたじゃないの……」

 カナは自分が持ってきたコンビニ袋を探り、チョコレートの袋を取り出した。

「たぶん違う……好きなのか、それ……」

 おれは白くまを食べる手を止め、カナが取り出したチョコレートの袋を見つめた。クッキーのような歯応えの、ひと口サイズのチョコレートだ。

「うん。好き」

 カナは袋を開け、ひとつ摘んで口に入れる。

「おれもだ」

 カナに向って手を差し出した。マサもおれと一緒になって手を伸ばす。

「何、あんたたち。ヒナ鳥?」

 カナはおれとマサを睨みつける。

「ヒナ鳥なら手は出ねえ」

 マサが言った。カナはおれとマサの手に、袋からチョコレートを振り出した。

「あんたじゃないとしたら?」

「サンキュー……何が?」

 おれはチョコレートを一つ口に入れた。カナは怖い顔を作って、おれの顔に自分の顔を近付け、言った。

「ペッ・ト・ボ・ト・ル」

「ああ……」

「ドラムセットの後ろから見てると分かる。誰かを狙い澄まして……って風には見えなかったよ」

 おれの代わりにマサが、チョコレートを一つ口に放り込みながら返答する。

「タカじゃなかったんだ……」

 カナの口調には、どこかほっとしたような響きがあった。そして、次の言葉には、疑問の色。

「でも……じゃあ誰が、なんのためにあんな事を?」

「それがわからねえんだ。な、タカ……」

「ああ。ただな、カナ。コレの奴な……」

 おれは自分の眉の上を指差しながら続けた。

「……こいつは、ペットボトルの奴らがいなけりゃ、グラス投げたりはしなかったと思う。たぶんな」

 マサが自分の袋からポテトチップを取り出しながら同意した。

「おれも同感だ。タカの事は気にする必要ないよ、カナ」

 袋を開けて、おれとカナに勧めた。二人で一枚ずつ取る。

「そうだといいんだけどね……」

 カナがため息混じりにポテトチップを口に入れる。全部は入らない。半分ほど齧る。パリッ。乾いた、いい音色。

「どうしたんだ」

 おれもポテトチップを口に入れ、カナを見る。

「あんたたちさ、ポタ夫たちが辞めた理由、知ってる……?」

「何となく分かるよ」

 マサが言った。

「タカは……」

「ポタ夫は、なんとなく。他の二人は? 同じ理由なのか?」

「そうみたい……三人が直接あたしに言うわけじゃないんだけど……」

 カナは寂しそうに微笑んだ。

 ライブの日、ポタ夫は自分たちの出番の直前に、ムスタング・ドライブのステージを見ながらおれに言った。

 カナさん幸せにしてください、と。

 カナは寂しそうに小さく息をついた。

「うちの部員たち……みんな音楽好きで、音楽がみんなを繋いでるんだって思ってた。そうじゃなかったんだね……あたし、気付かなかった……それぞれに色んな思い抱えて、微妙なバランスとってたんだって……」

 カナは退部者が出たりすると、ただでさえ動揺する。何か不満があったのだろうか? と。今回の場合、理由が理由だけに特に動揺も大きいのだろう。

「おい、カナ」

 マサがポテトチップの袋を芝生の上に置き、カナの顔をまじまじと見た。

「カナがそんな顔する必要はない。おまえも、タカも、何一つ悪い事はしちゃいないんだからな」

「うん……わかってるんだけど……ね……」

「人と人とが交流してるんだから『愛する』っていう感情が芽生えるのは自然な事だろう? おまえとタカもそうじゃないか。その一方で、思いが報われない奴がいるのは、仕方ない事だろう」

「うん……」

 カナがおれを見た。おれは強く頷いてみせた。いいセリフを全部マサに持っていかれた。頷いてみせるくらいしか、やれる事がない。

 マサがカナとおれを見ながら続ける。

「辞めた三人とも、耐えられなかったんだろう。もう、おまえとタカを見ていられなかったんだと思う。誰が悪い訳じゃない……三人とも、おまえをそれだけ本気で好きだったんだ……」

 マサはポテトチップの袋をもう一度手に取った。

「……そして三人とも、タカの事も認めてるって事だろう……こいつ、男には割と人気あるからな……」

「そうだね……」

 カナはおれを見て笑った。マサも笑いながら、ポテトチップを一枚口に入れ、そっと呟いた。

「ポタ夫たちの気持ちは分かる……だから尚更思うんだ。フジは強い、って」

「フジがどうかしたの?」

 カナがおれのアイスティーのボトルを手に取ると、蓋を開けてひと口飲み、マサに訊ねた。

 おれはカナに言った。

「おまえ、見かけないか……」

「何を……」

「ん、そのな……リョウがどうも……トモちゃんと付き合ってるらしいんだ……」

「え……」

 アイスティーをまたひと口飲もうとしたカナが、ボトルに唇を当てたまま凍りついた。

「ライブの時……おまえまたおれの飲み物を……ライブの時、おれらの出番前だ。リョウがいないって、おれとマサで探しに行ったろ……」

「うん……」

「リョウは外にいたんだ……トモちゃんと二人で……」

 おれはカナの手から、そっとペットボトルを奪い返した。

「……あれからよく見かけるよ、二人でいる所をさ」

「おれもだ。フジの目に入りやしないかって心配になる……」

 マサがポテトチップを一枚、口の中へ放り込んだ。

「そっか……そういえば……全体リハの時、フジとリョウの様子、おかしかったよね……」

 カナはおれを見た。

「ああ……そうなんだ。あいつは全て分かった上で、リョウに『バンドを辞めるな』って言ってるんだよ」

 周囲には運動部の連中の声と、吹き渡る風が起こす木々のざわめきだけが聞こえていた。風はまだほんの少し、夏の肌触りを残している。

 フジにとっては、夏と共に訪れ、夏と共に去って行った出会いだった。

 フジはトモちゃんとの出会いは失ったが、リョウとの出会いは手放そうとしなかった。

 未練を残して別れた彼女の新しい彼氏が、同じバンドにいる。それに耐え、フジはリョウのギターを欲したのだ。

「タフだな……あいつは」

 おれは感嘆のため息をついた。

「でも、よくある話さ……」

 マサが言った。

「……例えば、ローリング・ストーンズの、キースとブライアンだってそうだったじゃないか」

 カナはマサを見て激しく首を振り、目を伏せた。

「ブライアンは結果的にストーンズを抜けたよ……そして、プールの底で……」

「ふむ……そうだったな。じゃあジョーイとジョニーだ。ラモーンズはそれからも続いたぜ……とにかく、割と聞く話じゃないか、バンドではさ」

「そうだけど……フジは辛いはずだよ、きっと……」

 カナは言った。

 おれはグラウンドの向こう、陸上部のスタートダッシュの練習を見ていた。

 スタートダッシュ。

 初期衝動。

 始めた時の気持ちを保ち続けるのは、バンドには大事な要素の一つだ。

 しかし、色々な体験をして、おれたちは、バンドは、変わっていく。その中で、最初のエモーションを変わらず保つのは至難の業だ。

 フジは変わらずにそれをキープしているのだと思う。ロックしたいという、強い気持ちを。

 フジが自分で言うように、ただ、ロックしたがっているのだ。

 マサはおれと同じようにグラウンドの向こうを見つめながら口を開く。

「……それでも、あいつはギターを弾くんだ。さっきも少し言ったけどさ、おれ、ステージでは一番後ろにいるだろ……だからかな、後ろからほんの少しだけ、他の三人より客観的にバンドを見る事ができる気がしてるんだ……」

 おれとカナは、黙ってマサの話を聞いていた。

 マサは続ける。

「……おれたちにとって、ロックってのは単に音楽のカテゴリーじゃない。スタンスなんだ。物事に対する姿勢、立ち居振る舞い。矜持と言ってもいいかもしれない。フジはバンドを続ける。そして、リョウにもそうするように望んだ。バンドは、ロックは、フジの矜持だからだ。おれは、フジの心意気になるべく答えたい。カナの言う通り、確かにフジは辛いだろう。でもフジが望むなら、おれたちはやるんだ」

 おれたちはおやつを食べるのも忘れ、青い芝生の上に座っていた。芝生の上を緩やかな風が渡る。

 カナが口を開いた。

「マサの言いたい事は、何となく分かるよ。でも、それがいいバンドなのかどうかは、あたしには分からない……心を閉じ込めて、身を削って、血を流しながらやるのがロックなの? そんなの、あたしには分かんないよ……」

 芝生の上に小さくあぐらをかいて、カナはグラウンドを見つめていた。

 心を閉じ込め、身を削って、血を流す。

 おれは思った。カナ、先人たちはそいつを人生って呼んでるんだ。人生ってのはきっと、ロックンロールなんだ。激しく揺れ動き、留まる事なく転がっていく。

 おれはブライアン・ジョーンズに問いかけてみたかった。ジョーイやジョニー、ディー・ディーにも。

 傷だらけになり、それでもロックし続けた先に、何が見えたのか。

 そして、彼らの見た景色は、おれたちの目にはどう映るのだろうか。

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