ショウ・マスト・ゴー・オン

 いつものウォームアップには、冷たい空気が張り詰めていた。ウォームアップとは名ばかりで、心はちっとも温まらない。

 フジとリョウは、ほとんど言葉を交わさない。

 そして、四人とも笑顔がない。これからライブだとは思えないほどに、おれたちは冷えきっていた。

 ステージ袖に戻ると、まだ少し時間に余裕があった。が、誰も何も言わない。ただヒリヒリと、いたたまれない時が流れる。もうすぐ演奏が始まるという、いつもの心地よい緊張感はない。

 前のバンドの演奏が終わった。お約束のハイファイブもなし。目も合わせない。ただゆらりとステージに出て行く。

 リョウに向けられる黄色い声援は、やはりこの間よりも多い。リョウのファンが確実に増えていた。リョウがよく見えるセンターマイクの前のフロアにだけ人だかりがしている。

 おれはカウントを入れた。いつもの曲が、いつもと違う雰囲気の中で転がり始める。

 異変は一曲目の終わりで起きた。ステージに空のペットボトルが投げ入れられた。フジがチラッと、そちらに視線を走らせる。一曲目が終わり、リョウがマイクを使ってやんわりと、ステージに物を投げ入れないように注意した。

 フロアが少しざわつく中、二曲目がスタートする。

 フロアの一番後ろ、壁際に立っているカナが見えた。そして同じく一番後ろの片隅にひっそりと立つ、トモちゃんの姿も。フジが気付いていないといいが。

 またペットボトルが飛んだ。真ん中の混雑している辺りからだ。だが、どいつが投げているのかまでは分からない。間奏に入り、おれはリョウのほうに歩み寄った。マイクが声を拾わないように離れた所で、おれはリョウの耳元で言った。

「おまえはセンターで一番前だ。当たらないように気をつけろ!」

 リョウは分かってると唇を動かしながら頷く。こうしている間にも物が投げ入れられる。ペットボトルに、紙くずや空き缶だ。いったい何だというのか。ただならぬ雰囲気に、ピッグエッグのスタッフが数人、フロアに姿を現す。こんな事は初めてだ。

 間奏を終え、定位置に戻りかけたおれの視界の隅で、何かがキラッと光った。

 とっさに顔を逸らせたが間に合わなかった。左の眉の上に何か固い物が当たった。窓ガラスが割れるような音。当たったのはグラスだ。

 いくつかの悲鳴と、それをかき消すような、聞き慣れた女の声。怒っている。カナの声だった。

 おれは辛うじてストップさせずに演奏を続けた。少しテンポがずれたが、誰も演奏を中止せずに、一瞬でリズムを立て直す。我ながら、たいしたバンドだ、と思う。

 おれはカナの無事を確認しようとフロアを見る。思わず名前を呼んでしまう所だった。

 おれにグラスを投げた奴を見たのだろう。カナはそいつにつかみかかろうと飛び出した所を、端で見ていたパキさんに止められていた。後ろからパキさんに腰と腕を抱え込まれ、半ば宙に浮いた足を激しくばたつかせている。投げた奴は他のスタッフに取り押さえられたようだ。フロアは騒然としていた。

 おれはバンドの三人に、大丈夫だと目で合図した。

 リョウの事を気遣っていたら自分がこのザマとは、まったく情けない話だ。マサは心配そうな顔でこちらを見ているが、奴が持つ二本のスティックは、何事も無かったようにリズムを刻んでいる。何とか続行できそうだ。冷や汗が首筋を流れ落ちる。何とか二曲目を演奏し終わった。フロアはまだざわついている。

 さっきから汗かと思っていたのは血だった。左の眉の上あたりが切れているのだ。ベースアンプの上に置いてあったタオルをしっかりと額に巻いて、頭の後ろで固く結んだ。

 フジはリョウを押しのけ、センターマイクで客席に向かって怒鳴っていた。自分が怪我をしたよりも怒り、苛立っている。

「フジ、もういい」

 フジを制止し、おれはカウントを出す時以外ほとんど使ったことの無いコーラスマイクを使って、努めて冷静に言った。

「お客さんにケガ人でも出たら大変だ。物を投げるのはやめてくれないか。どっちみち、おれたちは何を投げられようと最後まで演奏する……よし、中断して悪かった。こっからはいつものように、ノー・ブレーキでいくぜ……」

 感情を押し殺しながら言いたい事を言い終わり、おれはカウントした。

 ライブを続ける。ショウは続いていく。続けていくのだ。この四人で、これからも。

 全曲演奏が終わるまで、もう物は飛んでこなかった。

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