トゥー・バッド
ライブ当日。部長の心配は杞憂に終わった。
おれたちは全員、集合時間きっかりにやって来た。
ライブは定刻に始まり、今演奏しているのは二番目。『ムスタング・ドライブ』だ。カナの名を呼び声援を送る男達の数は、この前より少し減った気がする。
ムスタング・ドライブは、相変わらずいい音を出していた。カナのギターは相変わらずパワフルで、最近では、演奏に艶つやのようなものも出てきた気がする。おれと付き合い始めたから……というのはおれの自惚れ過ぎだろうか。
おれはいつものように、袖からステージを見ていた。誰かが隣に立つ気配がして振り向くと、ポタ夫だった。次に演奏するバンド、フライングウィザーズのシンガー兼ギター。
「なあポタ夫、なんでやめるんだよ……」
ポタ夫の横顔に言葉を投げると、ポタ夫は苦笑する。
「そいつは……タカさん、お世話になりました」
おれの質問には答えず、ポタ夫はこちらの目を真っ直ぐに見ながら右手を差し出した。
「よせよ、そういうのは苦手だ……」
そう言いながらも、おれは差し出されたポタ夫の右手を握り返した。
ポタ夫がどこか寂しそうな笑顔を見せながら言う。
「バンドを辞める訳じゃありません……これからも『ノー・ブレーキ』を目標にやっていきます」
「目標が低すぎるよ」
おれの言葉にポタ夫は軽く笑うと、ステージに目を戻した。
そのまま黙ってカナたちのステージを見ていたが、演奏が終わる間際、ステージを見たままポタ夫が言った。
「タカさん」
「何だ?」
「カナさん幸せにしてください」
「え……」
カナたちの演奏が終わった。大きな歓声にかき消され、ポタ夫との会話はそこで途切れた。袖に下がってきたカナたちと入れ替わりに、フライングウィザーズがステージに出て行く。
拍手の中、演奏が始まった。
おれはその場に立ち尽くしていた。
ポタ夫の今の言葉。あれは……。
戻ってきたカナは、いつものようにステージ袖に準備していたタオルで額の汗を拭きながら、ペットボトルの水を飲んでいる。少し乱れた息を整えると、おれの隣に来た。
「どうだった、タカ……」
カナに話しかけられ、おれは平静を装って答える。
「ああ、よかったよ。奥で休んどけよ」
「ううん、平気。ウィザーズの演奏聴く。最後だから」
カナはピンクのタオルを首にかけ、水をまたひと口飲んだ。
ウィザーズの演奏が始まると、奥からマサが顔を出し、何か落ち着かない感じで辺りを見回している。
「どうした……マサ」
おれが声をかけると、マサは言った。
「いや……リョウの姿が見えないんだ」
「トイレで発声練習だろ」
マサは首を振る。
「もちろん確認した。いない」
リハーサルの時、フジとリョウの様子がおかしかったのを、おれは思い出した。おそらくはそのせいで、マサも不安になっているのだろう。
「外を探すか」
おれとマサのやりとりを見ていたカナが、心配そうな面持ちで言った。
「あたしも探そうか?」
おれはカナの耳元に口を近付ける。
「おまえはウィザーズを見てな。マサと二人で探してくる」
おれとマサはステージ袖を奥に入り、裏の通路に出た。
二手に分かれ、客席や楽屋、『ガレージハウス』の練習スタジオや、併設された『ヤマキ楽器』の中も探した。
リョウの姿はどこにもなかった。
ピッグエッグの客席への出入口の前で、マサとおち合う。
「どうだった? タカ」
「見当たらない」
「たぶん外に行ってるんだな」
マサは言った。
あの、いつもどっしりと落ち着いているマサが、珍しくそわそわと落ち着かない。リョウの姿が見えない事よりも、おれにはそのほうが不安だった。
「なあマサ、リョウだって子供じゃないんだ。開始時間くらい承知してるだろう」
おれが諭すように言うと、マサは少し照れくさそうに頭をかいた。
「まあ、そうなんだがな……この間、ギターの二人、様子おかしかっただろう。何だか気になるんだ……我ながら、心配し過ぎだって思うんだけどさ……」
やっぱり。マサはあの時の事を心配していた。
「いいさ。その気持ちもわかるよ。フジはどうしてる」
「いつもと変わらず、さ。楽屋で指慣らししてる」
マサと二人で裏口から外に出て、周囲を見渡す。
いない。おれたちは正面玄関に回ろうと路地を歩いた。
角を曲がれば正面側だという所で、マサが急に立ち止まり、おれはマサの背中にぶつかった。
「あいて……なんだよマサ……なんで止まんの……」
マサはまるで隠れるように、『ピッグエッグ』の外壁に背中を押し付けて、険しい目をして固まっている。
「何だ、あれは……」
マサは呻くように呟いた。
「ん? 何言ってんだマサ……」
「そっと顔を出して見てみろ。そ~っとだぜ……」
言われた通りに、そっと覗いてみた。
ピッグエッグの正面玄関から二軒ほど離れたイタリアンレストランの前で、リョウとトモちゃんが楽しそうに話をしていた。
おれはマサの隣に並んで、ピッグエッグの外壁に背中を押し付けた。
「おい……なんなんだ、あれ……」
リョウとトモちゃんは元から友人同士だ。しかし、友人というには少し違う空気が、今の二人の間には流れているような気がした。
「あんまり勘繰りたくないけど……そういう事なのかな……」
マサが言った。
「フジとリョウの様子がおかしい理由って、まさか……」
おれはそのままゆっくりと、壁際にしゃがみ込んだ。
そうだ。
品が無いのを承知で言えば、トモちゃんは乗り換えたのだ。フジから、リョウに。
「戻ろうぜ、タカ。アップしないと」
マサの呼びかけに、おれは何を答える気力も無かった。
この壁の向こうの光景、フジの気持ちを察するに、こいつはあんまりだ。
そして、おれには気になる事がもうひとつ。
さっきの、ポタ夫の言葉。
『カナさん幸せにしてください』
ポタ夫はそう言った。その後に言葉を続けるとしたら、こうだ。
『自分の代わりに』
ポタ夫の、カナに対する気持ちが痛いほど分かった。
「行こう、タカ」
おれに声をかけながら、マサはゆっくりと裏口に向かって引き返す。重い腰を上げるおれに、マサは言った。
「こういうのもひっくるめて、ロックンロールだろ」
そう。だけど、ライブ直前にこんな気分は、あまりにひどすぎた。
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