第2章

夏仕様ハイウェイ

 八月の終わり。おれたちは車上の人だった。

 すっかり乗り慣れたフジの車。相変わらず車内は狭い。珍しく灰皿に脱臭ビーズが入っているのは、最近この車に頻繁に乗っているであろうトモちゃんへの配慮だろう。

「九月のライブが楽しみだな。今回ついたリョウのファンが友達でも連れて来てくれりゃあ、次はもっと客が来るぜ」

 おれはそう言いながら後部座席から身を乗り出した。

 おれとは対照的に、いつものように淡々としている助手席のマサ。

「客が来るって言ってもさ……リョウに釣られて来る女だろ? 素直に喜んでいいのかね……」

 マサの冷静な反応に、フジが煙草に火を点けながら反論した。

「誰が何を目当てに来ようと、チケット一枚に変わりねえよ。おれたちに損はねえ」

「まあ、そりゃあそうなんだがな……」

 車に乗ると眠くなるマサは、早くもあくび混じりに答える。

 車は河口湖に向かっていた。

 夏休みの旅行を兼ねた、三泊四日の合宿。河口湖には音楽スタジオ付きのホテルやコテージが多い。おれたちは八人で、格安のスタジオ付きコテージを借りたのだ。

 しかし、出発当日になって、雲行きが怪しくなった。

 マキが運転する車に乗るのは、カナとしーちゃん。

 こちらの車を運転するのはフジ。同乗者はマサとおれ。

 合わせて六人。予定より二人足りない。フジの彼女、トモちゃんと、リョウが乗っていない。

 男四人で大学の近くで待ち合わせた時、いつもの車に乗って、フジは十分程遅れてやって来た。

 一人で。

 トモちゃんはどうしたとマサが質問すると、フジは煙草に火を点けながら、

「来ねえよ」

 とひと言。

「なぜ」と問うおれとマサに、フジは肩をすくめて見せるだけだった。

 それだけならまだしも、今度はリョウが、「先に行ってくれ、後から追いかける」と、マサに自分のギターと荷物を預けてどこかに行ってしまった。

 というわけで、おれたちの車は三人だけを乗せて走っていた。渋滞気味の一般道を十五分ほど走り、高速道路に乗る。

 前を走る車を運転している、ドラマーのマキ。

 ほっそりとした長身で、髪は腰くらいまであるストレート。前髪は眉の辺りで切り揃えている。普段はいわゆるゴスパンク風の格好をした大人しい女の子だが、ドラムセットを前にすると人が変わる。髪を振り乱し、地の底から響くようなヘビーでパワフルなドラムを叩く。

 そして、それはどうやら、運転席に座った時も同じらしい。

 高速道路に乗った途端、マキのハッチバックは尻に火がついたかのように追い越し車線をぶっ飛ばしまくっている。

 フジは、マキが運転する車の後を、必死の形相で追走していた。

「くそ……タカ、カナの携帯に電話しろ」

 くわえた煙草のフィルターを口の端っこで噛みながら、フジが唸るように言った。

「何だ? ペース落とすように言うか?」

 おれはシャツのポケットから携帯を取り出す。

「うう……いや、そんなストレートに言うな! ……そうだ、次のサービスエリアに入るって言え! くそ、ジル・ビルヌーヴにでもなったつもりか、マキは!」

 おれは携帯の電話帳を呼び出し、カナの携帯に電話した。

「……ああ、カナ、おれ。うん。次のサービスエリアに入るようにマキに言ってくれ。ん? トイレタイム。違うよ、おれらが行きたいの。ペットボトルに? バカなこといってんじゃないよ。寄れっつーの。寄ってください。はいよ、よろしく」

 電話を切った。

 おれとカナの会話の内容を察したマサが助手席から振り返り、面白そうに笑っている。

「ペットボトルに、ね」

 おれは携帯をポケットに戻し、ため息をついた。

「まったく、若い女の言葉とも思えん」

「それだけおまえに心を開いてるって事さ」

 マサはそう言って、缶コーヒーをひと口飲む。

「おれに? そうかな」

「そうさ」

 フジがクックッと笑った。

「知らぬはタカさんばかりなり……か。お、そろそろだな」

 フジが煙草を消し、ウインカーを出して左に車線をとった。

 サービスエリアに入り、みんなで車を降りた。おれたちはトイレに入る。大して行きたくもなかったが、トイレタイムだと言った手前、入らない訳にも行かない。

 一足先におれがトイレから出てくると、売店のほうからカナが近付いてきた。何か買ってきたらしい。

 カナは珍しく、女の子らしい格好をしていた。ピンクの小さな水玉が入った白いコットンキャミソールの上に、グレーの半袖パーカーを羽織っている。もものかなり上のほうまでカットしたジーンズに、足元は白いミュール。

「よう、ずいぶんかわいい格好してんなあ」

 おれがからかうと、カナは頬を膨らませた。

「うるさいなあ。スタジオとは違うんだからね。カナちゃん夏仕様だもん」

 本人が言うとおり、まさに夏仕様だ。カナの可愛らしさを引き立てているが、斜めにかぶったトラッカーハットと、右手に持った食べかけの串じゃがくんの効果で、小学校高学年くらいの男の子に見えなくもない。

「まあ、わんぱく坊主風にも見えるかな」

 率直に感想を述べるおれの脛に、いつものように蹴りがとぶ。だが今日はミュールなので、蹴りのパワーは半減だ。

「ねえ、タカ……」

 カナが少し声を落として、おれのほうに僅かに顔を近付けながら言った。シャンプーとコロンがかすかに香る。

「トモちゃんは……? 来ないの?」

 ライブの打ち上げの時、フジから改めて彼女を紹介され、カナたちもトモちゃんと一緒に河口湖に行くのを楽しみにしていたのだ。

「たぶんな。トモちゃんのこと訊いたら『来ねえよ』って言ったっきりだもん。あんまり根掘り葉掘りってのもさ……」

 おれもカナにつられて小声になる。

「そう……だよね……」

「うまそうだな」

「え?」

 カナがおれの視線の行く先を目で辿り、自分の右手の串じゃがくんを見た。

 カナはおれのほうに串じゃがくんを差し出す。

「ん」

 なんだ?

「ん? なんだよ」

「あーん」

「バカヤロ」

「あーん」

「いいって」

「あーん!」

「はいはい、あーん」

 おれは根負けして口を開ける。自分の顔が赤くなるのがわかった。串じゃがくんをひとつくわえると、カナがゆっくりと串を引き抜く。

「あひひひ……サンキュ」

「おいしい?」

 満足そうに、カナがおれの顔を覗き込む。

「ん」

 おれは照れくさくなって、頷きながらそっぽを向いた。

「おい、そこのアツアツカップル、そろそろ行くぜ」

 後ろから声がした。振り向くと、フジがニヤニヤしながら、手に串唐揚げとコーラを持って歩いてくる。

「ったく、大ゲンカしたばっかのおれに見せつけんなよな」

 フジはそう言いながら、串唐揚げをひとつかじった。

「ケンカしたの…… いつ……」

 カナがおれの横を通り過ぎ、フジに近付いていく。残り香が鼻先をくすぐった。

「あちちち…… 昨日だよ……」

 フジが眉間に皺を寄せた。ケンカを思い出したからか、それとも唐揚げが熱いのか。

「ちょっとした言い合いだったんだけど……昨日は互いに譲らなくて、さ」

「ふうん……ま、なるべく早く謝っちゃいなよ。とりあえず電話でもしてみたら?」

「だな。さあ……行くか」

「あ、それからさ、フジ……」

「ん? いてっ!」

 フジの脛にカナの蹴りが入った。

「誰がアツアツカップルよ」

 ひと仕事終えたという風な満足げな表情で、カナが串じゃがくんをひと口かじる。

 そのカナの後ろからしーちゃんが近付いてきた。少し足元がふらつき、顔色が悪いようだ。

「あ、タカ……ちょうどよかった」

「どうしたしーちゃん、大丈夫か……」

「マキの運転荒いから、酔ったみたい……ねえタカ、悪いんだけど私と交代してくれない?」

「おれ?」

「おいでよ、タカ。歓迎するよ」

 カナがおれのシャツの裾を軽く引っ張った。

「おう、来いよしーちゃん。タカと交代」

 フジが自分の車に戻って行く。ついでにマキの車に近付いて言った。

「マキ、おれら先に走る。ゆっくり、安全運転で行くからな」

 それを聞いたマキは、心なしか残念そうな表情だ。フジはおれに向かってコーラの缶を持ち上げる。

「じゃあな、タカ。カナにいじめられたら携帯鳴らせ。次のサービスエリアで回収してやるよ」

 カナが串じゃがくんで頬を膨らませながら、おれに向かって意地悪そうに微笑んだ。

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