ライブ! ライブ! ライブ!

 全グループがリハーサルを終え、いよいよ客入れだ。

 客の入りは、まあまあといったところ。最近ではおれたちのチケットも『配る』のではなく『売れる』ようになってきた。

 開演前の会場に流れるビートルズは、部長の選曲だった。曲が鳴り止み、照明が落ちると、会場からは大きな拍手。

 トップバッターのムスタング・ドライブが袖から出て行くと、ステージの照明が点灯した。客席からは歓声と口笛。「カナちゃーん」という男の野太い声が聞こえる。

 マサが眉を上げ、おれを見た。

「タカ、今の聞いたか。大したもんだ」

「ちょっとしたアイドルだな」

 おれたちはステージの袖で囁き合った。

 しーちゃんがベースにシールドを差し込むのが間近に見える。

 舌の裏がキュッと締めつけられるような緊張が、一瞬、ステージの上を支配する。

 カナ、マキ、しーちゃん。三人で目配せし合い、マキがスティックでカウントを刻む。

 ムスタング・ドライブのいつもの一曲目、『チェリーボム』が始まった。

 小さな体を大きく弾けさせ、黒いタンクトップにブルージーンズのカナが、黒いテレキャスターを弾き鳴らす。ワイルドに、ちょっぴり妖しく。そしてキュートでありながらどこかルーディーなボーカル。

 堂々と弾きこなし、歌いこなしている。演奏している時のカナは普段のカナより、ほんの少し大きく見えた。

 リョウとフジはステージ袖の奥で、ビートに合わせて腰を振っていた。

「ウォウ! こいつはいい!」

 カナたちの演奏を聴けば、体を動かしたくなる気持ちも良く分かる。ステージ狭しと演奏する、三頭の野生の跳ね馬だ。

 一曲目が終わった。歓声。客席からはメンバーそれぞれの名を呼ぶ声。中でも多いのがカナの名を呼ぶ声だ。カナがマイクに向かって話し始める。

「みなさん、今日は音楽同好会、初夏の定期ライブに来てくれてありがとう。最後まで楽しんでいってください」

 客席から声がかかる。

「カナちゃん愛してる」

 カナは目を丸くし、声をたてて笑った。

「あは、ありがとう。でもごめんね。あたしが愛してるのは、こいつなんだ……」

 カナはそう言いながら左手でギターのネックを持ち上げ、そっとキスをした。客席から口笛が鳴らされる中、カナはマキに視線を送る。

 二曲目、『I Love Rock & Roll』が始まった。客席から大きな歓声。

 マサがステージを見て愉快そうに笑っている。

「やるねえ、ネックにキスとは、どうだいタカ、あれ……」

「ああ。できたら客席で見たいもんだ……」

 そう答えるおれはうわの空。

 ネックにキスか。ギターにやきもちを妬いても仕方ない。頭を左右に振り、仲間たちに声をかける。

「よし、そろそろウォームアップ始めるか」

 一度奥に引き上げ、ウォームアップを済ませてステージ袖に戻ると、ちょうどカナたちの演奏が終わる頃だった。

 袖でカナたちの演奏を熱心に見ていたポタ夫が、おれたちが戻ったのを見つけて声をかけてきた。

「タカさん、そろそろカナさんたち終わります」

「おう。ステージ、どんな感じ?」

「いいっすよ。カナさんたち、オープニングじゃもったいない感じです」

「今日はムスタングとノー・ブレーキでいただきだな」

「お手柔らかに」

 ポタ夫は首を縮めながら、右手で眼鏡を上げる。

 おれの後ろにいたマサが、ポタ夫の眼鏡に気が付いた。

「ポタ夫、眼鏡かけっぱなしか?」

「コンタクト忘れちまったんですよ。メガネ外したら何も見えません」

 フジがポタ夫の顔を覗き込んで笑った。

「ふむ……まあいいんじゃねえの? バディ・ホリーみたいでさ」

「コステロってのもアリですかね」

 ポタ夫も気をよくして軽口を叩く。

 おれは袖からそっと客席を覗いてみた。盛り上がっている。おれたちの出番になったら急に静かになってしまわないといいが。

 おれは三人を振り返った。

「さあ、そろそろだぜ。行こう、ハイファイブだ」

 四人で手を上げ、軽く触れ合わせながら声を揃える。

「ぶちかまそう」

 ノー・ブレーキのルール、その一。ステージに上がる前のハイファイブだ。

 おれたちが儀式を終えるのを待っていたかのように、カナたちが演奏を終えて袖に戻ってきた。

 おれはカナに声をかける。

「よう、お疲れ」

 カナはギターのストラップから腕を外しながら頷いた。象牙のように艶やかな肩が汗で濡れ、少し苦しそうに息を切らせている。

「よかったぜ」

「盛り上がったなあ」

 戻って来たムスタングに、袖で見ていた連中が口々に声をかけた。カナはタオルで額の汗を拭いながら、おれの耳元に顔を寄せる。濡れた肌から、ミルクのような甘い香り。緊張とは違う胸の高鳴りを感じる。

「タカ、見てるよ」

 カナはそう言うと、痛いくらいの勢いでおれたち四人の肩を順番に叩いた。



 リョウを先頭に、ステージに出る。

 とたんに黄色い歓声。リョウ目当ての女の子たちだ。

 おれの前を歩いていたフジが振り返る。

「ビートルズにでもなった気分だ」

 自分の言葉に軽く笑いながら、フジはマーシャルの前に立った。

 リョウがツインリバーブの電源を入れると、また歓声。

 リョウが何かするたびに声があがる。フジの言うとおり、まるでビートルズだ。ポール・マッカートニーのように、ひとつのマイクをリョウと一緒に使ってコーラスを入れてみようか。リョウファンの女の子に、どけと言われるに違いない。

 ベースアンプのバランスをリハどおりに。機材の金属臭に、気持ちが落ち着く。オーケー、ロックしよう。

 フジがおれを見て頷いた。

 おれは叫ぶ。

「ワン・ツー・スリー・フォー!」

 フォーと同時に、マサのスネア一発。


 Real Wild child――。


 ショボくれた学生であるおれたちが、今からほんの少しの間だけ、ワイルドな子供になって、ステージの上で遊ぶのだ。

 スリー・コードの排気音エキゾーストノートでロックンロールのハイウェイを駆け抜ける。ほんの一太刀でいい。単調に、退屈に、ただ続いていくだけの現実に、渾身の一撃を入れてやるんだ。

 マサの正確でパワフルなドラミングに助けられ、おれのベースもかなりマシになってきた。リョウの左側で、おれはディーディー・ラモーンのように脚を広げ、仏頂面でベースを弾き鳴らす。

 リョウのギターも、初めて聴いた時よりもさらに磨きがかかり、そしておれたちの音により一層溶け込んでいた。

 フジはいつものように低く腰を落とし、機関銃でも持つかのようにギターを構える。ワインレッドのレスポールが奏でる、太く甘い音色。テレキャスターの乾いた明るい音とは違う、どこかふてぶてしい音色。そう、フジにこそぴったりなサウンドだ。

 フジは指先ではなく、生き方そのもので演奏しようとする。いい加減でありながら、同時にいつも真剣な、音とアティテュード。

 リョウのボーカルに熱が入ってくる。男にしては若干高めの、しかしハスキーな歌声。美形の外見にはそぐわない、渋く、ブルージーなボーカルだ。

 マサが叩き出すビートが腹に響く。奴のドラムは本当に信頼できる。部室の外の陽だまりで、モナ・リザのプリントを前に奴とじゃれ合うような気分で、ドラムにベースラインを絡ませていく。おれとマサが紡ぐビートの上を、リョウとフジが縦横無尽に駆け抜ける。

 会場には、相変わらず黄色い歓声が聞こえていた。いい感じだ。女の子たちがリョウに送る声援が、おれたちを調子に乗せてくれる。もっと頼むぜ、みんな。おれたちをもっともっとその気にさせてくれ。

 フジのギターが、いつもよりほんの少しだけ走っている。マサがスネアを僅かに強調して、フジのペースを引き戻した。

 今日のフジがソワソワするのも無理はない。

 いた。

 客席の前の方、フジのほぼ目の前。トモちゃんだ。フジは気が付かないような顔をして弾いている。が、もちろん気付いているだろう。

 間奏で、黄色い声が自分に向けられていると気付いたリョウが、ギターを弾きながらステージの前に出て行って、女の子たちを煽っている。

 演奏を終えてひと息入れたカナたちが、ステージ袖からおれたちを見ていた。出番を終えた開放感からか、彼女たち三人の笑顔は心底楽しそうだ。

 一曲目が終わった。あまりにも素晴らしいリョウのプレイに、あちこちから口笛や拍手が聞こえる。騒然とする客席。さっきのカナたちにも負けない程の歓声が響く。

 不真面目で、ずる賢く、怠惰なおれたちに、ロック好きな珍しい神様が素敵なめぐりあいをプレゼントしてくれたのだ。改めて歓迎するぜ。リョウ、ノー・ブレーキにようこそ。

 おれは正面を向き、二曲目のカウントを入れる。ドライブはまだ始まったばかり。どこまで行くかって?

 シャングリ・ラだ。

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