あいつの恋人

 雨の月曜日。

 おれは狭い会議室から、窓の外を見た。

 今朝見た天気予報では、毎朝見るお気に入りのお天気キャスターが、関東地方は梅雨入りしたと言っていた。

 ジョーイ・ラモーンの曲で、素敵なニュースキャスターについて歌ったのがあったっけ、と、おれは灰色の雨空を見ながら思う。

 十五人前後の部員が、大学内の小会議室に集まっていた。

 同好会の中で、バンドやユニットを組んでいる連中が各グループから代表で一、二人、ソロで活動している奴らが数人。ノー・ブレーキからはおれとマサ。

 八月に開く、部内定期ライブについて話し合っているのだ。

 同好会では、年に数回ライブをやる。文化祭に一回、クリスマス前後に一回、二月の中旬辺りに一回、そして、夏の初めと終わりにそれぞれ一回ずつだ。全てに出演しなくても構わない。が、一公演に出演するグループがあまりにも少ないというのも格好がつかないので、こうやって出演するグループの調整をしているというわけだ。

 おれたち『ノー・ブレーキ』は、極力出演するようにしている。ライブハウスに支払う会場使用料が、同好会の予算で賄えるからだ。そのかわり、チケットの売り上げの半分以上を同好会に上納するのだが。

 ホワイトボードの前で、部長が渋い顔をしている。

「ノー・ブレーキとムスタング・ドライブ……あとはポタ夫のトコか……これ以外は出演希望なし……。三組だけじゃどうにもならんぞ。どうだ……あと……三、四組くらいは欲しいな」

 部長の表情が険しくなるのも無理はない。本来であれば我先にと出演したがってもいいくらいだ。みんな何の為に同好会に所属しているのかわかりゃしない。

「タカさん……」

 後ろの席からポタ夫が声をかけてくる。おれは無言のまま振り返った。

「タカさんたち……出るんですか……就活とか平気なんですか……」

 小声で心配そうに訊ねるポタ夫に、おれは余裕の笑みを見せる。

「ライブは八月だぜ? 真夏にスーツ着て就活なんかしてたら死んじまうよ」

「でも……やばいですよ……秋になったら……」

「秋からくらいで丁度いいだろ……他の連中が早すぎんだよ……だいたいおまえ、三年生で出るのっておれらだけじゃないだろ……ムスタングだってそうだろが……」

「カナさんたちは心配ないでしょ……」

「おまえそりゃどういう意味だよ……」

 部長がオホンと咳払いをしてみんなを見回す。

「部長、おれら出演するつもりでリハやりますけど……」

 おれの隣にいたマサが部長に言った。

「ああ、ノー・ブレーキは出演決定だ。ムスタングとフライングウィザーズもな」

 ムスタングはカナのバンド。ムスタング・ドライブ。フライングウィザーズはポタ夫のバンドだ。まずは三組決定。

 カナたちも、ポタ夫のところも、実に積極的に活動している。おれたちを含めたこの三組は、ほぼ皆勤賞といってもいいくらいだ。

 それに比べてほかの連中ときたら……。

「マサ……」

 おれは小声でマサに呼びかけた。マサが耳をおれのほうに寄せる。

「四月に五人くらい新入生が入ったよな。あそこに二人いる」

 おれはそちらに向かって軽く顎をしゃくって、言葉を続けた。

「他はどうした」

 マサは今度はおれの耳に口を寄せた。「やめたらしい」

「やめた? もう?」

「飲み会とか、そういうの期待してたみたいだな。どうやら……カナ目当てだったらしい」

「なるほど……カナ、そういうの興味ないからなあ……」

「そうだな」

「音楽ひと筋って感じだもん……あいつは……」

 おれがそう言うと、マサは不思議そうにこちらを見たが、何も言わず、また部長のほうに目を戻した。

 部長はとうとう最後まで、渋い顔のままだった。

「出演決定の三組以外の代表は、明日もう一度部室のほうに集まってくれ。うちは飲み会サークルじゃないんだからな。もっと積極的にライブに参加してくれよ。以上、解散」

 めいめいに席を立ち、会議室を出て行った。



「フジは大丈夫かな」

 廊下を歩きながら、おれは前を行くマサに声をかけた。

 最近、フジは例の合コンで知り合った彼女と一緒に過ごす時間が多いらしく、週一のスタジオ練習の時以外、ほとんど顔を合わせていない。

「まあ大丈夫だろ、フジなら。学食にするか?」

 マサが腕時計を見ながら、昼食の話をした。

「いいね。何食おうかな……選曲はおいおい決めるとしても、出演決定の知らせくらいはしてやったほうが……あれ、リョウじゃねえか? おい、リョウ!」

 おれは前を歩いているリョウを呼び止めた。リョウが振り返る。ちょうど授業が終わったところらしい。

「おう、ミーティングは終わった?」

「ああ、出演決定は今のとこおれら含めて三組。学食行くんだけど、付き合わないか?」

「おれも行こうと思ってたトコだ」

 三人揃って学食に向かう。

 ひとつのライブへの出演数が少なくなるほど、一グループの演奏曲数は多くなる。ライブとしてはグループ数が多いほうが見栄えはするだろうが、こちらとしては一曲でも多く演奏したい所だ。

 おれたちは学食に入り、食券を買って列に並んだ。順番に料理を受け取り、空いたテーブルを探す。

 気が付くと、周囲の女の子たちが、みんなリョウを見ていた。

 なるほど、と、おれは納得する。

 最初に出会った時も思ったが、リョウはかなりの二枚目なのだ。

 背が高く、少し色白で、髪を金髪にしたら白人の少年のようだ。鼻筋の通った涼しげな顔立ちで、一見すると線が細く見えるが、力強い目と口元が、一本筋の通った気風を感じさせる。

 空いたテーブルを見つけ、三人で座った。

 今、テーブルまで歩み寄る間にも、女の子たちの視線がリョウの歩調に合わせるように動いていった。まるでスタジアムのウェーブか、モーゼの紅海横断だ。やはり、女の子たちは目をひかれるようだ。次のライブで、フロントに立つリョウを見る観客の反応が楽しみになってきた。

「マサ、フジにメールは送ってるの?」

 カツ丼と味噌汁の乗ったトレイをテーブルに置きながら、リョウが言った。

「ああ、送ってるよ。返信は滅多にないけどな」

 マサは割り箸を割り、何度か擦り合わせてから味噌ラーメンを摘み上げ、息を吹きかけながら食べ始めた。

「あいつはいつも返信しないからな。あいつから来るのはスタジオ練習の日時の確認くらいだ」

 おれはリョウに説明しながら、しょうが焼定食に箸をつけた。

「またジン定かよ」

 マサが味噌ラーメンを啜りながらおれのトレイを見た。

「ああ」

「おまえ、ここの味噌ラーメン食ったことねえだろ」

「学食の? ああ……ねえな」

「絶品だぜ」

「へえ……」

 突然リョウが箸を止め、声をあげた。

「ほら、見なよ。ウワサをすれば、だぜ」

 おれとマサは、リョウが指し示すほうを見た。

 フジだ。おれたちに気付いて近付いてくる。

「何だよ、三人そろって学食か?」

 フジは昼食を終え、学食を出ようというところだった。

 そして、おれとマサは、フジの後ろにいる女の子に目を奪われていた。おれとマサの視線に気付いたフジが照れ臭そうに微笑う。

「ああ……二人は初めて会うんだっけ……まあ……なんつーか……彼女。おれの」

 フジが頭を掻きながら、反対の手で後ろにいた彼女をそっと手招きする。

「トモ、タカとマサだよ……」

 彼女がフジの隣に来た。

「初めまして。町川智美です」

 名前を名乗り、ニッコリと微笑む。

「お二人の事、知ってます。私、ノー・ブレーキのファンだから。お二人の話、フジくんからよく聞いてます」

 前からの知り合いであるリョウはともかく、おれとマサはきっと間抜けな顔をしていたに違いない。


――モデルっぽい感じで、割と目を引くコさ……。


 部室の前で日向ぼっこをしていた時、ポテトチップを食べながらリョウはそう言っていた。

 が。

 これほどとは思わなかった。

 軽く縦巻きのウェーブがかかった、清潔感のある栗色のロングヘア。色白ですらりと背が高く、顔が小さい。ぱっちりとした優しげな目。小さな唇にうっすらと輝くルージュはローズピンク。スリムな体に、アクアブルーのノースリーブワンピースがよく似合っている。丈は下品にならない程度のミニ。薄手の白いカーディガンを羽織って、肩の露出を抑えている。足元は白いミュール。手足の爪を、ルージュと同じ色に塗っている。手には握りの細い、パールホワイトの傘。

「フジくんたら、デートしてても、いつもバンドの話ばっかりで……」

 少し怒ったような口調でそう言うと、口調とは裏腹の、慈愛に満ちた微笑みをフジのほうに向ける。なんだよ、と、軽く膨れっ面のフジ。

「次のライブも、絶対見に行きますね」

 おれたちのほうに視線を戻し、もう一度ニッコリと微笑んだ。

「トモちゃん、次はおれも出るから、きっと見に来てくれよ」

 リョウが言った。

「うん、楽しみにしてる」

 照れくささに耐えられなくなったフジが、彼女に向かって声をかける。

「もう行くぞ、トモ」

「うん」

 歩き出そうとするフジに、おれは言った。

「ああフジ、八月のライブ、決まったからな。出演グループの数次第で、曲数増えるから」

「オーライ、今週中にはグループ数も決まるだろ? 来週から週二回にするか、スタ練」

「とりあえず水曜に入って、その時決めよう」

「あいよ、じゃあな」

 歩き出すフジの後ろを付いて行きながら、彼女は振り返り、おれたちに向かって軽く会釈をした。おれとマサもつられて頭を下げる。

 二人の後姿を見送りながら、マサが言った。

「ぶったまげた……」

 ふと気が付けば、さっきのリョウの時と同じように、今度は大勢の男たちがフジの彼女に視線を送っている。

「二人とも、初めてマンモスを見た原始人みたいだったよ」

 リョウがニヤニヤしながらおれとマサをからかった。

「おまえは前から知り合いなんだろ? だからそう言えるんだよ」

 リョウは答える代わりに、カツ丼を勢いよくかき込む。

 マサが少しのびかけた味噌ラーメンを箸で手繰りながら呟いた。

「ありゃマンモスどころじゃねえ。モノリスだ。おれたち、初めてモノリスを見た原始人だ」

「そうだな」

 おれは同意する。

 フジの彼女は何人か見た事があるが、あそこまでの美人は今回が初めてだった。

「今度は続いて欲しいもんだねえ……」

 そう言って、マサは味噌ラーメンのスープを旨そうに啜った。

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