四人の音合わせ
フジがマーシャルのボリュームレベルを上げ、Dのハイポジションを押さえて、ピックを上から下におろす。エフェクトをかませていない生のレスポールの音が、アンプのスピーカーを震わせた。
おれはマイクのセッティングを終え、黙々と演奏準備をするリョウに視線を向ける。
リョウが抱えるギターはおれと同じ、フェンダー・テレキャスター。カラーはナチュラルサンバースト。フロントのピックアップがハムバックに交換してある。ツインリバーブにシールドを突っ込んで、音を出しながらチューニングを合わせていた。
まず最初は、弾き慣れたギターから聴かせてもらう事にした。つまり、最初にベースを弾くのはおれという事になる。
おれはカナから借りたベースをアンプにつなぐ。アンプの電源を入れ、ボリュームレベルをあげながらカナのベースを鳴らしてみた。
アンプの使い方くらいは、カナに教わってくればよかった。とりあえず低音と高音を上げ、中音域はフラットに。いわゆる『ドンシャリ』というやつだ。
カナのベースは、白いボディに黒いピックガードの、フェンダー・プレシジョンベース。エレクトリック・ベースの元祖ともいえる機種だ。シンプルで、太く、力強い音がする。汎用性に欠けるといわれたりもするが、ロックをやるのならば、必要にして十分。
適当に音を出してみる。高音が少しトガリ気味か。アンプに手を伸ばし、トレブルを若干下げ、もう一度鳴らす。まあとりあえず、こんなもんでいいだろう。
おれは改めて、カナのベースを眺めてみた。
オリンピックホワイトのボディはよく手入れされてピカピカだ。
黒いピックガードにはいくつかの小さな傷。おそらくはピックで付いたものだろう。
カナがベースを弾いていた期間はほんの僅かだったにも拘らず、その間に相当練習した跡が伺える。
かといって手荒に扱った感じではない。真面目で几帳面なカナの事だ。とても丁寧に、大事に使っていたに違いない。
「さて……と。準備いいか?」
マサがスティックを手に、みんなに声をかける。フジが肩から下げたレスポールを鳴らしながら「オーケー」と言った。マサはフジに向かって頷くと、続けてリョウに声をかけた。
「リョウ、おれらいつも一曲目にやる曲があるんだ。『Real Wild Child』って曲、知ってる?」
「ああ知ってる。けど、弾いたことはないよ」
「楽なものさ。何回かまわすから、適当に入ってくれ」
「オーケー」
「よし、じゃあ行こう」
マサがおれを見た。フジもおれを見ている。
「……何だ? 何見てる?」
おれは二人に向かって言うと、フジが答えた。
「ベーシストがカウント出すんだろ?」
おれたち『ノー・ブレーキ』のルール。
その一 ステージに出る直前のハイ・ファイブ。
その二 曲を始める時のカウントはベーシストが出す。
その三 MCは極力短く。演奏中ニコニコしない。
おれたちが敬愛するいくつかのバンドの習慣を真似たものだ。
「ああ……オーケー」
おれは慣れないベースのフレットを確認し、カウントを出す。
「よし、いくぞ……ワン・ツー・スリー・フォー!」
フォーと同時に、マサのスネアが一発。
演奏が始まる。
まるで、ロックンロールの型紙から切り出してきたような正統派の一曲。イントロを終え、おれは歌い始めた。
D‐G‐A、1‐4‐5度のありがちな進行を延々と繰り返す。
単調ではあるが、熱くなる。
こういう曲を演奏して、クールだと思ってしまったらもう病気だ。決して完治することのない、ロックンロール・ディジーズ。
ワンコーラス終えたところでリョウのギターが入ってきた。
おれとフジ、それにマサは互いに顔を見合わせ、会心の笑みを交わす。
いいギターだ。フジほどのルーズさはないが、固すぎず、伸びやかな演奏。とても初めて弾く曲とは思えないほど、プレイが自分のものになっていた。
フジは参ったという風に、首をゆっくりと振っている。
リョウは完璧に弾きこなしていた。
フジは笑顔で、何やら唇を動かしている。「こいつはすげえぜ」。どうやらそう言っているらしい。
マサは顔を僅かに下に向け、一心不乱に叩き続けている。気分がのってきた時のマサはいつもこうだ。いい気分のマサを尻目に、おれはほとんど弾いたことのないベースに四苦八苦していた。おまけに歌いながら弾くのは、ギターの弾き歌いよりも難しい。
リョウのギターは申し分ない。この分だと、おれは真剣にベースの練習を始めたほうがいいかもしれない。
フジが弾きながらピックを持った右手を上げる。演奏を終える合図だ。みんながフジを見る。
アイコンタクト。後は
曲が終わり、訪れる静寂。四人がバラバラに、大きく息をついた。
「どうだ、タカ?」
マサが声をかけてくる。
「う~ん……おれのベースは、練習すりゃもうちょいマシになる。だけど弾きながら歌うのはちょっと……」
そう答えながら、おれはひらめいた。
リョウの声。見た目も抜群だが、声も悪くない。少し高めの、ロッド・スチュワートみたいな声じゃないか。
おれはリョウのほうを向きながらマイクを通して言った。
「リョウ、ストーンズは弾けるか?」
「ああ、有名な曲ならだいたいは……」
リョウは一度ギターを下ろし、ライダースジャケットを脱ぎながら答えた。黒いロンTの袖をたくし上げている。
「オーケー。じゃあ次は『ジャンピン・ジャック』をやろう。ただし、今度は歌いながらだ」
リョウは目を丸くしておれを見た。
「歌ったことはないよ。歌詞はよく知らないんだ」
「歌詞は知らなくても、言葉の響きはだいたいわかるだろ?」
「まあね」
「じゃあ問題ない。ビル・ワイマンは弾きながら歌わないだろ? キースは弾きながら歌うぜ?」
「弱ったな」
無茶な要望に、リョウは困った顔をしている。おれは構わず、フジに合図を送った。
フジが演奏を始める。キーはB。バンドを始めた頃から、もう数えきれないほど聴いたリフだ。何度も繰り返し演奏した曲。
イントロが終わりかけ、フジがリョウに目で合図を送る。
リョウのボーカルが入る。
フジとマサがおれを見て頷いた。おれも頷き返す。
悪くないってことだ。
これでおれは、どうやらベースだけに専念できそうだ。問題は、ベースを買う金をどこで調達するかだ。深夜のバイトでも始めてみるか。
ルート音を、ぎこちない運指で追いかけながら、おれはぼんやりとそんな事を考えていた。
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