幕間 或いは回る灯篭

私(■■)

「私にもっと力があれば、こうはならなかったんだろう」


 誰かの許しを請うような声、もう目蓋まぶたが重くて、声の主を確かめることも億劫に感じられた。

 傷口から這ってくる脱力感に身を委ねそうになる中で、それでも私の指は砂利を擦って、近くに落ちているはずの日記を探し求めている。


 今時、そういうの書く? なんて同級生に笑われたことがあるらしい。

 混血児、忌み子、息苦しくて、なんども陰陽寮から逃げ出そうとしたらしい。

 でも、似たような境遇の男の子と出会って、その子と大切な約束を交わしたらしい。


 そのどれもが日記から取り戻す、いつかの私だった。

 徐々に自分が別の誰かに変わっていく気配。

 幼少期の記憶から始まって、去年、先週と私が覚えていられる時間は成長に反比例して僅かばかりになっていった。


 臓器に記憶が宿るって聞いたことはある?

 じゃあ、人格は?

 それなら、魂は?


 いつ、誰と話した内容だろう。

 影絵を映すように、走馬灯が駆け抜けるように、死の間際になって、どこかに落としてきたはずの日々が私の中で蘇ってくる。


「……すまない」


 これでいいんです。

 でも、そんな一言は私の喉の奥から溢れてくる喀血かっけつに紛れた気泡で、声の形を成さずに口元からぶくぶくと零れてしまう。


 今になって、せめてもの手向けだと言いたいのか、破けて散らばったはずの思い出が一枚、また一枚と、決壊した堤防から飛び出す奔流のような勢いにのって脳裏をよぎる。

 朝日さんは何も悪くありません。

 識訳師の仕事も責任も、私は理解してます。

 だから、自分を責めないでください。


 これでいいんだ。

 忘れてしまわないように書き続けてきた日記そのものさえ忘れてしまうなら。

 記憶も人格も、全てを失ってしまう前に私が私のままでいられる間に……。


 陰陽寮で日向君と交わした約束も、秋葉原で彼が死んでしまった時の決意も。

 それら大切なことを忘れて、別の誰かになってまで生きていても仕方ないから。


 これでよかった。

 こうすることでしか救われないなら。

 救済も対話も必要ない。

 識訳師だって、全てを救わるわけじゃないし、牙を向けてくる相手にまで手を差し伸べる必要なんてない。


 だから、これで……。













 いやだ。











 そんなわけない。

 思い出したくなかった。

 私だって、もっと私や日向君みたいな人達に手を伸ばして、悲しむ人の力になりたかった。

 もっと、せめて……手を繋いだり、デートしたり、それから、それから……とにかく好きな人と一緒にいたかった。





 ねぇ、どんな形でもいいから

 お願いします、神様

 諦めたくない

 私も日向君も生きてる

 そんな世界に――。













『どんな形でもいいって?』

「いいから、そんな世界にしてよ」

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