岬朝日(5)

『本日、とても運勢が悪いのは……ごめんなさーい、みずがめ座のあなたです、過去の失敗を思い出してふさぎ込みがち、アドバイスは柑橘類の飲み物です。それでは今日も一日頑張りましょう!』


 識訳師として世の中の変化を機敏に察知するため朝のニュースを確認していたら、みずがめ座の私はいきなり不幸の烙印を押し付けられてしまう。

 昨日は厄介事が節操なく頭上に降り注いできたような一日だったが、運勢は今日の方が更に悪いらしい。

 経験上、怪奇現象が連鎖的に起こるタイミングみたいなものは確かに存在していて、私の知らない所でも色々な問題が浮上しているのではないか? と推測していたのだが、残念ながら今朝のニュースではこれといって識訳師が忙しくなりそうな報道は聞こえてこなかった。


 勇司のことを泊めることはできなかった。別の世界の自身の夫という言葉に困る相手に対して、どう接するべきなのか……私には分からなかったのだ。


「昨日は私で、今日は朝日が最下位か……ついてねーなぁ」

「占いで未来を変えれるなら楽なんだけどな」

「占星を伸ばしていた倉橋家の現当主がそれを言っちゃうのはどうなん?」

「その結果として、私は言っているわけだ」


 半ば強がりではあったが、床に胡坐をかいている鈴里は「ふーん」と納得したのか興味がないのか曖昧な素振りで会話を打ち切った。

 穂波ほなみ鈴里は、私が起きてくると当然のように居間でくつろいでいて、

しかし、私が起きてくるまで真っ暗なテレビに電源を入れるでもなく、ただただ静かに時間を潰していた。そして、挨拶を交えるでもなく、彼女は占いの結果を聞くまでの間、呼吸すらしているのか怪しいほどの沈黙を貫いていた。

 昨日の占い最下位に、されど不在だった彼女に、つかさ君との出会いから勇司との遭遇までをかいつまんで説明し、私はそのまま意見を求めた。


「黄泉化生、黄泉から化けて生まれるもの、なんで識訳庁はそんな呼び方にしたのかね?」

「故人の姿を真似た何かが目撃される報告が多いから、だろうな」

「でも、朝日はこう疑っているわけだろう? それは故人を真似たものではなくて、故人そのものが有り得た可能性の姿、つまり……あんたが今まさに実体験していること、この世界とは別の可能性を生きている存在だって」

「断定はできないんだ、それに私が遭遇しているケースはどれも故人の話じゃない」

「嬉しいこと言ってくれるじゃん」

「勇司だって異世界にとんでいるが、あいつが生きてるのは確かだ……なにかあれば指輪が砕けているはずだからな」


 魔道具、識訳師として呼ぶのなら願具がんぐ――異世界から紛れ込んだ物、特に現代では再現できない物体の総称だ。

 勇司から送られた指輪は彼の身に何かしらの危険が迫った場合、形状が崩れると聞かされていた。


「どうだろうねー、あんたが事実を認めたくなくて、故に別世界の勇司が引っ張り出された可能性はゼロじゃないと思うけど」

「見せればいいんだろ、ほら、指輪には傷一つないだろ?」

「すぐムキになっちゃって、そういうところは本当可愛いんだからさ……あくまで可能性の話だよ、つまりな、今じゃあ異世界絡みの事件は珍しくないけど、同時に私達現代人もまた近しい現象を起こせるようになってきてる。トマソンの時点で話題になってただろ?」


 発端は異世界への憧れ、当時、トマソンの大冒険に限らず世間では現代人が異世界で生きていく物語が流行っていた。爆発的な流行により多くの人が妄想し、想像し、果てに願いが形を成したのだと……その妄言に説得力を持たせ、権力を得たのが陰陽道であり、後の識訳師だった。


「神様が信仰によって存在できるように、人々の願望が現象を起こす、か」

「そして起きた現象によって現代人と異世界人が混じり、混血も生まれてきてる……もう何が起きても驚かねーって話だ、黄泉化生はさ、私からしてみれば異世界人が起こしてる悪戯ってよりは、現代人の願望が生む怪奇現象ってのがしっくりくる、だろ?」

「そうだな、かつては黄泉還りと呼ばれる事件もあった。あれは正しく死んだときの姿のまま人々の目に映ったと聞く」

「根柢のあるのは同じさ、黄泉還りは残された者が戻りたいと願った過去の地点……で、黄泉化生はもしあの時、違う選択をしていたなら、から生じる未来の地点。なんにせよ、それは私ら人間が叶えてはいけなかった願いを誰かが叶えてしまったもの」


 現代人が異世界人を呼んだのか、異世界人が現代人の願いを叶えたのか、卵が先か鶏が先か、今となってはそんな問いかけにはっきりと答えられる者なんていない。

 廃れていた陰陽道が復権できたのは、式神として――異世界人を従えて支配したからだ。

 得体の知れない存在を自分達よりも下に位置付けて、我々の生活を支える、或いは豊かにする手段だと説き、それで安心した人は少なくなかった。


「そもそもなぜ秋葉原に集中しているのかも分からない」

「人、いうなれば術者か、それとも地域的な磁場みてーなもんか、疑うものに困らないってのは幸せなことじゃないか」

「鈴里も含まれてるんだがな」

「仕方ねーだろー、私自身、なんでこんな事になってるのか説明できないんだから」


 こちらを見上げて不敵に笑う鈴里の姿は透けていて、彼女の肉体が目覚めなくなった時から何も変わっていない。

 歳を重ねる私を嘲笑うかのように、当時の若さを保っていた。


「黄泉還りだろうが黄泉化生だろうが歪みは歪みだ。私情抜きにして還さなきゃいけない存在なのは間違いねぇよ」


「朝日やぁ、取り込み中じゃったか?」


 自身含めてあるべきところへ還すべきだと語る鈴里に対して言葉を返せずにいると、どこからともなく間延びした声が聞こえた。

 声の主を探して視線を辺りへ巡らすと、食器棚の傍にふよふよと揺れる黒い尻尾をとらえる。


「ニッチか、どうした?」

「おまえさんに頼まれておった件となぁ、閂から伝言もあってからに」


 ニッチは軽やかに床を蹴って、半透明の鈴里をすり抜ると私の眼前にあるテーブルへと着地した。

 頭上の照明にあてられて瞳孔を縮小させながら、両手両足をくっつけた姿勢となってこちらを見据える。


「鬼の御仁と少年の保護は承認されたでな、倉橋の姓もよいそうだにぃ」

「そうか、助かるよ」


 識訳師に認められている権利として、式神申請がある。

 申請する理由は様々あるが、今回の私の目的は言ってしまえば戸籍獲得だ。

 私は勇司と結婚して岬の姓を名乗っているが、一方で倉橋家の現当主でもあり式神の戸籍はそちらを使うよう識訳庁から言い渡されていた。


「しかしな、閂から交換条件を出されておる。あやつめ、もとよりおまえさんに通達するつもりじゃったんだろう、珍しく即答じゃったからに」

「条件?」

「さよう、わっちも昨日面識をもったゆえ、心苦しいことじゃが……」

「あいつは何を言ってきたんだ?」


「うむ、土御門天音を始末してほしいとな、偽装工作は識訳庁で受け持つからと言っておった」


「まーた話がややこしくなる」

「いかようにて?」


 鈴里のもらした一言には反応せず、ニッチは私へ返答を促す。


「識訳庁はその為に土御門の令嬢を私の事務所へ寄越したのか……ニッチ、悪いがもう一度仕事を頼めるか?」

「わっちが岬の願いを断るわけなかろうに」


 やはり厄介事は重なるらしい、ニュースにならなくても水面下で幾つもの思惑が入り混じっていて――きっとそれはとても酷い色をしていることだろう。

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