倉橋つかさ(3)


 僕は壊れかけたアンドロイドの真似をしていた。

 石畳の薄暗い路地をぎこちない動作で歩き回っている。

 見かける人は皆が皆、頭を垂れていて表情が見えなかった。

 どうやら……どこか僕でも入れるお店を探しているようで、でも、壊れかけた僕を迎えてくれる所なんてなくて、僕のその様を録画していた誰かの乾いた笑い声が聞こえた。

 その人と一緒にベンチに座ると、彼は煙草の紫煙を吐きながら何か僕を励ます言葉を掛けてくれた。

 そして、見上げた空には大きな虹彩が浮かび上がっていたけど、僕が瞬きをするとたくさんの色によって塗り潰されてしまった。



 そんな不可解な夢を見ていた。

 意識が覚めると、目頭が潤んでいた。

 自分が何処で寝ていたのか、どんな生活をしているのか、徐々に思考が冴えてくる。


(そうだった……旺磨さんのお世話になってるんだっけ……)


 上半身を起こして部屋の中を見回す。旺磨さんの姿はなく、どこからか微かに水の音が聞こえてくる。

 雑居ビルの地下を占める喫茶店――魔王城の厨房から繋がっている空間は、僕の想像以上に広くて、浴室やトイレも別に用意されていて、寝室とは別に居間もあって、廊下もある。

 どこかのマンションの一室をそのまま厨房と溶接したみたいな不思議な間取りをしていた。


 旺磨さんは既に起きていて、開店の準備をしているのかもしれない。

 時刻を確かめるため周囲へ視線を巡らすと、懐中時計を掴む兎の置物をベッドの傍に見つけた。

 よく見ると、その懐中時計は生きているようで時計の針は九時辺りをさしていた。

 起こされなかったのは旺磨さんの優しさなんだって思いつつも、僕はこれは寝坊になるのでは? と慌てて立ち上がる。

 でも、足をすぐには動かせず、目の焦点は兎の置物の隣に並んだ一枚の写真立てに吸い込まれてしまっていた。

 おそらく喫茶店の中で撮った一枚だと思う。

 写真には複数の男女の楽しそうな一瞬が映り込んでいた。


(カウンターに頬杖をついているのは朝日さんっぽい……でも髪が長い……あとは、旺磨さんが笑顔で立ってて、彼と同じエプロン姿の女性が旺磨さんの肩に腕をのせてどこか挑発的な笑みを見せてる……それから、口いっぱいにパンを頬張っている金髪の人は……日向さん? ううん、似てるけど日向さんじゃなさそう……でも、なんだろ、誰かに似てるような……)


 けっこう昔の写真っぽいかも。

 よくよく見ると、朝日さんは髪が長いだけではなく顔立ちに幼さが残っているように感じられるし……綺麗な人だから、ちょっと判断に困る部分はあるけど。

 というか、一方で旺磨さんは全然変わりないような……朝日さんよりも増して間違い探しの難易度が高い。うん、これ旺磨さんは間違いなく変わってない気がする。

 写真立ての裏に答え合わせがあるんじゃと思って手に取ってみたけど、裏側に秘められていたのは間違い探しの答えではなく撮った日時らしきものだった。

 

「つくづく君は駄目人間だね!! そんなだから追い出されるんだよ!!」

「よーし、よくわかった、てめぇおもてでろ!!」


 壁を越えて響いてきた突然の怒鳴り声に驚き、写真立てを落としそうになる。

 お店の方で何かが起きていると確信したからか、今度はさすがに僕の足も素直に動いてくれた。

 廊下を駆け抜け、玄関で靴を履いて扉を開けると……びっくり仰天、食欲をそそるバターの香りが漂う厨房へおはようございます。


「旺磨さん、すみません、お、おはようございます」


 挨拶しながら魔王城の店内へ踏み込むと、カウンターを挟んで旺磨さんとお客さんが睨み合っていた。


「お?」


 ぼさぼさ頭の金色の前髪からのぞいている瞳がちょっと濁った感じのお客さんと目が合う。

 すぐにさっきの写真に写っていた男性だと分かった。


「つかさ君おはよう、よく眠れたかい?」

「はい、すみません、寝坊ですよね?」

「あはは、気にしなくていいよ、お客さんも居ないから」

「え、でも……」


「一名様でえええええす」


 僕の疑問を代弁する形で、カウンターに座っている男性が声を張り上げた。


「でも、お金ないんだろ?」

「仕方ないだろうが、おまえ、だから俺はあれだって、便器に座ってた時にな、こう、ふって……で、これよ?」

「どうなのよ!?」


 恍惚とした表情を浮かべたと思ったらすぐ真顔になった男性に対して、温厚なイメージを卵の殻と一緒にゴミ箱へ捨てる勢いで旺磨さんが再び叫んだ。


「朝日君には会ったんだろ? お小遣い貰わなかったのかい? あぁ、追い出されたんだっけ?」

「あ? そんなこと言っちゃう? 抜いちゃうよ? 勇者の剣抜いちゃうよ? わからせちゃうよ??」

「もしもし警察ですか? 今ですね、食い逃げ――」

「負けました許してください皿洗いでもなんでもします」


 旺磨さんがスマホを耳元から離して(明らかに演技だったけど)、一命を取りとめた男性がそそくさと厨房に入ってくる。


「えっと、もしかして朝日さんと日向さんの家族の方ですか?」


 二人の間で格付けが済んだのを見計らって、切り出してみた。


「おーわるいわるい、挨拶がまだだったな……俺は岬勇司、朝日の夫で日向のお父さんやってます……別世界の方の」

「つかさです、よろし、え? べつせか、えっ!?」

「つかさ君は驚いちゃうよね、どうやら本当に彼は別世界の勇司みたいなんだ」

「日向さんがニッチさんと話してたときに、しばらく会ってないような雰囲気だったんですけど……ど、どういうことなんですか?」

「あー旺磨、説明と俺の朝飯頼んだ」

「いいけど、君はサラダを小分けして、そのあとは仕込みに使った容器を洗ってね」

「魔法使っていい?」

「どう使うのさ……駄目だよ、普通にやってくれよ」

「うい」


 そうして旺磨さんと勇司さんは忙しそうに手を動かしながら、時々プロレス芸を交えつつも、主に旺磨さんが語って、勇司さんがたまに一言付け加えるスタンスで僕に色々話してくれた。

 僕は旺磨さんが用意してくれたココアをちびちび飲みながら、聞き役に徹していたが……正直、全てを把握できたとは言い難かった。


 目の前で必死に皿を洗っている勇司さんは別の世界線――似ているけど所々がこの世界とは違う道を辿っている別世界から現れたこと。

 なぜそんな現象に見舞われたのか不明だということ。

 昨夜、その理由を見つけようと秋葉原を徘徊していて……この世界の朝日さんと有紗さんに遭遇し、そして一悶着起こしてしまったこと。

 この世界の勇司さんは岬家の娘さんである夜空さんと一緒に秋葉原から離れていること。


 そして――


「まぁ俺もこいつも元々……違う世界の住人だからな、こういう不可思議な現象が起きてもそんな焦んないつーか」

「すっかり馴染んじゃったよね」

「お二人はその、この世界に来る前から知り合いだったんですか?」

「この世界に来る前かぁ、あっちに居た頃はさ、俺が勇者やってて、で、こいつは魔王だったわけ」


 雑用を終え、朝食の載ったトレイをカウンターの上に置いて、僕の隣に腰を落ち着けながら勇司さんはさもありなんといった様子で呟いた。


「勇者と魔王って……昨日、旺磨さんの部屋で読んだ漫画に出てきた感じの、あの勇者と魔王ですか? 悪逆非道な鬼畜勇者を成敗する爽やかイケメン魔王さんの」

「そうそう、そんな感じ」

「うん、違うよね。極端すぎだよね? そういう作品もあるかもしんねーけど、変化球だよね、曲がりすぎてバッターにダイレクトアタックする勢いだよね? 乱闘一歩手前だよね? 飯がなければ始まってたぞおい?」

「わー怖い、ええと、そこあたりの解釈は置いといて、ね。今のご時世、識訳師が国に認められるぐらいだからさ、世界がどうこうってのに耐性があるのは、つかさ君もなんとなく分かってきたでしょ?」

「……そうですね」


 僕と勇司さんの現象に関連性があるのかどうかっていうのはまだ曖昧だけど、僕も別世界、或いは異世界から迷い込んでしまった一例なのかもしれない。

 でも、僕はどうして記憶まで失ってるのか……副作用? それとも、やっぱり記憶喪失なだけ? ただ――不意に脳裏を過るぼやけた感傷めいたものは、少なくとも今こうして過ごしている秋葉原とは明確に違う場所のような気がした。


「まぁでも、旺磨の説明のおかげでこっちもある程度把握できたわ。俺の知ってる世界とこっちの世界とではけっこう違うみたいだ」

「詳しく話してくれるかな?」

「構わねーけど、なぁ旺磨、先にいいか? 鈴里はどうしてる?」

「……どういう意味だい?」

「俺の知ってるこの店は、旺磨……お前と鈴里が二人仲良く切り盛りしてるんだけどな、どうやらこっちはそうでもないらしい。喧嘩でもしたのか?」

「鈴里は……彼女はもう十年以上前から眠ったままだよ」

「そうだったか、悪い」


 それきり旺磨さんは口を閉ざしてしまい、勇司さんも黙々と食事を進めていく。

 やがて二杯目のココアも空になりカップがすっかり冷めた頃、かちゃんとフォークを寝かす音がして、すぐに「ふいぃ」と膨れた胃の中から空気を吐き出す声が続いた。

 昨日の日向さんと似ていて、本当に親子なんだなぁと口元がついほころぶ。


「なるほど、こっちだと俺と夜空、鈴里が訳ありで、俺の世界だと、日向が居なくて、赤神有紗も俺達とは縁を切ってて、あとはそうだな――


 勇司さんはそこで言葉を区切り、僕の方をじっと見つめた。


――つかさ君。君を見かけたこともないな」


 不意に突きつけられた鋭い一言、僕は蛇に睨まれた蛙のように竦んでしまい声を絞り出すこともできなかった。

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