幕間 さよならね夜空

私(■)


 最後に青い空を見たのはいつだったろうか。

 白い雲の形も、太陽の眩しさも、虹の鮮やかさも、空を飛ぶ鳥の姿も。

 たぶん、こうして頭の中で思い描ける風景というものは、想像で補完されている――美化された思い出なのだろう。


 一緒に世界を旅していこうと手を伸ばしてくれた彼はもう傍にいなくて、どうしたって届かない約束を、私は今でも大切に抱きしめていた。


 とある神様の涙によって、夜が明けなくなった世界で人類は永遠の眠りについた。

 それでも止まらない涙を……神様の悲しみを鎮めるため、私の瞳が贄として差し出された。そうして私は空を見上げることが叶わなくなった。


 時々、悲しそうな雨音に紛れて瓦礫を踏む足音が聞こえてくる。

 全身を包む暖かい感触からベッドで寝ていたのだと思い出して、起き上がって両足を地面につけた。

 ひんやりと心地よい冷たさが足の裏から血流と共に全身へ巡っていき、霞がかっていた意識がゆっくり晴れていく。


 自分に与えられた一室は半壊した建物の中にあるようで、廊下との隔たりになるはずの扉は既にないのだろう。近づいてくる足音がはっきり聞き取れる。

 聞き分けるべき足音は二種類しかなくて、それはつまり言い換えると……私の近くには、私を除いてあと二人しか起きている人間が存在しないことになる。

 外にはまだ起きている人間がいるはずだ――そう思っても、今の私に確かめる術はなかった。

 足音が部屋の前で止まる。


「起きてたのか、ほら、飯だ」


 彼の言葉に続いて、なにか転がる音がする。


「こっち見てんなよ、気色わりーな」


 投げ捨てられた食料に反応せず、彼が立っているであろう方向を見つめていると、相手の声音からより不機嫌さが滲み出た。

 彼の姿を肉眼で見れなくなって久しいが、いつでも薄汚れた白衣姿だった記憶しかなく、きっと今も変わらずに白衣を着ていることだろう。


「逃げようとか考えんなよ? あいつが戻ったらここともおさらばだ」


 彼が自身をなにと定義付けして白衣をまとっているのか私にはわからない。

 彼がと呼ぶ人――甲高い声で喋る自称マスコットの変人を人と呼ぶべきか迷う部分もあるけど、とにかく白衣の彼と自称マスコットの二人が始めた研究、そのための施設で育ったのが私だった。

 結果、停滞してしまったこの世界で彼らがどうやって食料を確保しているのか疑問に思いつつも、彼が投げ捨てた食料を拾い上げようと屈む。


「惜しかったんだけどな……もうすぐヒエラルキーをぶっ壊せそうだったのによ」


 辺りを探るため、手の平でぺたぺたと冷えた地面に触れながら彼の愚痴に耳を傾ける。


「壱番、てめーがふざけた真似をするから」

「……違う」

「あぁ? なにがだよ? なら教えてくれよ、俺達が失敗したのはなんでなんだよ、なぁ?」


 彼の反感を買うと分かっていながら、私は食料探しを中断して立ち上がる。そして、彼の声が聞こえる方を真っ直ぐ見据えた。


「……私の名前……さく

「へぇ……名前か、笑えねぇ、全然笑えねぇんだよ。誰かに決められたものに固執するなんてな……まぁでも残念だよな、もうその名前を呼ぶ奴なんていねーわけだ」

「……そんなことない」

かんぬきが助けにきてくれると思ってんのか? そいつは残念だ……今頃は磔だろうよ、物理的に死ねない体ってのも考えものだな、相手がトマソンだったのがあの野郎の最大の不幸さ」


 そんなことない。過ごしてきた時間は数字に置き換えてしまうと頼りないものだけど、それが現実の光景だったのか、いつかの夢見だったのか曖昧になろうと。

 真っ暗な視界に浮かび上がる夜空で、私は月に向かって手を伸ばしている。

 一緒に旅をした仲間達が「諦めないで生きろ」と私を叱っているような気がした。


「しかし、そうだな、てめーには躾が足りないみたいだ……理解力がない奴の相手をするのは不愉快だよ、ほんと、残念でしかたない、あーあ、俺はいつもこうだ」


 ぐしゃり、彼が言い終えると同時になにかが潰れる音を聞いた。

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