岬朝日(2)
「へっ……ぶ、らいひゃん!」
「どういうくしゃみなんだそれは……コーヒーは淹れなおせよ」
「あはは、ごめんごめん、もうちょっと待ってね」
有紗が去って後、少年が落ち着くのを待って、私は事務所があるビルの地下に短絡的な思考回路によって魔王城と名付けられ、さりとて別段珍しい経営方針を掲げているわけでもない――言ってしまえば、ごく平凡な喫茶店(店の形としては)へ足を運んでいた。
とはいえ店を一人で切り盛りする彼とは長い付き合いであり、私の仕事に協力してもらう時もあるので、機会があれば「地下特有の湿っぽさと薄暗さが好みであれば」と周囲にここを勧めるようにしていた。
私はただでさえ眼鏡に頼っている視力が更に低下するのは勘弁願いたいところなので、用がなければ寄らない。それはつまり、向こうからしてみても私が姿を現した時点である程度の察しがつくという話だ。
「ところで
魔王城の主、或いは喫茶店の
「つかさ君はオレンジジュースでよかったかな? 意見かぁ……そうだねぇ、言葉も通じるし、作法もなんらおかしくない。君から話を聞くだけだと、まま記憶喪失って印象だけど、ただ……」
つかさ君にもグラスを渡して、旺磨は立ったまま会話を続ける。
「残り香みたいなものがあるね。懐かしくもあり新鮮でもある、うん、少なくとも秋葉原では嗅いだことないかも」
「おまえ達の言うところの魔力ってやつか?」
魔力という概念自体が非常識に片足を突っ込んでいる私にとって、旺磨が感じている差異みたいなものは想像し
「ありふれた魔力とは違う独特な、ね……つかさ君は見た目人間っぽいから外的要因かもしれないけど」
「おまえがそれを言うのか」
「ふふ、照れるね」
それこそ一見して人間と容貌が区別つかない旺磨は、私の黒髪よりも艶やかな長髪を揺らして微笑む。だが、注視すれば彼にも異郷の生まれを主張する特徴が幾つかあって、金色の猫じみた瞳は私達の世界では本来見かけないものだ。
旺磨から受け取ったカップを無言で見つめている少年……自称つかさ君を改めて観察する。
息子の日向よりは幾つか年下だろうか、顔立ちに幼さを残しており、今は喫茶店の従業員用に旺磨が
旺磨の言う通り、この子と私達現代人との間に決定的な違いは見つからない。
「そもそも君が調べている例の事件とは無関係なのかい?」
「……どうなんだろうな」
「ふむ」
「
「君達は相変わらず、そういう捻った呼び方が好きなんだね……そのイカした名付け親は誰なんだか」
「土御門か
組織として動いているのだから名称が必要になるのは理解できるが、彼ら特有の飾った感じは好きになれないでいた。
「しきやく……?」
「知らないかな?」
それまで黙って私達の会話に耳を傾けていたつかさ君が聞き覚えのない様子で単語を復唱する。記憶喪失からか、或いは異文化に該当するのか……少年の表情に深層心理の上澄みめいたものが浮かんでこないかと注視していたら、代わりに旺磨が答えていた。
「うーんとね、今の世の中は宇宙人? とはちょっと違うんだけど、それまでまったく関りのなかった遠いところから色々な種族がやってくるんだ。でも、そういう人達はこっちの文化に理解がなかったり、そもそも言葉が通じなかったりするわけ」
「僕は皆さんの言葉……わかります」
「そうだね、ただ出自が不明となると一応はつかさ君も含まれるんだと思うよ。珍しいケースだけどね」
「解剖されちゃったりするんですか?」
「あはは、まさかまさか」
わなわなと身を震わせている少年の不安を拭うために旺磨の説明を引き継ぐ。
「始まりは土御門家などが
「そうそう、識訳師ってのはいい意味で受け身体制、牙を向けられない限りは味方になってくれる人達だよ」
「そうなんですね」
「とはいえ、内部事情を断片的に知っている私としてはあまり公言したくない気持ちはあるな、今でも希少価値などによって式神として従えようと目論む連中はいる」
「えっ」
「なんでわざわざ脅すようなことを言うのかな!?」
「私は識訳師として誠意を持って接したいだけだ」
旺磨が溜息交じりに「そういうところ不器用なんだよね」と嘆く素振りを見せているが、私にも譲れない部分がある。
もう何年も連絡が取れない
「朝日さんは違うんですか?」
見知らぬところに連れてこられたばかりの子犬みたいな目を向けられて、少しでもつかさ君の怯えを取り払おうとなるべく優しい声音を意識する。
「私は違うよ。だから、様子見でしばらく君を匿うことになるかもしれない」
土御門を師と仰ぐ過去の自分とは違う……と心の中で言い直して、別の悩みが晴れていないことを思い出す。
識訳庁からの指示で私の事務所に配属となった土御門の令嬢。
彼らがなぜ土御門天音を寄越してきたのか、その真意は不明なままだ。
(――
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