第121話 桜

大雨で中止になった桜祭りの日から、かなり仕事が忙しくなっていた。


ゴールデンウィーク明けに、工場で作っていたパーツの特許申請が通り、発注が殺到していたため、工場勤務の人員や、事務と経理も人数が増えていた。


本来なら『代わりの人が入るまで』との約束で派遣されていたんだけど、仕事量が増えてしまったため、そんなことを言っている余裕はなく、毎日、忙しすぎるくらい忙しい日々を過ごしていた。


忙しすぎる日々を過ごしていたせいか、帰宅後には夕食とシャワーをさっさと済ませたあと、泥のように眠る日々。


そんな日々を過ごしていたせいか、連絡をすることをすっかり忘れていた。



長期休暇の時には、疲れた体を引きずるように実家に逃げ込み、とにかく何もせずに過ごしていた。


時々、静香が遊びに来たけど、外に出る気力もなく、部屋でダラダラと話しているだけ。


静香からは「干物」と言われたけど、「疲れてるから仕方ない」と、静香と自分に言い聞かせるように言っていた。


忙しさは日を追うごとに増して行き、年末になると毎日残業をせざるを得ない状態に。


経理も事務も増えたけど、みなさん主婦をしながらパートをしている状態だったので、残業はできず、私一人が残っていた。


そのせいで、シュウジ君のお迎えは行けなくなってしまったけど、お母さんは「シュウジには『落ち着いたら泊りに来る』って約束したからよろしくね」と、少し申し訳なさそうな表情をしながら言ってきた。


桜の花が咲き始めても、忙しさは落ち着くことはなく、一人で残業しているときの事。


しばらく作業をしていると、突然事務所のドアが開き、赤ら顔をした工場長が現れた。


「なに美香ちゃん、まだやってんの?」


「はい。もうすぐ終わりますので」と言いかけると、工場長は「ダメダメ。ここのところ毎日残業してるでしょ!桜祭りなんだから帰った帰った!!」と言い、私に片づけをするよう命じてきた。


「もうちょっとだけ」と言いかけると、工場長は鞄を私に押し付け「ほら!帰る!鍵閉めるからね!」と言い、後片付けもしないままに事務所を追い出されてしまった。


『片付けくらいさせてよ… ホント、強引なんだから…』


そう思いながら少し不貞腐れ、人の流れに逆らって歩いていると、急に自動販売機が消え、背後から爆発音が聞こえてきた。


足を止めて振り返ると、桜の向こうには、色とりどりの大きな花火が広がり、爆音と共に桜が揺れ、小さな花びらが舞い散る。


「すご…」と言いながらしばらく花火を見ていると、浴衣を着た女の子が「やば!早く早く」と言いながら、男の子の手を引っ張っていく。


急ぎ足で花火に近づいていく二人を横眼で眺め、踵を返し、俯きながら歩いていると「遅ぇよ!」と言う声が正面から聞こえた。


ふと顔を上げると、電気の消えた自販機の前で、ガードレールに座っている大地君の姿。


突然のことに足を止め、声を出せないままでいると、大地君はゆっくりと歩み寄り「2年遅刻」と…


驚きすぎてうまく言葉が出せないでいると、大地君は小さく笑った後「花火、ちゃんと見ないと終わるぞ」と言い、私の腰に手を当て、花火の方を向かせ、耳元で囁くように話し始めた。


「こっちに来てたんだな。 どんだけ探しても見つからない訳だ」


「…ごめんなさい」


消え入りそうなほど小さな声で告げると、大地君は背後から優しく抱きしめ、「いいよ。 やっと会えたし…」と言い、少しだけ両腕に力を込めた。


「俺さ、ずっと言えなかったことがあるんだけど、高校の時から、ずっと…」


大地君がそこまで言うと、花火の爆音で言葉がかき消された。


けど、唇の動きで言いたいことはわかったから、大地君の手に自分の手を重ねた。



ずっとこのまま離れないように…


もう二度と、離れないように…


色とりどりの花火が打ちあがり、桜の花びらが舞い散る中、重ねた手にギュッと力を込めた。

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