砂の城

 ソラは筐体を持ち上げると、ミドリ達に背を向けて歩き出した。数として僅かに十歩足らず。しかしそれは此処に至った長い道のりの一部だった。アオの前で立ち止まり、その筐体を両手で差し出す。


「ほら、お待ちかねの開発機だ」

「ありがとう」

「いいのか?」


 最後の確認だった。アオは少しの躊躇もなしに首を縦に振る。


「いいんだ。あのソースコードを見たときに僕は決めたから」

「その時に思いついたのか」

「そうだよ。ソラはあのまま黙っているつもりだったんでしょ? 僕は皆が知るべきだと思った。そのためには可能な限りの人間を一カ所に集めないといけなかったから」


 アオは受け取った筐体を隅に置いてあったデスクの上に載せた。そこには今回の集会の記録係が座っていたが、既に何分も前からその職務は放棄していたらしく、筐体が置かれる振動で肩を跳ね、不安そうにアオを見た。

 総員集会が始まった時には背中に棒でも入れたかのように真っ直ぐに伸びていた姿勢も、いつの間にやら前屈気味になってしまっている。


「ミスター、投影パネルを降下してください」

「出来ない。それは駄目だ」


 咄嗟に拒絶を口にした相手に対しても、アオは態度を崩さなかった。


「何故ですか? 理由を提示してください」

「理由?」


 男は呆気に取られたようにアオの言葉の一部を繰り返したと思うと、次の瞬間怯えた表情になった。自分の中に明示できる理由がないことに気がついた。そんな様子だった。

 アオはソラにソースコードの説明をさせて、そしてエシカはソラの言葉を否定した。ソラの言葉を証明するのに必要な開発機は、今ここに存在する。しかし、証明するということは即ち、ソラの言葉が正しいことになってしまう。かといって証明を拒絶することは、当然のことながら開発機の中に証拠があると認めたに等しいことだった。


「理由、は……」


 それでもどうにか言葉を絞り出した男だったが、それ以上は何も言えずに唇を一度舌で舐める仕草をしただけだった。だがそれも瞬時に水分を失っていく。


「理由ならあるだろ」


 ソラが声を出すと、男は困惑した目を向けてきた。それにソラは無邪気にすら見える笑みを返して、ついでのように言葉を紡いだ。


「嫌だ、って理由が」


 男の表情が強ばる。ソラの言葉は殆ど本質を突いていた。

 エシカも、フィドーも、他のミスやミスターも、成り行きを見守る者達も、全員その言葉に狼狽える。あまりに子供じみた、上層区では良しとされない、ただ己の主観に基づいた拒否。開発機の中にあるソースコードを見たくない。ただそれだけの感情が場を支配していた。


「嫌だろうな。上層区のプライドも何もかもぜーんぶ否定されるんだから。でもそれはな、下層区の連中だって同じなんだよ。俺たちは上層区に入れなかったことに諦めをつけて生きてるんだ。お前らの突拍子も無い政策に付き合ってるのだって、上層区だから従ってただけだ。それが崩れたら、俺たちもお前達も平穏じゃ居られない」


 男がソラの言葉に気を取られている隙に、アオが手を伸ばしてデスクの上にあった銀色のリモコンを手に取った。卵形をしたリモコンの上部を二度撫でると、天井からゆっくりと半透明のパネルが降りてきた。

 それと同時に、アオの足元の床が一部開いた。パネルに映像を映すための専用ケーブルが中から何本か飛び出している。アオはそのうち二本のケーブルを引き出して、一つは筐体の側面にあった接続用スリットへ、もう一つを電源用のスリットへと差し込んだ。


「やっぱりだ。ハレルヤ用のケーブルだったら接続できる」


 アオの言葉に、エシカが耐えきれずに声を出した。


「どういう意味ですか。説明しなさい」

「そのままの意味ですよ、ミス・エシカ」


 少し興奮したように声を張り、アオは答えた。


「このケーブルはハレルヤの規格で作られたものです。勿論此処にハレルヤ本体はありません。非常用として作られたものであると、僕は修正者の権限を得た時に知っていました。そのケーブルがこの筐体に刺さったということは、つまりハレルヤが作られた時期に同じ構造で作られたものだと考えられます」

「そんなことはあってはいけません」

「だから理由を述べてください。ミス・エシカ。ソラが言ったように「嫌だ」と駄々でも捏ねますか」


 アオはエシカから目を離し、少し離れた場所にいる金髪の少女へと顔を向けた。


「アカネ、僕は間違ったことをしている?」


 唐突な問いかけに対して、少女は少しだけ間を挟んでから微笑んだ。


「いいえ、知的好奇心の探求は誰にも阻害されるべきではないとハレルヤも言っている」

「ありがとう。……アカネがそう言うんだから、間違いないでしょう? 彼女は特別カリキュラムを受け、「上層区として相応しい」振る舞いを出来るようになったんですから」


 泣きそうな声だった。ソラだけはそれを感じ取れた。

 アカネ、と呼ばれた少女がアオにとってどのような存在かはわからない。だが彼女が上層区に相応しくないとして特別カリキュラムを受けたことは、今の話で理解出来た。他の人間も同様なのだろう。

 上層区にさえ来なければ、彼女たちは自分の感情と自分の言葉で生きていたに違いない。それを取り上げたのは間違いなく、この誤った「選別」である。ソラはそう考えると、胸の辺りになんとも言えない感情が込み上げてきた。

 アオは今までの常識を覆すために、今までの常識を盾にとって戦っている。アオにはそれしかないのだろう。ソラ達がこんな方法でしか上層区に来れなかったように。あまりにそれは苦しい戦い方だった。


「貴方は、自分が何をしようとしているかわかっているんですか」


 エシカは殆ど縋るように言った。


「それを見せたら、全てが終わってしまうんですよ。貴方が今まで積み上げてきたものも、私たちが生きてきた歴史も全て!」

「いいえ、違います」


 パネルが降りきった音が響く。アオの言葉はそれとほぼ同時であったが、音に掻き消されることはなかった。

 発光したパネルの中央には「接続待ち」の文字がぼんやりと浮かんでいる。その光は床に反射して、アオやソラの足元を青く染めた。


「僕たちは過ちの中にいました。それが全て間違いだったとは言いません。ですが、過ちが見つかった以上は正さなければいけません」

「俺たちは上と下に分かれた人間じゃなかった」


 ソラも横から言葉を続ける。


「同じなんだよ。全員この小さな島に生きている同じ人間だ。それを無理矢理分けようとしたのは、まぁ旧世界の遺産って奴なのかもな。昔はきちんと、優秀な人間かそうでないかを分けられるシステムがあったのかもしれない」

「選別システムはそれを代用したものだと思います。でも多分それが間違いだった。この世界にはこの世界に適した方法があった筈なんです。誰もそれを探そうとしないまま、ここまで来てしまった。今がそれを正す時なんです。決して終わりじゃない」

「全員でやり直そうってか?」


 ソラはアオの言葉に、驚いたような顔をしてみせた。本気で驚いたわけではないし、アオにもそれは伝わっていた。

 そのやり取りを見ているミドリとスオウは、面白がるように笑っている。ラスティはいまいち意味がわからないような顔で、しかし二人につられて笑みを作っていた。この空間で異色である筈の下層区の人間たちは、恐らく今の状況を誰よりも理解出来ていた。


「そうだよ。上層区よりも下層区の方が人数が多いだろ。もっといい方法が見つかるはずだ」

「そう簡単にいくか?」

「わからないけど、多分それがこの世界の最適解に繋がるんだ」


 自信と希望と、ほんの少しの恐怖。アオの指先は少し震えていた。

 ソラはアオの傍まで近づくと、意地悪く微笑んだ。


「俺が電源入れてやろうか?」

「大丈夫、と言いたいところだけどお願いしようかな」

「らしくねぇなぁ。もうちょっと我が儘にいこうぜ」


 ソラはアオの右手を掴むと、そのまま筐体の電源へと導いた。無骨なスイッチに互いの人差し指を乗せる。

 もはや誰も何も言わなかった。止めても無駄だと悟って、そして少しでも現実から逃れるために息を潜めていた。この場で最も強い抵抗を示したエシカは、まだアオ達を睨み付けてはいたが、その足は床に縫い止められたかのように動かなかった。

 指に力を込める一瞬前に、アオが含み笑いを零した。


「砂の城と一緒だね。壊すのはすぐだ」

「でもまた作り直せる」

「そうだね。今度は二人で作ろう」


 約束、とどちらからともなく言って、そして世界を作り直すためのスイッチが入れられた。

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