名も無き者

「間に合ったかな? それとも手遅れ?」


 先ほどソラが入ってきた扉が再び開け放たれて、そこに三つの「色」が経っていた。この数日間、白かあるいはそれに準じた色しか目にしてこなかったソラは、彼女達が身に纏った極彩色の衣類を懐かしく思うと同時に、酷く眩しく感じた。

 だがそれよりも驚きのほうが勝って目を見開く。その三人は此処にいるはずはなかったし、どうして此処にいるのかもわからなかった。


「おやおや、驚いて声も出ないって感じだね」


 質問に対する答えが得られなかったことを気にする様子もなく、ミドリが笑った。それに追従するように右側に立ったスオウが満足そうに頷く。


「ソラのあんな顔、初めて見たかも。案外可愛いところあるじゃない」


 その語尾に殆ど被さるようにして、ミドリの左後ろに立ったラスティが感嘆符を上げる。視線はソラ達のほうではなく、部屋の天井の方へと向けられていた。


「こんな建物見たこと無い」


 突然の三人の来訪者に、今度こそ全員がざわめきだした。先ほどまではエシカの抵抗によって少しばかり遠慮がちだったのが、それぞれの声量が大きくなっている。


「また下層区の人間か?」

「何、あの服。服なの?」

「それよりどうやって此処に……」


 最後に聞こえた言葉には、ソラも全く同感だった。それを尋ねようとした時に、ミドリとラスティを押しのけるようにして背の低い男が飛び出してきた。否、実際は彼としては静かに出たかったのだろう。押しのけられた拍子にミドリが男の足を引っかけたのをソラは見逃していなかった。

 躓きそうになりながら前に出てきた男を見て、エシカが再び口を開く。


「これはどういうことですか。的確に説明をしなさい」


 エシカは相手の名前を呼ばなかった。恐らく男がミスターではないからだろう、とソラは推測する。ミスターになれず子供時代を終えた上層区の大人。この部屋にも多くいる筈だが、間近で見るのはこれが初めてだった。ソラが知っている大人達よりも、どこか幼く見える。何かを信じて縋るような純粋な眼差しのせいだろうか。何にもなれず、それでいて「上層区の人間」であることを拠り所にして生きている。そんな印象を受けた。


「は、はい」


 男は少し薄くなった頭頂部に手を回しながら、首を少し前へと傾かせた。


「総員集会の間、ミスター・シュカに代わって警備を行っていましたところ、管理区からこの三人が出てくるのが見えたのです」

「ミスター・シュカの警備範囲は、管理区からは離れている筈ですが」


 眉を吊り上げたままエシカが言うと、男は頭を何度か掻いた。


「えぇ、えぇ、そうです。ですが、この三人はあまりに目立ちました。管理区の壁は、ご存じの通り白色。そこから色の塊のようなものが出てきたのですから、気になるのは当然でして」

「それで持ち場を離れたのですか」

「とんでもない」


 男は今度は大きく首を左右に振った。


「俺がずっと見ていると、この三人が真っ直ぐに向かってきたのです。慌てたなんてものじゃない。恐怖に近いものでした」

「言葉が正確ではありません。恐怖に近いとは?」

「えぇと」


 言葉を詰まらせた男に代わるように、ミドリが口を開いた。


「まぁ要するに、私たちの行動を理解できずに大いに狼狽したということだろうね」


 エシカはミドリの方を睨むように見る。その態度はもはや、敵に対峙する者のそれだった。自分たちが信じてきたものを、その身で受け止めて破壊せんとする気持ちが透けて見える。ソラは彼女の姿を見て内心で溜息をついた。こうなることはわかっていた。自分が見つけ出してしまったことは、どうしても「自己防衛」を招く。拒絶、怒り、それらを引き起こすことはソラの本意ではなかった。だが、アオが決めてしまったのだから仕方が無い。

 だが、当のアオもミドリ達の登場は予想外だったようで、目を見開いてその場に立ち尽くしていた。


「貴女方は何者ですか。此処にどうやって来たのです」

「前者については名乗る意味も感じられないね。私たちは下層区の人間。そこにいるソラのオトモダチだ。後者については馬鹿らしすぎて話すのもためらわれる。過程よりも結果だよ、ミス。今、私たちがここにいるということを受け止めれば良い」


 回りくどい言い方はミドリの欠点の一つであるが、この場においては上手く作用しているように見えた。「誰でもいい」をここまで長い言葉に出来る人間はそうは存在しない。

 ただ、先ほどの男の話や三人の服装などから、ソラには大体の予想はついていた。ミドリもスオウも、そしてラスティも愚かではない。


「貴女が聞くべきはだね、ミス。私たちが何をしに此処に来たかということだよ。行動には目的が伴う。過程を経ずして結果は出ないが、目的がなければ結果に繋がることもない」


 三人はこの状況を予測していたのだろう。ソラはその過程を自分が思うよりも素直に受け止めることが出来た。予測は完璧ではなかったかもしれないが、それでも三人は此処に辿り着いた。わざと派手な服装をして、わざと一目に付くようにして。そうすれば先に忍び込んだソラと同じ場所に連れてこられるはずだと信じて。

 そこまで考えた時に、ソラは重い溜息を吐いた。三人を巻き込むつもりはなかった。だがそれも今更の話である。現に彼女たちは此処に居る。


「目的。目的と言いましたね。下層区が上層区に何の目的があると言うのです」


 やや声を上ずらせるようにしてエシカが問う。それにスオウが小さく笑った。


「そんなの決まってるじゃない」


 そんなこともわからないのかと、スオウの顔は言っていた。

 平素、理屈っぽくなりがちなミドリやソラを上手く懐柔するだけのことはある。スオウにとってエシカは、そういう意味で扱いやすい人間だった。


「ふざけるな。そう言いたい? 残念ながらとても真面目に言ってるだけ」


 エシカの次の言葉を封じてしまったスオウは、ソラへと視線を向けた。


「ソラはなんで私たちが来たかわかるでしょ?」

「……俺に会いに来た、って言ったら自惚れてるみてぇだな」

「今日ばかりは自惚れても許されるんじゃない? でもそれだけじゃ不十分」

「だろうな。でも俺の予想が合ってるなら、無茶は止めて欲しかったんだけど」

「ソラに言われたくないよ!」


 ラスティが怒ったように言いながら前に出てくる。既に話に取り残された男を通り越し、ソラの前へとやってきた。着ている服からは糸の匂いが強く漂っている。色を目立たせればなんでも構わなかった筈なのに、配色も仕立ても完璧だった。

 色が揺れる。ラスティが腕を動かしたためだった。その背に背負っていた黒いバッグを、無造作に床へと置く。見た目は小さいが中身は重いようで、床に触れた途端に大きな音がした。


「ソラのせいで脱水症状になりそうだったんだから。これも重いしさ」

「脱水症状?」

「今度、ピルカ・モリリカの店でロータスチーズティー奢ってよね。約束だよ」


 ラスティがバッグを開く。そこから現れたのは黒い無骨な筐体だった。思った通りの物が出てきたことにソラは笑い、そして自分がまだミドリの最初の問いに答えてないことを思い出した。

 ラスティに微笑んでから、ミドリの方に首を回す。


「間に合ったよ。これで十分だ」


 それに対する返答は、肩を竦めるミドリの姿だけだった。

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