信じられない話

 不自然なまでの静寂が場を満たした。誰かが「は?」と呟いた声が数秒後に聞こえるまで、その場にいた全員がまるで言葉を忘れてしまったかのような呆けた顔をしていた。


「どういう意味ですか」


 ソラに問うたのはアオではなかった。殆ど脂肪もついてない顔によく似合う張り詰めた表情と声でエシカが発したものだった。ソラは意地の悪い笑みを敢えて浮かべてみせると椅子から立ち上がった。


「座りなさい」

「理解出来ないなら教えてやるよ」


 制止を無視してソラは続けた。


「言語は化石みたいに古いけど、基礎はどれも変わらない。まずは変数定義と使用する文字コードの指定」


 まるでそこに画面があるかのようにソラは中空に視線を据える。実際、脳裏には特別室の時の記憶が蘇っていた。


「個体の生年月日の入力を待機。入力された値が数値かどうかの判定。数値が正常である場合、データベースへアクセスを行う。数値をキーとして人員データを検索し、ヒットしたレコードデータを取得。取得したレコードの内部IDと数値を乗算」


 誰もソラの言葉を止めなかった。止めようとしても、どうすれば止まるのかわからないのかもしれなかった。元よりその程度で口を閉ざすつもりもなく、ソラはただ言葉を続けていく。


「あらかじめ用意されていた乱数生成プログラムを乗算した値の回数分実施。生成された乱数表から、再び個人番号を元に一つだけ数字を取得。取得した値の末尾一桁を切り出し。その値がゼロの場合」


 ソラは息を吸い込むと、一際大きな声を出した。全員の耳に、そして頭の中へと届くように。


「上層区へ登録する」


 エシカが息を呑む音が、ソラの声に隠れて聞こえた。


「それは……どういう……」

「理解できただろ、ミス・エシカ。俺が理解出来るような内容だ。上層区の、それも選ばれしミスである貴女がわからない筈がない」

「言葉の意味は理解出来ています。しかし、それがもし本当だとしたら」


 エシカは唇を噛みしめた。既に頭の中では理解出来て言語化出来ているものを、口から出す寸前で押し殺している。ソラはその無駄な足掻きを見て、少しばかり同情した。だが、容赦はしなかった。アオが話せと言った以上、ソラにはそれに応じる理由がある。


「そうだよ、ミス・エシカ。そしてここにお集まりの上層区の皆様がたはな、その時ハレルヤが出した数字の末尾がゼロだったってだけなんだよ」

「まさか」

「ゼロかそれ以外か。俺たちの能力なんか無視して、ただの数字の一桁だけで人生ふるい分けてたってことだ。理解出来ないだろ?」


 エシカは唇を震わせながら何かを言いかけた。しかしそれは周囲に発生したどよめきに掻き消される。


「どういう意味だ?」

「じゃあ選別日なんて……」

「ちょっと待ってよ。あんな言葉を信じるの?」


 誰かが泣きそうな声で言った言葉に、エシカは顔を上げた。その顔には引きつった笑みが浮かんでいて、目には縋るような光が覗いていた。ソラから告げられた真実を認めまいとする、健気な抵抗がそこにあった。


「そうです。貴方の言葉が真実だと認めるわけにはいきません」

「なるほど、そう来たか。疑うならハレルヤのデータを確認すればいいだろ」

「貴方が特別室に入ってから捕縛されるまでの時間は非常に短かった。そんな短時間で目的のデータにアクセス出来たなんて信じられません。つまり貴方の言葉は虚偽である可能性が高い」

「俺の提案は無視かよ。まぁ別にいいけど。俺がハレルヤに速やかにアクセス出来たのは、事前にある情報を手に入れていたからだ」

「ある、情報?」


 警戒を滲ませながらエシカが問い返す。


「外の世界から持ち込まれた古い筐体だよ。かなり特殊な構造をしていた。恐らくハレルヤの開発機だろうな。それを元にハレルヤは作られて、そして俺たちの世界や常識も作られた」

「出鱈目です。そんな物が存在するはずがない」

「嘘じゃねぇよ。下層区に取りに行かせてくれれば、すぐに証明出来る」


 ソラがうんざりしながら返すと、エシカの目に生気が宿った。


「それが目的ですね。嘘を並べ立てて、下層区に逃げ帰ろうとしている。それとも戻ってから偽物の筐体を用意して、私たちを更に騙そうと?」

「違うって。貴女も大概頭が固いな」

「違うと言うのなら、今すぐその筐体を出しなさい」

「無茶苦茶だな。俺はさっきから言ってるぜ。ハレルヤの中を見れば答えがわかるって。開発機なんか見なくてもいい。明確な答えはすぐ近くにある。それがしたくないってことは、現実を見るのが怖いんじゃないのか?」


 ざわめきは止まらない。しかしソラにとってそれらはもう雑音でしか無かった。


「怖いわけないでしょう。貴方の戯れ言にこれ以上付き合えと言うのですか。ハレルヤの内部データを許可無く閲覧することは認められない。データを閲覧したいのであれば、その開発機とやらを出しなさい。出来ないのなら話はもう終わりです」


 そしてエシカは目を吊り上げた険しい表情でアオを睨み付けた。


「アオ。貴方の質問は不適切でした。私はハレルヤに対して貴方の行いを報告しなければいけない」

「僕はただ、質問をしただけです」

「論点を正確に捉えない質問のせいで、相手の虚偽を許してしまったではないですか。双生児に対して情でも湧いたのですか? あぁ、なんて下らない。ハレルヤが間違ったとは認めたくありませんが、貴方は上層区に相応しい人間ではない」

「虚偽かどうかは、現時点では不明だと思います」

「いいえ、虚偽です。そうでなくてはならない。現に、その開発機を私たちは確認していないではないですか!」


 ハレルヤのデータは見ない。ソラの主張は信じない。

 エシカの中にはそれしか存在しないようだった。だからこそ、傍目から見れば何の意味も無い証明に、筐体の有無に縋り付いている。だがそれはエシカだけではなかった。いつの間にかざわめきは止んでいて、全員が強ばった顔でソラたちを見つめていた。

 自分たちの常識が否定されようとしている今、彼らにとってエシカの言葉は救いなのだろう。荒唐無稽な内容でも、その場にいる全員が支持してしまえば正しいことになる。今まで、上層区が優れていると全員が考えていたように。

 ソラはアオを見る。アオも同じことを考えているのか、表情は少し苦いものが混じっていた。こちらが正しいとしても、全員の考えを覆すのは難しい。きっと彼らはソラの言葉を否定して、これまでの常識から離れようとはしないだろう。


「最適解は終わりか、アオ」


 ソラが問いかける。しかしそれに対する返事はアオではなく、部屋の扉が開く音によってもたらされた。

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