質問と挑発
「では一つ目。貴方は何故、管理区に入ろうと思ったんですか」
アオの最初の質問は呆れるほどに陳腐だった。しかしソラは批難することもなければ顔をしかめることもせず、寧ろ面白がるような表情で応じる。
「用事があったからだよ」
「下層区の人間の用事は一階で十分事足りるでしょう。なのに二階に上がった」
「俺は俺の用事のために二階に行ったんだ。下層区だの上層区だの知ったことか」
その乱暴な物言いにざわめきが走った。
「貴方の個人的な哲学は知りません」
アオは冷たく言い切った。
「規則で禁じられていることは、みだりに冒してはならない。当然のことでは?」
「そんなの知ってるよ。知った上で俺はあの部屋に入ったんだ」
お前と一緒に、とはソラは言わなかった。そんなことはわざわざ言うまでもなく、此処にいる全員が知っている。
「ハレルヤのデータにアクセスを試みた。それは認めますね」
「認める」
「貴方はそれだけの技能を持っているということですか?」
「自慢じゃねぇけど、それで飯食ってるんでね」
その言い回しは上層区の人間には理解出来なかったらしく、「データ操作で食事を?」という疑問がそこかしこから聞こえてきた。
上層区の人間は、下層区の人間の生き方を知らない。彼らはきっと無垢に、下層区の人間は与えられた食事と住居で生活していると信じている。実際には、住居はまだしも不味い固形食料を素直に食べるのは、ほんの一握りの変人ぐらいである。
「貴方は何のデータを探していたのですか」
「それ答えないと駄目?」
ソラは挑むような目でアオを見る。二人の間に、二人しかわからない間が生じた。
悠久に思えるほどの一瞬で、ソラは様々なことを考える。鳴り響く警告音、アオの表情、不味い固形食料、話し相手としては最適なミスター。そして「最適解」という言葉。何が最適なのか、何が答えなのか。上層区の人間は、そうして答えを探してきたのだろう。下層区にはない視点と行動で。
だから彼らは行き着いた最適解を信じて、政策を行う。例えそれが海を閉鎖して、駅を駅で踏み潰して、住居の上にレールを敷いたとしても。彼らにとってはそれが答えで、間違いなどあってはならない。
この場合の最適解は何だろうか。ソラは静かに思考を巡らせる。一番良いのは、ソラが全ての真実を胸の内に封じ込めてしまうことだった。そうすれば何も起きなかったことに出来るし、今後も問題となることはない。
しかしアオがそれに気付かない筈はなかった。だからアオの最適解はソラの最適解ではない。「僕はソラじゃない」と先ほど告げられた言葉が、未練がましく脳裏を過る。
「答えてください」
凜とした声でアオが告げる。その眼差しはソラと殆ど変わりなかった。だが言葉を放ち終わった唇が小さく震えているのが見える。随分無理をして声を出したようだった。
ソラはそれを確認した後に、短く溜息を吐いた。相変わらず我が儘な片割れに少し呆れたというのもあるが、それ以上に楽しくて仕方なかった。油断すれば声を立てて笑ってしまいそうなのを、なんとか押し殺している状態だった。
「わかったよ。じゃあ教えてやる」
ソラが口を開くと、全員の目が向けられた。慣れない視線の洪水を敢えて無視しながらソラは口を動かす。
「俺がアクセスしたのは、選別日に使われるプログラムのソースコードだ」
誰かがどこかで引きつった声を出した。「あり得ない」という言葉も微かに耳に届く。ソラは予想通りの反応に満足して口角を上げた。
「それを知ってどうしようと?」
「どうやって上層区と下層区で分けられるのか興味があった。どうして同じ受精卵から分かれた片割れが上層区で、俺は下層区なのか」
「知的好奇心だけでデータへのアクセスを試みたと言うんですか」
「そうだよ」
その時、今までアオの後ろで成り行きを見守っていたエシカが咳払いをした。ソラたちが視線を向けると、女は苛立ったように口を開く。
「全くもってあり得ませんね。優れているものが上層区に来て、それ以外は下層区に向かう。それは当たり前のことです」
「ミス・エシカ」
ソラは静かに名前を呼ぶ。
「つまり貴女は優れていると」
「ハレルヤがそう決めました」
「優れた貴女は、ハレルヤがどうやって人を選別しているのか考えたことがないと」
「考えるまでも無いことです」
「そうやって思考停止した奴を、
エシカは眉を大きく吊り上げて唇を震わせた。
しかし今度はアオが彼女の名前を呼ぶ。
「ミス・エシカ。質問者は僕です」
「……忘れていませんよ、アオ。彼があまりに荒唐無稽なことを言うので、私の善良な心が我慢出来ませんでした」
「気持ちはわかります。ですが、どうか僕に質問を続けさせてください」
エシカの目に少しの迷いが生じたのが見えた。同じ顔二つに見つめられて戸惑っているのか、それとも単純にこの質問が続くのを恐れているのか。ソラが推測を重ねる間に、アオが質問を再開した。
「貴方はプログラムのコードを見つけた?」
「あぁ、しっかりと」
「理解出来ましたか?」
「いいや、出来なかった」
その答えにエシカが安堵の表情を見せる。他の参加者たちも同様だった。
だがソラは彼らの期待を裏切るために言葉を続ける。
「ソースコードは理解出来たよ。でもどうしてこんなものを使っているのかが理解出来なかった」
一度生まれかけた安堵が恐怖へとすり替わる。もはやソラにとってアオ以外は観衆に過ぎなかった。自分たちの言葉一つ一つで喜怒哀楽を操作されて、それでも次の言葉を待つしか無い。上層区の人間は下層区に比べてあまりに素直だった。
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だよ。ソースコードは」
ソラは全員に聞こえるように少し喉を反らした。
「ガキでも作れる、ただの乱数生成プログラムだ」
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