人工的なる始まり

 遙か高い場所にある天井から、電子音が短く聞こえた。それに続いて無機質な声が響き渡る。


「総員集会を始めます」


 途端に全員が静まりかえり、まるで部屋全体が凍り付いたようになる。ソラはむず痒いような思いで椅子に座り直した。今の声は、管理区で聞いた。遙か昔にも聞いた記憶がある。ハレルヤに組み込まれた人工音声。それは肉声に近いのにどこまでも遠いような気がした。


「それでは」


 アオと共に部屋に入ってきた、痩せぎすの女が口を開いた。何度か見かけた顔だが、会うたびに印象がキツくなっている。確かエシカと呼ばれていた。このような場所で一番に口を開くところから見て、ミスやミスターの中でも筆頭格なのだろう。


「集会の議題について説明します。質問がある場合は、説明後に申し出ること。説明中の私語については堅く禁じます」


 禁じるまでも無く、誰も一言も発していない。エシカの声だけが部屋に響いている。いつかその声が天井に跳ね返って落ちてくるのではないか、とソラはどうでも良い心配をした。


「此処にいる者は、下層区の人間でありながら管理区に忍び込み、あろうことかハレルヤのデータに不正にアクセスをしようとしました。それはアオによって阻止されましたが、その罪状を不問にすることは出来ません」


 下層区の、という言葉と共に示されたソラに対して再び視線が突き刺さる。


「しかし我々は、下層区の者がハレルヤのデータを侵害した場合の、適切な処分を有していません。我々は例外なく規則に従い行動すべきです。その前提から「規則を定める場合、またその大幅な変更を余儀なくされた場合は総員集会にて協議する」というハレルヤが定めた決まりに従うこととします」


 そこでエシカが初めてソラを見た。異物を見るような眼差しは、ソラを恐れているようにも見えた。ソラが挑発的に笑うと、エシカは細い眉をわずかに持ち上げて視線をそらした。それはこの場において非常に正しい判断だった。「異物」かどうかに関わらず、下層区の人間に対して上層区の人間が必要以上にアプローチを取ることはない。それが正しいとされている世界において、エシカの行動は実に理に適っていた。


「協議は正しく行われなければなりません。そのため、断片的な事実のみを抜き出して、感情論のみでその是非を問うことは出来ない。つまり、正しい協議のためには個々人が事実関係を詳細に把握する必要があります」


 回りくどい、とソラは内心でため息をついた。辞書からかき集めた定型文を継ぎ合わせたような言葉。口を挟むこともなく聞き入っている人間。これが上層区の空気というものだろうか。だとすれば呼吸困難で早晩死に至る。

 ソラはそう考えて、しかし即座に己に対して否定した。確かにこの場の空気は異様である。だがそれは上層区の規則や慣習によるものである。上層区の人間自体が、この空気を生み出す特性を持っているわけではない。

 アオも、フィドーも、個人で話す分には下層区の人間と何ら変わらない。知識や思考や信条が異なるだけで、皆同じ人間である。なのにこうして規則の下に集まった途端に、彼らの個は失われる。

 薄々、気付いていたことだった。上層区にあって下層区にないのは規則。規則が上層区を作り上げて、そこに人を適合させている。つまり、規則さえ守ることが出来れば誰でも構わない。そこに個は必要ない。


「下層区からの侵入、そしてデータへの不正アクセス、捕縛にいたるまでの詳細をアオに説明してもらいます。皆さんはそれを正しく聴取したうえで、この者の処分を決めることになります。以上です」


 説明を終えたエシカは、続けて「質問は」と問いかける。何人かが戸惑った表情をしているのは見えたが、挙手をしたり、口を開く様子は見えなかった。数秒ほど待った後で、エシカはアオの方に顔を向ける。


「では、説明を」

「わかりました、ミス・エシカ」


 アオは静かにそう言った。数歩前へ進み出て、部屋の中央に立つ。そして視線を二段目の席へ上げた。ソラはその視線をなんとなく目で追いかける。アオが見ていると思しき場所には金髪の少女が一人座っていたが、その顔には表情らしい表情が一切なかった。視線だけは真っ直ぐにアオを向いているように見えるが、アオを視認しているかどうか怪しいものだった。何か見えざる手が彼女の頭を掴んで、無理矢理視線を向けさせているようにも感じる。

 部屋に入ってきた時にも感じた違和感。人間らしさのない彼女たちは、恐らく規則によって個を奪われたのだろうとソラは推測していた。アオが言っていた「特別カリキュラム」とやらが関係しているのかもしれない。

 ソラは先ほど自分が考えた内容が正しいことを確信しつつ、アオがまず何を言うのか待ち構えた。あの部屋で、ソラとアオは同じものを見た。それを隠蔽して、自分の罪だけを遡及するつもりなのか。ソラは今すぐに立ち上がって、アオに向かって叫びたかった。しかしそれはあくまで感情的な要素であって、理性はそれを冷静に押さえ込んでいる。


「……それでは説明を行います」


 アオの第一声は、あまりにありふれたものだった。


「まず、疑問をお持ちの方のために一つだけ補足をします。此処にいるソラは僕と同じ遺伝子情報を持つ双生児です。顔が同じなのはそのような理由です。彼はそれを利用して、僕の振りをして管理区に入り込もうとした。これは遺伝子情報の悪用とも言えるでしょう」


 皆、黙ってアオの話に聞き入っている。それを見てソラは、アオが「非常に優秀」なのは事実なのだろうと思った。これだけの人数を、ミスでもミスターでもない人間が黙らせるのは難しい。例え規則があるにしても、先ほどソラが入ってきた時のように多少のざわめきが発生するのが普通だろう。


「下層区の人間が上層区に属する場所に入り込む。それは今まで考えられなかったことでした。そのため、下層区から続く階段には柵や鍵は設けられなかった。そのため、彼が入り込んだことそのものは、彼だけの罪とは言えません」


 アオの背後に立つエシカが、眉を痙攣するように持ち上げたのが見えた。

 しかしそれを見るすべのないアオは淡々と言葉を続ける。あるいは気付いていながらも無視しているだけかもしれなかった。

 そのまま、どのようにしてソラが特別室に入り込んだかを説明する。それはソラからすれば正確とはほど遠いもので、二人だけの重要な会話が省かれたものではあったが、大筋は改ざんされていなかった。


「彼は僕を利用し、ハレルヤのデータにアクセスを行おうとしました」


 アオがそう言った時に、すぐ近くから「質問」という声が上がった。体格の良い、浅黒い肌の少年が右手を挙げていた。


「どうぞ」

「下層区の人間がハレルヤのデータにアクセスしたとして、果たして理解出来るのでしょうか?」

「理解は出来るでしょう。彼らは僕たちの政策を遵守し、適用するだけの能力を有しています」


 アオがそう言うと、相手は黙り込んだ。


「……続けます。彼の不正アクセスを僕は見過ごすことが出来ませんでした。だから彼の隙を突いて、緊急事態の際に使う通報プログラムを起動した。すぐにミスターたちが駆けつけて、彼は捕縛されました。この際に、彼は抵抗を示さず、上層区の人間に対して危害を加えなかったことを保証します」


 再び、今度は五段目か六段目から誰かが挙手をしたようだった。流石にソラの位置からは挙手する様子は見えなかったが、声だけは十分に届く。


「ハレルヤのデータは膨大です。その中のどのデータにアクセスを?」


 声は女のもののように聞こえた。

 アオはその質問に対して、少しだけわざとらしいため息をついた。


「それは僕も把握していません。しかし、疑問は当然です」


 そしてアオはソラの方を振り返った。表情も感情も可能な限り削ぎ落としたような顔だった。


「事実を正確にするため、質問を行います」

「発言を許可してくれるってこと?」

「そうです。今の不許可の発言については、不問とします」


 畏まった物言いに、ソラは口角を吊り上げた。


「質問ね。いいよ、何でも答えてやる」

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