episode8.砂の城のような世界で
進むその先に
長い廊下を進む間、ソラは色々なことに思考を巡らせていた。黙り込んでいるためか、部屋を出てからずっと傍にいるミスターは安心しているようだった。恐らく部屋を出るときに告げた「許可が出るまで静かにするように」という警告をソラが守っていると思っているのだろう。実際にはソラは他に考えることが多すぎて、もはや暇つぶしの相手がいらなくなっただけだった。
白一色の床、壁、天井。一定間隔に配置された窓の外から見える景色も概ね同じだった。それを規則正しいと感じるか、味気ないと感じるかは見た人間の自由だろう。少なくともソラは後者であるし、ついでにいえば中央に見える高い塔は白ではなく黒のほうが引き締まると思っていた。
廊下をそのまま進んでいくと、次第に窓の数が少なくなってきて、それに伴い照明の量が増えてきた。やがて大きな扉の前に辿り着く。そこに待っていたのは背の低い太り気味の女だった。大きな目を必要以上に見開き、ソラの頭からつま先までを無遠慮に見る。
「彼がそうですか」
女はソラの後ろにいる男に尋ねた。「そうです」と短い返事が体を通り抜ける。
白一色の扉は両開きになっていて、電子キーで施錠されていた。扉の中央に取り付けられたパスコードの入力装置は、殆ど使われたことがないのか真新しい装いをしているにも関わらず埃が被っていた。
「全く、このようなことは前代未聞です。下層区の人間が上層区に入り込み、あまつさえ全員の時間を浪費するなど」
「今前例が出来ただろ」
ソラが言い返すと、女は顎を少し反るようにして息を吐いた。
「発言は許可しておりません」
「俺は下層区の人間だ。上層区のやり方を押しつけるな」
「ここは上層区です。それに下層区の人間の意見は聞いていません」
「じゃあ交渉は決裂だ」
短く言い切ったソラに女は哀れむような目を向けた。
「外見はアオに似ていても、中身は別物ですね」
「アオを知ってるんだ?」
「彼は非常に優秀です。選ばれた人間の中でも、一際に」
惜しみない賞賛を聞きながら、ソラは冷めた笑みを浮かべていた。それに気付いた女は、途端に鼻白んだ様子になって口を閉ざした。下層区の人間相手に饒舌になったことを恥じているようですらある。
「……規定に従い、総員集会についての説明を行います」
「どうぞ」
「逐一答えなくてよろしい。集会においては貴方には許可した場合のみ発言権が付与されます。発言を求められた場合は規定に基づいた回答をしてください」
「規定?」
聞き返したソラに、女は少し戸惑った表情になった。恐らく上層部では「規定」と言えば説明は不要なのだろう。だが勿論それは下層区で育ったソラには通用しない。
女は暫く考え込んでから、探るような声でソラに尋ねた。
「普段貴方は発言を求められた時はどうしているのですか」
「好きなように答えてるよ。今みたいにな」
「……ではせめて、勝手に喋らないようにしてください」
「場合によるかな。あとは?」
ソラは聞き返しておきながら、相手が何か言うより早く言葉を続けた。
「こちらから確認させてくれるか? 総員集会ってのは上層区の決まり事だろ。となると下層区の俺は集会の間はどうすればいいんだ? ずっと立ってろなんて言わないよな」
「それについては非常時用の座席を使用します」
「あぁよかった。ミスター・フィドーはそのあたりを答えてくれなくてさ」
背後にいた男が少し身じろぎをしたのがわかった。女は睨むような視線をそちらに向けたが、すぐにそれを止めた。
「もう全員揃ってるのか? いや、多分揃うまでここで時間稼ぎしてたのか。そうだろ」
「いい加減に口を閉ざしなさい」
「口を回してないと、調子が取れないんだ。俺には上層区の空気は合わないから」
女は何か言いかけたが、右耳に装着した通信機器が小さな通知音を出したことに気がつくと、そちらに手を伸ばした。側面についたスイッチを切り替えて、何かの音声を確認する。
「確認しました。対象者を入室させます」
通信先の誰かに告げて、女は扉についた電子キーの入力装置を操作した。数字と文字を組み合わせた複雑なパスワードが入力される。最後に確定キーを押下すると、入力装置全体が緑色に光り、開錠音が廊下に響く。
「ミスター・フィドー。誘導を」
「わかりました」
二人の会話を、ソラは聞いていなかった。扉がゆっくりと左右に開いていくにつれて露わになる中の様子に意識を奪われていた。
まず感じたのは低く保たれた気温だった。廊下との温度差のために、それが冷たい風となってソラの肌を撫でる。続けて知覚したのは、部屋の広さだった。巨大な円柱型をした部屋は、中心部だけに直径十メートルほどの空間がある。その空間を取り囲むように、周囲には階段状になった席が作られていた。細長いグラスの底にいるようだ、とソラは考えた。グラスの中には人が注ぎ込まれている。
「総員集会のための建物です」
先に立って歩き出した男が、簡潔に説明をする。ソラは我に返ると、男の後頭部を見ながら質問を投げた。
「ここに全員揃ってるのか?」
「その通りです」
ソラは感心しながら周囲を見回す。どの席にも人が座っていた。彼らは言葉一つ発さず、興味を込めた眼差しをソラへと向けている。
男がソラを連れていった先は、中心の空間に置かれた椅子だった。白一色に塗られた椅子は、あまり上等なものには思えなかった。先ほどの話の通り「非常用」ということなのだろう。しかしソラは文句は言わずに座面に腰を下ろした。こんなことで言い争うほど上品な生き方はしていない。下層区では地面に座り込んで作業をする者など数え切れないほどいる。
ソラは座った格好のまま、周りを睨むように見回した。こうして見ると、上層区にも色々な種類の人間がいるようだった。負けじとにらみ返す者、慌てて目をそらす者、何かとんでもないものでも見たような顔をする者。しかし、中には何の反応も示さない者もいた。ただ椅子に座るのが仕事だと言わんばかりに、視線は中空を見据えている。それも一人二人ではない。ソラはそれが不気味に感じられた。
「なぁ、ミスター・フィドー」
彼らはどういう人間なのか尋ねようとしたソラだったが、視線を男に向けた時に違うものが見えて口を閉ざした。中央に来るための通路は二つあり、それが東西に延びている。ソラが入ってきたのとは逆側の扉が開き、そこからアオが入ってきた。
部屋中の視線が、今度はそちらへと向けられる。アオは彼らに一瞥をくれることもなく、真っ直ぐ歩いていた。砂色の髪の下で、茶色い瞳は揺るぎない光を保っていた。アオは黙ったまま中央まで進んでくると、ソラの方を見た。そう決められていたとでも言うように、滑らかな動作だった。
「お前の最適解はこれか?」
ソラの問いに対して、アオは静かに頷いた。
「ごめんね。僕はソラじゃないから」
「知ってるよ」
交わした言葉と笑みは一瞬だった。
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