嘘のパレード

「それでは、もう一度確認します」


 黒服の男が極めて事務的に口を開いた。その目は手元のタブレット端末へと注がれている。恐らくそこに、取り調べの手順が書かれているのだろうと、アオには容易に想像できた。上層区の全てのことは、ハレルヤの指定した方法で行われる。


「侵入者は君を脅して、特別室の中に入れるように促した。その時に侵入者は君のことを加害する素振りを見せた。これについて訂正するところはありますか」

「ありません」


 アオは、自分とそれほど歳は離れていないように見える相手に、丁寧に応じた。ミスターとミスは性別上の区別はあるが年齢の区別はない。どんなに老体であろうとも、どんなに若くとも、敬うべき存在には変わりない。


「侵入者について、君は以前より面識があった。そうですね」

「はい」


 中途半端に広い部屋に二人の声が交互に響く。平屋造の白い建物の一角、清廉な白い部屋。今は閉じられている扉に「環境室」と書かれていたことをアオは思い出す。意味はよくわからなかったが、部屋の内装を見れば何となく用途は窺い知れた。規則正しく並んだ椅子やテーブル、大小様々な窓と、それぞれに嵌め込まれた色硝子。太陽がその硝子を通過して、床をその色に染め上げている。それはかつて管理区にあった「レクリエーション室」に少し似ていた。恐らく此処で、知能テストなどが行われるのだろう。この建物で特別カリキュラムを受けた者たちに対して。


「すでに調査は終わっていると思いますが、彼は僕と受精体を同じとした双生児です」

「しかし君からかつてそのような話を聞いたことはない、と他の人々から証言を得ています」

「特に話さないとならない意義がありません。ハレルヤによって定められていますか?」

「いいえ」


 相手はすぐに返した。まるでアオがそう答えることを見越していたかのようだった。


「その、気を悪くしないでくださいね、アオ。君の行動について、疑義が出ているんです」

「疑義?」

「君がわざと、その……侵入の手助けをしたのではないかと」


 それは半分は真実で、半分は異なる。確かにアオはソラがデータを見れるように手を貸したが、ソラが侵入したことは全く感知していなかった。もし特別室の前ではなく階段の上で遭遇していたら、間違いなく止めていただろうとアオは思い返す。その場所であれば、下階にいる人の存在を気にすることが出来た。上層区の人間としての振る舞いを正しく行うことが出来ただろう。だが特別室の前には誰もおらず、ソラの勢いに飲まれてしまった。

 言い訳にもならない言い訳を頭の中で繰り返しながら、アオはそれでも揺らぐことなく視線を相手に合わせた。


「有り得ません。何のためにですか」

「それは、まだ判断の段階ではありませんが……、侵入者の目的について君は知らされましたか? 何のデータを盗もうとしたのか、とか」


 風が吹いたのか、窓が少し音を立てる。床の上の色鮮やかな影が揺れた。


「いいえ。彼は自供したんですか」

「残念ながら。そちらは別の者が担当していますが、その……君とは随分とタイプが異なるようですね」

「それはそうでしょう。僕は上層区で、彼は下層区です」


 アオは淡々と述べながら、少々行儀が悪いのは承知の上で胸の前で腕を組んだ。


「僕が彼を手伝ったなんて、馬鹿げた話です。ハレルヤのデータが欲しいなら、一人で行います。どうして下層区の人間の手を借りなければならないんですか」


 その言葉はアオの切り札だった。ソラの侵入に関して、自分に疑惑が掛かることは想定していた。それに対する唯一にして絶対の抗弁。

 この世界に当たり前のように刻まれている、「上層区の人間は下層区の人間よりも優れている」という価値観は、少なくともこの場所では何よりも効力を発揮する筈だった。

 対する男はタブレットを少し持ち上げて、その上端に額を軽く触れるような仕草をした。自分の顔を隠そうとしているかのようにも見えたが、真意を探る前に言葉が紡がれる。


「君の言葉を借りれば、馬鹿げた意見がもう一つあります」

「何でしょうか」

「彼は君の身代わりだと。君が主犯者で、彼は身代わりにされたのではないかと言う者がいるんですよ」


 しばしの静寂の後、アオは思わず自然な態度として吹き出した。誰が考えたかはわからないが、規則正しく生きるミスターやミスにしてはユーモアに富んだ内容に聞こえた。


「それこそ、まさかですね。だったら顔が全く違う者を選びますよ。それに身代わりにするのであれば、自分で侵入者の報告をしたりしません」


 込み上げる笑いをどうにか抑えながら、アオはそう答える。その態度を、相手は最初こそ疑わしい目で見ていたが、次第に頬を緩ませた。自らに掛かった疑惑を笑い飛ばすような態度は、アオの中でその内容が突拍子もないことであると示すには十分だった。


「ねぇ、ミスター。もし同じことをするなら、もっと上手くやりますよ。こうして再教育施設に三日も拘留される羽目になんてならないでしょうね」

「そうでしょうね。君に掛かった疑惑は極めて少数派からの物です。しかし気にしなくてもいい。その……なんでも疑ってかかる者はいますからね」


 同情的な口調で言う男に、アオはわざとらしく見えないように肩を竦める。


「それで、まだこれは続くのでしょうか」

「いえ、君に対する聴取は以上です。三日間、お疲れ様でした」


 あっさりと答えるあたり、本当にアオに掛けられた疑惑は軽いものだったのだろう。その少数派とやらに対する悪感情はアオにはなかった。却って、自分の疑惑が晴れたことに安心していたし、そうしてくれた相手に感謝していた。


「では戻っても良いですか。ここにずっといると、特別カリキュラムを受けたと思われそうです」

「此処しか無かったんですよ。適度に他と距離が取れて、そして侵入者を拘束出来て、更に言えば……利用規約に違反しないで聴取出来る場所が」


 上層区にある建物やそれに準ずる設備には使用用途が明確に定められている。それを違反することは許されない。再教育カリキュラムに使われるこの施設は、その性質上、他よりも細かく規約がないものと思われた。


「何しろ、こんなことは前代未聞です。侵入者を結局どうすべきかはハレルヤには定められてはいない。どうすべきかを話し合っている最中です」

「解放したりはしないでしょうね」

「それについては全員の総意が取れています。しかしその後のことが決まらない。恐らくはハレルヤの決め事の通り、「規約として適用できない事態については、上層区の総員によって多数決で決定する」ことになるでしょうね」

「総員、ですか」


 アオは目を丸くした。


「多数決にしても、集計だけで時間が掛かりそうですが」

「しかし、それがハレルヤの定めたことです。アオ、君には状況説明を行ってもらうことになるでしょう。皆が平等に事態を把握し、そして正常に判断出来るように説明することを求めます」

「……わかりました」


 短く答えて、アオは立ち上がった。正面の黄色い窓から差し込んだ光が視界を焼く。一部が暗転した視界を引きずるようにして、踵を返した。扉に手をかけて出ようとした刹那に、男がアオを呼び止める。


「三日間イグノールの操作が行えなかったことに関するペナルティはありません。もし通知がきた場合は速やかに申し出てください。取り消し処理を行います」


 アオは小さく頷いて、そして今度こそ部屋を出た。部屋の中に比べると殺風景な廊下に足を置き、周囲を見回す。誰もいないことを確認すると、口元を隠しながら溜息を吐いた。

 上手くやれただろうか。上手くいったはずだ。自分は誰にも疑われていないし、疑われても否定することが出来る。侵入者のことも、ハレルヤのデータのことも誤魔化せる。だから大丈夫だ。そんな言葉を頭の中で繰り返しつつ、逃げるようにその場を後にした。



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