欺瞞と偽装と

 不快なほどの大きな音だった。ミドリはそれを隠しもせずに表情に反映させると、二階の方に視線を向ける。黒い服を着たミスターやミスが螺旋階段の上にわずかに見える廊下を次々に通過していく。


「何、この音」


 余程煩かったのか、ラスティが耳を塞ぎながら問いかける。ミドリはそちらを見ることもなく肩を竦めた。


「どうやら見つかったようだね」

「ソラが?」

「不用意にその名前を口にしないほうがいい。私たちが仲間だとわかったら厄介だ」


 周囲にいる他の人間たちも、今は揃いも揃って二階の方へと意識を向けているが、いつその中の誰かが気まぐれを起こして、三人の方に意識を向けるかはわからない。


「仲間だと思われたらって……、仲間でしょ僕たち」

「さっきの会話、覚えてないの?」


 ラスティの抗弁は、スオウによってやんわりと封じられる。


「ソラはこっちには迷惑かけないって言ったし、ミドリは自分の利益になるように動くと宣言した。仲間かどうかの話は、その時点で終わってる」

「で、でもさ。ソラが捕まっちゃったなら助けないと」

「彼の言葉は、それすらもするなと言う意味だ。あれが彼なりの私たちへの配慮であることは明確だ」


 ミドリは静かに言葉を紡ぐが、不愉快な表情を崩しはしなかった。それが単に管理区中に響き渡る音のせいだけでないことを、彼女自身がよく知っていた。


「彼は確かに私たちよりは賢い。でも私たちだって馬鹿だというわけじゃない」

「そうだね」


 頷いたのはスオウだった。


「あの子は随分と甘く見てたみたいだけど。大体、あの様子じゃ本当のことがわかったところで、こっちに教えるつもりなんて無かったんじゃない?」

「それ、どういうこと?」

「ラスだって、あの子の性格は知ってるでしょ。人懐っこくて社交的で、でもどこかで周りを見下している。見下している、だと言葉が強いかな。見くびってるって言ったほうがいいのかも。誰も自分の考えはわからないし、追いつけない。そう考えてるタイプでしょ」

「まぁ……それは確かに。最初は皆と一緒にいるけど、一人で勝手にいなくなるタイプ?」


 少々幼いその表現に、スオウは何度か頷いてみせた。


「結局、あの子は一人でいたいんだと思う。誰かと考えを共有したり、内面を知られるのが苦手なのかもね。だから一人で全部片付けようとする。選別日について何か重要なことがわかったとしても、一人でそれを抱え込もうとしたに決まってる」

「自分だけの知識にしたかったってこと?」

「ちょっと違うね」


 再びミドリが口を開く。


「彼はあの日、ひどく狼狽えていた。私たちに同じ思いをさせたくなかったんだろう。あれが彼なりの優しさにして、残酷なまでの他者の除外だ」

「ミドリの言い方って、僕にはいつもよくわからないんだけど……。自分の見たことを自分で確かめるために、僕たちを巻き込んだってこと?」

「その通り。ただ全部一人で出来ると思っているのが彼の欺瞞だ。現実問題、私たちは此処にいるし、長い付き合いゆえに彼の性格も把握している」


 ミドリは髪を指で乱暴に掻き乱すと、大きな溜息をついた。いつの間にか警告音は鳴り止んでいて、数名の戸惑った声だけが聞こえる。


「私は自分の利益になるように動く。友達を失うという損失は我慢できない」

「それには同意するけど、何か考えが?」


 スオウがテーブルに身を乗り出して、ミドリの顔を覗き込む。その目には挑戦的な光があった。相手が何を言い出すか予想はついている、と言いたげな目に対して、ミドリは口角を吊り上げて見せる。


「協力してくれるのかな」

「それはね、勿論。大体、あの子に色々なツールを横流ししたのは私だし、それ相応の責任ってものがあるでしょ」

「そう来ると思った。ラス、君はどうする」


 念のため、という口調でミドリが訊ねれば、ラスティは口を尖らせて憤慨の表情を見せた。


「何だよ。僕だけ除け者にしようたって、そうはいかないよ。ミドリやスオウは技術的な面で仲がいいかもしれないけど、僕はそんなもんなくたって友達だもんね」

「そう言ってくれると思ったよ。それではラス、最初の任務だ。トイレに行って、彼の脱ぎ捨てたものを取って来てほしい」


 仰々しくミドリが告げる。ラスティは反射的に立ち上がったが、その後不思議そうに首を傾げた。


「どうして?」

「置いたままは色々と問題がある。服だけであれが彼の物だと判断できる人はいないだろうけどね。それに、君が拾えばそれは落とし物だ。落とし物は本人に届けてやるのが物の道理だろう」

「もののどーり」


 未知の単語のようにラスティは鸚鵡返しをした。ミドリはその反応に柔らかな笑みを見せた後で、自らも立ち上がる。そして、机上に開いたままだったソラの端末の蓋を閉じて、片手に抱えた。


「彼は一つ、素晴らしいことを証明してくれた。私たちが無意識にタブー化し、不可能だと決めつけていることは、その気になれば打破出来るということだ」

「つまり?」


 続けてスオウも立ち上がる。幸い、誰も三人には注意を払ってはいなかった。それよりも皆、今の警告音はなんだったのかと、目の前の端末を操作して、必死にその手がかりを見つけようとしていた。


「つまり、私たちが常日頃タブーとしていることを利用すれば、上層区の裏をかけるかもしれない」

「ついでに言えば、あの子をビックリさせられるかも」

「それも悪くないね」


 出入り口の方へ進んでいたミドリは、螺旋階段の前で足を止めると、何の気なしに上を見上げた。階段と廊下の結合部に白い服の裾が見える。更に視線を上げれば、ソラと同じ顔をした人間がこちらを見下ろしていた。同じ顔のはずなのに印象はまるで違っていた。ミドリがそのまま見ていると、その人間は興味を失ったように視線を逸らして姿を消した。その仕草は、あるいはその仕草だけはソラととてもよく似ていた。

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