溢れた疑念

 ソラの言葉に驚いたのは、ラスティだけだった。しかも驚くというよりも、突然腹部あたりを殴られたかのような反応を示し、吐息と驚愕の入り混じった声を出しただけだった。あまりに唐突な展開に、思考も感情もついてきていない。


「作戦の目的は、シンプルだ。管理区の建物に入り、上層区しか出入り出来ない階へと忍び込む。あそこにハレルヤがあることは、この世界の誰もが知っていることだし、ハレルヤもそれを隠す意志はない」


 管理区は上層区と下層区を隔てるためにあり、二つの区域は一階部分の通路により接続されている。二階より上は、ハレルヤを操作、管理するための部屋が並び、そして選別日を迎える前の子どもたちが暮らしている。

 下層区の人間は、勿論二階より上には入れない。しかし、二階に上がるだけならば大して難しくないことを誰もが知っていた。ホールの中央から螺旋状に伸びる階段には、セキュリティのドアも、認証用のセンサーも存在しない。昇ろうと思えば誰でも階段に足をかけることが出来る。しかし、ホールには常に誰かがいて、下層区の住民が階段に少しでも近づこうものなら、それぞれの方法で制止にかかる。ある者は目配せで、またある者は舌打ちで、あるいは少しばかり心の優しい者は大きな声で呼び止める。そっちは上層区しか入れないぞ、戻ってこい。


 二階の廊下を歩くミスターやミスが、侵入者を見ることはない。それを止める善良なる者の行為ですらも。それは要するに「下層区が二階に来るわけがない」という、ハレルヤや世界から刷り込まれた認識から来る態度でもあった。


「つまりだな、あのホールにいる連中の目を掻い潜れば二階に行くことは簡単なんだよ」

「それは私も同意」


 スオウが軽く頷きながら、手を少し挙げる。


「エンジニアとして二階以上に入ることはあるけど、そういうときは専用の許可証を持っているから、誰も呼び止めたりはしない。あそこにいる人たちは、「声をかけるべき人間」がわかってるんだよ。だからその判定から外れちゃえば、オールクリア」

「ずっと気になっているんだけどね」


 ミドリが思い出したように口を開いた。


「彼らはそういう慈善活動をしている団体なのかな」

「別にそういうわけじゃないよ。その時ホールにいる人ってだけ」


 あまり適切な表現が見つからなかったのか、スオウはそんな言葉で返した。まるで鳥か虫の生態でも述べるかのようだった。


「あの階段は目立つし、周囲に遮るものもないから、目に入りやすいでしょ。そこに誰かが近付いたら、誰か気付いた人が声をかける。それだけだよ」

「なるほど。善人が集まっているというわけだね」


 ミドリは皮肉っぽく笑った。そしてその笑顔を顔に貼り付けたまま、ソラの方を向く。


「で、ソラはどうするのかな。ステルス効果のあるプロジェクタでも使って、透明人間みたいにホールを走るとか?」

「それで済むなら、とっくに誰かやってるだろ。俺は別にこそこそ隠れて階段登ったり、ダクトの中に入るつもりなんかないんだよ」


 憮然とした表情でソラは返した。その時、漸く三人の会話に追いついたのか、ラスティが大きく息を吐き出す音が聞こえた。息を止めていたのか、顔が少し赤くなっている。


「大丈夫か?」

「それは僕の台詞だよ……。本気でそんなこと言ってるの?」


 呆れ返ったようなラスティの態度にも、ソラは軽く笑っただけだった。


「面白そうだろ」

「面白いじゃ済まないよ。選別された理由を探るために、管理区に侵入するなんて。ミドリやスオウも、なんで止めないのさ」


 年下からの至極真っ当な意見に、女二人は揃って顔を見合わせた。


「止めるなんて発想あった?」

「少なくとも私はなかったよ。スオウは?」

「まぁ違法じゃないからいいんじゃない、としか」


 あくまで法が優先なあたりは、会社に属する人間らしい言い回しだった。だがその根底に強い好奇心があることは誰の目にも明らかだった。


「上層区に関わるエンジニアとして仕事をしているとね、何回かあるんだよ。あぁ、この設計を作った人は寝ていたのかしら。それとも何か悩みでもあったのかしら。って疑いたくなる瞬間が。上層区でどうやって政策が決められているかは知らない。でもその政策に一貫性はない。となると「本当にハレルヤは正しいのか」って思っちゃうわけ」

「いっかんせー?」


 ラスが首を傾げた。服飾のこととなるととんでもない知識と集中力を発揮する少年であるが、その分常識的なことには疎い。


「大きな目的のために政策を作っているわけじゃないってこと」

「じゃあ何なの?」

「これはあくまで私の印象だけど、補修しているだけなんだよね」


 ほしゅー、とラスが再び平坦な発音で呟いた。意味はわかるが、その単語の出てきた理由がわからない。と、その顔が如実に語っていた。


「どこかでものすごいミスをして、それを直すために小さい作業を繰り返しているってこと」

「それって何なの?」

「ただの印象だってば。本当にミスしているかどうかなんてわからないよ」


 スオウは肩を竦めた。そこで話を終えたかったようだが、ミドリが横から口を挟んだ。


「私もずっと疑問だったことがある」

「なんだ?」


 今度はソラが聞き手に回った。ラスティは今の会話を頭の中で反復する作業に入ってしまったらしく、難しい表情で黙り込んでいる。


「下層区は政策によって建物や道路が次々と作り変えられているのに、管理区の周辺には手が入った痕跡がない。政策が、下層区をより良いものにするためならば、管理区に手が入らないのはなぜだろう、とね。管理区が「手を加えなくても充分に良い状態」ならば、全て並べて倣えば良いのに、ってね」

「ちょっと待て。お前の言い回し難しいんだよ」


 ソラは少し不満そうな表情をしてみせた。あまり気の長くないソラには、ミドリの四角四面した話し方が合わない日もある。勿論それは友情とは全く別次元のところにある不満だった。


「管理区みたいな建物や仕組みを下層区に適用すればいい。そういうことか?」

「それが早いと思うし、そうしてしまえば何度も無駄な政策をする必要もない。でもそんなことをする気配はない。だからふと考えたんだよ。「彼らの政策は、彼らの名誉のために存在するのではないか」とね」


 

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