ステップ&ターン

 集合住宅を抜け出て、すぐ近くの大きな通りへと出る。朝日が地面を照らし、所々に乱雑に積み上げられた瓦礫の周りにジグザグとした影を生み出していた。人通りは少ないが、かといって静かなわけではない。通りに沿って建てられたビルの間では、ソラとあまり歳の変わらない若い男女が、ガラス製の照明を中心にしてダンスのステップを踏んでいた。

 数年前にあるサーバから発掘されたデータは、「ダンス」という文化を人々に与えた。単調なステップ。気取った表情。少々インテリを気取った者は「ダンスにはいくつかのパターンがある」という説を唱えているが、あまりそれに耳を傾ける者はいない。規則正しさなど、下層区では何の意味もなかった。

 ダンスに興じる集団の前を通りかかったソラに、一人が陽気に手を振った。知らない顔だったが、ソラは気にせず手を振り返す。茶色い長い髪と長いスカートを揺らすようにして踊る女は、若干太り過ぎではあったが、自分を如何に魅力的に見せるか心得ているようだった。


「踊っていく?」

「遠慮しておくよ。なぁ、倉庫って今日空いてるかな?」

「んー?」


 女は踊るのをやめずに、少し弛んだ顎を持ち上げる。そしてそのまま、他の仲間へと声を掛けた。


「倉庫、誰か通ってきたぁ?」

「通ったよ。一昨日な」


 背の高い男が、そう言って下品な笑い声を出した。しかしそれを、すぐ隣にいた線の細い男が嗜める。しかし、どうやら誰も知らないようだった。


「ごめんねぇ、わからないみたい」

「ありがとう」


 資源回収ロボットであるエクストは、倉庫と呼ばれる場所に物品を運び込む。そこは巨大なコンテナをいくつも繋ぎ合わせたような場所になっており、エクストのエンジニアであるミドリは、朝は大抵そこにいる。

 倉庫は政策によっては立ち入りを禁止される日もある。ソラは一応、無駄足を踏むのを避けるために今の質問をしたわけだが、生憎とその答えを得ることは出来なかった。

 だが、特にそれに落胆することもなく歩みを再開する。倉庫はベータ地区の南側にある。此処からは歩いて五分と掛からない。仮に無駄足だったとしても、軽い運動程度になる筈だった。

 道を淡々と歩む。途中で何人かすれ違ったが、先程と異なり話しかけられることはなかった。ソラとしてはどちらでも構わない。話しかけられなければ黙っているし、話しかけられればそれなりに社交的に接する。そういう人間は、下層区では珍しくもない。


「えーっと、こうだっけ?」


 先ほどの女の肉感的な動きを思い出しながら、ソラはひび割れた地面に爪先を立てる。体重を前方に移動しながら体を傾けると、思いの外綺麗にターンが出来た。歩くのに意味のない動きではあるが、回転する視界や普段は感じない筋肉の緊張と弛緩が、どこか気分を高揚させる。数歩進んではターンすることを繰り返していると、いつの間にか倉庫が視界の先に迫っていた。


 最後のターンを決めて、その場に一度立ち止まる。視界の先にはフェンスで囲まれた巨大な空間があった。奥には色とりどりのコンテナが、積木のようにいくつも連なっている。一度でも中に入ったことがある者ならば、あのコンテナが何よりも危険な物であることを知っている。気を緩めて少し歩いたが最後、自分が何処から来たのかわからなくなるからである。個性のないコンテナの群れは、人を迷わせるには十分すぎる代物だった。


 巨大迷路にもなるコンテナ群は、十メートルを超すフェンスによって守られている。フェンスの一部は鉄材によって仕切られた二枚扉になっていて、今その扉は外側に向けて大きく開かれていた。


「よし、開いてるな」


 ソラは少し満足そうに笑うと、今度は普通に歩いて扉の方へと近付いた。近付くにつれて、錆びた匂いが強くなってくる。此処にあるコンテナは腐食しても滅多に修復されることはない。そうして朽ちてしまったコンテナが、毎日いくつか崩れ落ちていると言われている。真偽の程は定かではないが、敷地の中の殆どが錆びた金属で埋め尽くされているのは事実だった。


 遥か昔には、放射性物質も此処に混じっていたらしい。正確には、此処に運ばれてくる土壌や資材に含まれていたというべきか。それらは人類から生殖機能が失われた要因の一つとも言われている。それを調べていた学者たちは遥か昔に死んでしまった。だから結局、どうして人間が人間を産めなくなってしまったかはわからない。失われたものは二度と取り戻すことが出来ず、人工培養で生まれた子供たちにも生殖機能は復活しなかった。


 尤も、今更復活したところで意味はないと、ソラを始めとした大勢の人間は思っている。子供は管理区で生まれ、カリキュラムに則って平等に育てられている。上層区に行くか、下層区に行くか、という違いはあれども、彼らが総じて「人間」として扱われていることは間違いがない。他人と繋がり、その間に子供を残すことは、遺伝子の偏りを生み出すだけで、人間の多様性を失ってしまう。それが管理区における「定説」であり、殆ど全員がそれに納得していた。


 倉庫の敷地内に踏み込むと、一層金属の匂いが強くなる。しかし数秒もすると、嗅覚が麻痺して何も感じなくなった。何処までも続くようなコンテナ群は、まるでソラを歓迎するかのように一列に並んでいる。

 資材として運び込まれた砂利や木片が転がる道を、ソラは少し気をつけながら進む。歩くだけなら害はないのだが、偶に資材に足を取られて転ぶものもいて、転んだ拍子にそこにあった石や釘で怪我をするなんてことも珍しくない。

 道の先には、エンジニアが作業するための建物がある。ミドリがいるとすればそこだとソラは見当をつけていた。いないにせよ、行方を知っている誰かは捕まるに違いない。

 通信用のアプリケーションを使えば、もっと簡便に待ち合わせをすることも出来るだろうが、積極的に使う者は少なかった。こうして、皆が思いのままに移動をし、運が良ければ出会い、運が悪ければ出直す。下層区の人間にとっては、それが日常だった。


「いるかな」


 そう呟いて、建物の方へ進む。窓からは明かりが漏れていて、誰かがいるのは明白だった。だが、日頃から特に話し声がするような場所ではないため、ミドリがいるかどうかは中を覗かないとわからない。

 コンテナとコンテナの間に建てられた建物は、決して大きくはない。直方体の形をしていて、壁や天井はブリキやプラスチックの素材で出来ている。すぐ傍のコンテナが一つ崩れたら、あっという間に押しつぶされそうなほどに脆弱だった。その脆弱な建物に相応しい、割れる寸前のガラス窓の方にソラは近づくと、少し背伸びをして中を覗き込んだ。

 いくつかの作業台。乱雑に積み上げられたサーバ。メンテナンス中と思われるエクストが数機。

 エクストの調整用と思われる作業台のところに、ミドリの背中が見えた。黒いショートヘアと華奢な首のラインを見間違えることはない。だがソラは、彼女を呼ぶことを少し躊躇った。

 ミドリが作業台に少し体を乗り出すようにして、一緒にいる誰かと唇を重ねているのが見えたからだった。

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