他人の温度
目を開けた時に、自分が寝ていたことに気がついた。脳は意識よりも更に遅延して活動を始める。最初に視覚、次に聴覚、最後に嗅覚が動き出すのに従って、アオはそこが自分の部屋ではないことを思い出した。
同じ資材を使っているはずなのに、何処かよそよそしい白い天井から視線を外す。と言っても仰向けになっていたため右側に少し首を傾けただけだった。背中の下にはマットレスが、こちらは天井よりは好意的な態度でアオの体を支えていた。起き上がろうとして、しかしすぐ傍に別の物体があることに気がつく。薄暗い部屋の中で目を凝らすと、金髪を抱え込むようにして寝ているアカネが見えた。
「あぁ、そうか」
そこに至って記憶が蘇る。下層区のことをアカネに話している最中に、眠気が襲ってきた。部屋に戻ろうかと思ったが、足は硬いゼリーの中に突っ込んだかのように重くて動かせなかった。そんなアオにアカネは、何処かおかしそうに微笑んでベッドを薦めてくれたのである。記憶が確かであれば、アオは完全に眠ってしまう直前に、アカネに自分の部屋を使うように言った筈だった。しかしそうしなかったことは、今の状況を見れば明らかである。
アオにはアカネの行動がさっぱりわからなかった。自分にベッドを薦めたことも、そしてそこに自らも横になったことすらも。どう考えても合理的ではない。寝づらいし、体だって休まらない。逆の立場であれば、アオは間違いなく相手を部屋から追い出すだろう。
「ソラなら別だけど」
無意識にそんな言葉が口から漏れた。アオは誰かに聞かれまいとするように口を押さえて左右を見回す。部屋は静まりかえり、アカネの細い寝息だけが聞こえた。
管理区にいた頃、アオはソラと一緒に眠っていた。勿論互いにベッドは一つずつ与えられていたが、寝るときはどちらかのベッドに潜り込んでいた。額をくっつけるようにして、少し体を丸めて目を閉じると、とても安心出来た。
上層区に初めて来た日の夜、アオはソラが居ないことを改めて思い知った。管理区のものより大きくて立派なベッドの中で体を丸めて、膝に額をつけて眠った。一人で眠るのが怖かった。だから、ソラがいたことを無意識に忘れようとした。
ソラはどうだっただろうか。恐らくアオがいないという事実をそのまま受け入れたのだろう。聞いてはいないが、アオはそう確信していた。だからこそソラはアオにもう一度会おうとしていたのだ。失ってしまった片割れを忘れないために。
アオにはそれが無かった。だから再会してから今日までの短い間に、無闇に願望を肥大させてしまった。ソラに対してどうすれば良いのか、アオにはもう思い出せなかった。きっとそれが間違いで、だから再会は失敗した。何も求めなければ良かったのだ。あの頃、意味もなく二人で眠りについていたように、互いの存在を見ていれば良かった。
「アオ? 起きたの?」
アカネの声が下から響く。アオは少し考えてから肯定を返した。
「うん。……でも此処で寝てもいい?」
「いいよ」
欠伸まじりの承諾に、アオは安心して再び横になった。アカネの髪の先が右手に絡んで擦り抜ける。アオはそれを指で弄りながら、昔のことを思い出そうとしたが、何故だか今日の記憶ばかりが蘇ってきて、上手くいかなかった。
「明日、今日の続きを聞かせてね」
アカネの言葉に、アオは答えなかった。既に意識は闇の中に沈もうとしている。過去も現在も入り混じった記憶の奔流が、容赦ない眠りの世界へとアオを押し流した。荒々しくも優しい眠りに落ちながら、すぐ傍に誰かの体温があることを嬉しく思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます