憂鬱と後悔

「ねーえ、いつまでそうしてるのさぁ」


 ラスティが口を尖らせて言う。本人は抗議のつもりなのだろうが、拗ねているようにしか見えないのは声質のせいと思われた。

 外は暗く、街灯の明かりは無遠慮に店の入口を照らす。ソラは適当な椅子に腰を下ろし、しかめっ面のまま目の前にある山積みの衣服に値札を貼っていた。


「そんな顔でいられるとさぁ、お客さん入ってこないじゃないか」

「この時間に来る客なんて、どうせ碌に商品見ないだろ」

「そうかもしれないけど、一応仕事でやってるんだから笑顔の一つぐらい浮かべても罰は当たらないんじゃないの?」


 責めるようなラスティの言葉に、ソラはぎこちなく顔を上げるとわざとらしい笑みを浮かべた。砂色の髪は真上から降り注ぐ照明のせいで少し緑がかって見える。


「こうでいいか?」

「いいって思うなら、そうしておけばいいよ。あの同じ顔のお客さんと何があったか知らないけどさ、こっちまで迷惑振りまかないでくれる?」


 年下ながらの率直な言葉に、ソラは少々バツが悪くなって眉尻を下げた。


「そりゃまぁ……悪いとは思ってるけど」

「喧嘩でもしたの?」

「そういうんじゃねぇよ。なんとなーく、お互いに失望したというか」

「お互いに?」


 繰り返すような問いかけに、ソラは頷きかけて踏みとどまる。そして右手に持っていた赤い服を広げると、真上に放り投げた。裾や袖を翻し、赤い服は膝の上に落ちる。


「少なくとも向こうは俺にがっかりしたみたいだな」

「ソラは違うの?」

「違う……と思う」


 数日前に再会した時に、ソラは幼い頃のようにアオの手を取って自分の頬に寄せた。あの時から既に、もう八年前とは違うことがわかっていた。幼い頃に何度もやった、互いの肌を混ぜ込んで温度を共有するような感覚はもうそこには無かった。あるのはどこか寒々しい温度を持ったアオの手と、そんな手に驚いている自分の頬のみだった。


「管理区で……俺とアオはいつも一緒だった。ずっと一緒だって思ってた。多分、向こうも」


 互いの生きる世界が分かれてしまった時も、二人はどこかでそれを絵空事のように感じていた。ソラが現実を受け止めたのは、下層区に来て二日目の朝。アオがいない世界で起きた時である。きっとアオも同じに違いなかった。


「会いたかったから、スオウに頼んで色んなソフト横流ししてもらったり、管理区に何度も足を運んだりしたのにな。「会いたい」のが目的だったのに、会った途端に目的をすり替えた。それがいけなかったんだ」


 再び服を手に取ると、値札を服の襟に取り付けた。赤い服はそれだけでどこか高級になったように見える。


「会うだけで良かったのにな」

「そう上手くはいかないでしょ」


 ラスティは上着なのか下着なのか、よくわからないデザインの服のほころびを直しながら肩を竦める。


「僕だって友達と会ったら遊びたくなるし、お客さん来たら着飾ってみたくなるもん」

「そういうもんか」

「そういうもんだよ。ソラは皆より頭いいけどさ、こういうのって分析しちゃダメだと思うよ」

「何で?」

「つまんないじゃん」


 それは真理を突いた言葉のようにソラには思えた。ラスティは少し眠くなったのか大きな欠伸をする。


「喧嘩したなら仲直りすればいいだけだと思うんだよね。ソラが許せないっていうなら話は別だけど」

「だから、喧嘩じゃねぇよ」


 仲直りという言葉が適切かどうかもわからなかった。そもそもこの八年間で二人の関係は変質してしまった。誰よりも近かったゆえに、今や誰よりも遠い。ソラはそう感じていた。今日のことも、違う場所で違う価値観で育った二人が、意見の不一致を起こしただけのことだった。


「……でも」


 眉間に皺を寄せて難しい顔をしたまま、ソラは呟いた。


「また一緒に遊びたいな」


 純粋な気持ちからの吐露だった。ラスティはそれを聞いて面白そうに笑う。


「変な顔して何言ってんの?」

「うるせぇ、色々複雑なんだ」


 次の服を手に取って両手で広げる。先ほどの赤とは違う、白と茶色を混ぜ合わせたような、ハッキリしない色彩が視界を覆った。どこに値札を付けようか思案しているソラの脳裏に、ふと昼間の光景が蘇る。光の降り注ぐ空中庭園。アオが内緒話をするように囁いたあの時、一瞬ではあったが昔の感覚を取り戻した気がした。


 ミドリが持ってきたあのサーバを、アオは「ハレルヤと同じ構造」だと言った。だがあれは百年以上昔の代物だし、使われていた部品も大したことはなかった。この世界を管理しているハレルヤと構造が同じなんて、荒唐無稽な話に思える。恐らくアオもそう思い、だからこそミドリたちに聞かれないようにソラにだけ告げたのだろう。


 あのサーバが何かはわからないが、そのままスクラップにしてしまうのは良くないことのように思えた。実際にはそれが、アオが昔のように接してくれたことによる喜びを、ほんの少しだけ忘れずにいたいという願望に過ぎなくとも。

 明日もう一度ミドリに会って、サーバを譲ってくれないか頼んでみよう。ソラはそう考えると、口元に漸く自然な笑みを浮かべた。

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