政策の壁

 灰色の壁が海岸線に沿って並んでいた。その向こう側にあるはずの砂浜は背伸びをしても見ることが出来ない。「政策実施中」と書かれた金属製の看板は、地面に伝わる重機の振動で小刻みに音を立てていた。

 ソラはその光景を見て、暫く考えこんだ後に溜息をついた。


「残念。これじゃ砂浜に出るのは無理だな」

「……うん」


 アオは浮かない表情で呟いた。


「何の政策なんだろ。知ってるか?」

「……バスの停留所の移動と、清掃センターの配置だよ」

「ふーん。また無駄なもん作るんだな」


 壁の向こう側から聞こえる音に耳を澄ませながらソラは純粋な感想を口にする。


「衛生係数が悪かったんだよ。きっと皆が此処にゴミを捨てているんだと思って」

「人がよく集まってただけだよ。勿体ねぇな、いつも此処に来れば誰かと会えるし、海で遊べて便利だったのに」

「そんなの、知らなかったから」


 アオのその言葉に、ソラが振り返る。


「お前が考えた政策?」

「うん」


 ソラは数秒黙り込んで、もう一度壁の方を見た。そして小さく溜息をついて首を左右に振る。


「じゃあしょうがないな」

「……怒らないの?」


 てっきり文句を言われると思っていたアオは意外に思って聞き返した。しかしそれ以上にソラの方が驚いたような声を出す。


「文句言ってどうにかなるのかよ。上層区が決めたことに下層区が逆らえるわけないだろ」


 それは諦観を通り越して、もはやソラの意識に根付いてしまった価値観のようだった。アオは途端に喉奥に苦いものを感じる。しかし、何か言うよりも先にソラは歩き出した。


「あ……、待って」

「此処が封鎖されて停留所も移動したとなると、多分皆あそこにいるな」


 独り言のように呟いたソラは、灰色の壁に背を向けて、少し離れた場所に立っているビルを指さした。海岸線に沿って建てられた五階建てのガラスのビルは、太陽を浴びて燦燦と輝いている。しかしよく見れば鉄骨が剥き出しのまま放置されている箇所もあって、建築途中で打ち捨てられたものだということがわかった。


「あそこの屋上が公園になっててさ、そこで遊ぶ奴も多いんだ」

「あの建物は?」

「さぁ? 多分建築途中に政策が変わって廃棄されたんだろ。崩壊するまえにどうにかしないといけないと思うけど」


 何でもないことのようにソラは言った。ビルの前まで辿り着くと、余計にその建物の不完全さが目立った。恐らく一度も作動したことはないだろうセキュリティゲートに、半壊した扉。中に入れば、潮風によって腐食された鉄骨が床の上に転がっている。それらの隙間を埋めるようにゴミも廃棄されていて、腐敗臭がアオの鼻を突いた。


 恐らくエレベータが設置される筈だったと思しき場所は、何かにえぐり取られたかのように空虚な空間を晒している。そこには建物の外に設置される筈だった看板が横倒しになり、半分錆びた金属板に「気象観測所」と刻まれているのが辛うじて読み取れた。


「こういう場所って結構あるの?」

「いや、途中で放棄された場所ってのは珍しいな。作った後で結局一回も使わなかったってのはあるけど」

「倒壊したらどうするの?」

「上層区が何もしないなら、そのままだな。まぁ資材を勝手に持ち運んで違う建物作る奴らもいるし、そこまで大変なことにはならねぇけど」


 ソラは隅にある階段へ歩きながら言った。


「上層区ではそういうことねぇの?」

「こっちは下層区みたいに各種係数が変動するということはないし、面積も狭いから。居住エリアと政策エリアに分けられてて、建物の補修を偶に行う程度かな」

「自分達で?」

「僕達じゃなくて大人が行う。政策を行うのは二十歳前後までで、その後は能力によって仕事が変わるんだ」


 階段に二人の声が反響する。どこかの割れた窓から吹き込んでくる潮風が、そこに混じるかのように鳴っていた。


「うへぇ、上層区で更に能力の振り分けがあるのかよ。管理区にいたミスターとかって結構上の役職なんだっけ?」

「あれは特権階級だよ。ハレルヤに『管理者』と認められた子供だけが辿り着ける」

「カンリシャ?」

「ハレルヤを操作するための七つの権限があるんだ。殆どは一つも取れないで終わるか、一番下の権利者止まりだね」

「アオは?」

「僕は丁度真ん中かな。あと三回権限を付与されればミスターになれる」


 ソラが足を止めて振り返る。その顔は驚きと喜びに満ちていた。


「すげぇじゃん。優秀なんだな」

「まぁね」


 自慢気な様子を隠しもせずにアオは言った。こういう行動は上層区では認められていない。だが此処でなら許されるのではないかとアオは感じていた。まして、片割れの前であるならば。


「上層区の人間って皆頭がいいんだろ? 会話のレベル高そうだな」

「どうかな。でも殆どは価値観が同じだね。偶に違う人もいるけど、そういう場合は個別に教育を受ける」

「教育って?」

「特別カリキュラムって説明されたかな。価値観が同じじゃないと、政策や運用に支障をきたすんだってさ」


 細かいことはアオも知らないので、そんな言葉で誤魔化した。そのカリキュラムが適用された子供は何人か知っている。しかし特に親しいわけでもなければ話しかけようとも思わないので、内容はわからない。ただ知っていることは、適用された子供達が総じて同じような政策しか作り出さなくなることである。


「アオがミスターになったら管理区で会えることも増えるかな」

「ソラも管理区の仕事をすればいいのに。今日も見たよ、作業している人たち」

「でもなぁ」


 ソラは何か言いかけたが、上の方から誰かが階段を降りてくる音が聞こえて会話が中断された。四階と五階の間にある踊り場に、足音と共に一人の若い女が顔を覗かせる。

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