感想と食欲
「で、今のところの感想は?」
「下層区の感想という意味なら、思った以上に最悪だし、それを想定しなかった自分に怒りすら覚えてるよ」
「やだぁ、穏やかじゃないんだから」
「政策に従わない、いや、従うことの意義を見出していない。好き勝手に振舞って、何もかも台無しにしてる」
「上層区は違うのか」
「全然違うよ。少なくとも、こんな変な道や店を勝手に作ったりしない」
遠慮も何もない言葉にソラは面白そうに笑ったが、アオは不機嫌な表情のままだった。
「上層区では全てのことに決まりごとがある。それを守ることによって、下層区をより良く変えるための政策を作り出そうとしているんだ。なのに、此処の人たちは全く協力するつもりがない」
「上層区には秩序が、下層区には自由があるってことだよ」
「自由は結構だと思うよ。それが秩序を破らない限りはね」
「なるほど、そう来たか。でも下層区の人間はそもそも上層区とは出来が違うんだ。そのあたりも計算してこそ、正しい政策とやらが出来るんじゃねぇの? それが嫌なら下層区の人間を全部殺せばいいだけだ」
「そういう視野狭窄な意見は嫌いだよ」
アオは口を尖らせて言った。
「それだとソラが死んじゃうじゃないか」
「八年も忘れてたくせに」
「忘れてないよ。忘れたわけじゃないけど……」
言葉が途切れた。アオは八年の空白を今更に自覚したようだった。
かといってソラは何も、片割れを虐めたいわけではなかった。上層区の人間が下層区の人間を気に掛けることなどない。それはこの八年で身に染みてわかっている。
第一、ソラがアオに逢いたかったのは、ただこの世で唯一の「家族」に会いたかったからであって、管理区で一緒だった他の子供たちのことなど、もう半分以上忘れてしまっていた。
「はい、塩チキンラーメンですぅ」
店員が少し間延びした声と共に大きな器を二人の前に置いた。鶏だしのスープから湯気が昇り、瞬く間にアオの掛けている眼鏡を曇らせる。慌ててアオは眼鏡を外して、テーブルの隅にそれを置いた。
「これ食べるの?」
「熱いかもしれないから気を付けろよ。はい、フォーク」
フォークを手にしたアオは、暫くその形状を見つめて考え込んでいたが、やがてその先端をスープの中に入れて麺を絡めとった。
「上層区でもフォーク使うの?」
「いや、状況と形状で判断しただけだよ。間違ってたら教えて」
「今のところ問題なし」
ソラは同じようにフォークをスープの中に入れる。いつもは箸を使うが、アオに気を使ってのことだった。麺を一口分絡めとり、スープが飛び散らないように気を付けながら口の中に運ぶと、アオも同じようにした。
塩味のスープと柔らかな麺の味が口の中にゆっくりと広がる。舌を包み込むような絶妙な温度がソラがこのメニューを気に入っている理由の一つでもあった。麺を噛んで飲み込んだ後、味の感想を聞こうとしてアオの方を見る。しかし、わざわざ尋ねる必要はなさそうだった。先ほどまで仏頂面をしていたアオは、子供っぽい表情になって一心に麺を啜っている。手つきはまだ覚束ないが、殆ど零さずに済んでいた。
「レモン入れる?」
テーブルの上に置いてある容器を手にして尋ねると、アオは二回頷いて器を前に差し出した。レモン果汁を注いだラーメンを、アオは再び夢中になって食べ始める。その面白いほどの素直な反応に、ソラは思わず自分が食べるのを忘れて見入ってしまった。
十歳で初めて下層区に来た時、ソラが食べたものも同じラーメンだった。連れて来たのが誰だったかはもうわからない。きっと数年先に管理区を出て来た子供だったのだろう。初めて食べる謎の食べ物は、十年の常識を覆すには十分で、下層区というものがどういう場所なのか拙い思考回路でも理解することが出来た。
「美味い?」
「……それが具体的にどういうことかはわからないけど、また食べたいとは思う」
「美味いってことだな。固形食糧を誰も食わない理由がわかっただろ」
アオはそれには答えずに、不器用に麺を飲み込んだ。
周りの客たちは二人のことを気にも留めない。ただ自分たちの食事を済ませて、満足な顔をしては席を立っていく。普段ならソラも同じぐらいの滞在時間だが、相手の食事がなかなか終わらないので、それに付き合う形になっていた。
「上層区では飯ってどうするんだ?」
「……管理区と同じだよ。同じ時間に食堂に集まって食事をする。管理区みたいに私語し放題ではないけどね」
「友達とかいるのか?」
「仲がいいのは何人か。偶に休暇でゲームをすることはある」
「ゲームって?」
空になった器をテーブルの隅に寄せながらソラは尋ねた。頭の片隅で、スオウにボードゲームを教える約束だったこともついでに思い出す。
「思考ゲームと僕たちは呼んでる。仮想空間に「国」を配置して、それに属する「国民」「軍隊」「政治家」を決められたパラメータで設定するんだ。相手の国を占拠できたら勝ち。端末上でやるから、部屋から出なくていいんだよね」
「上層区のゲームってのは上品だな。でもちょっと気になる」
そう言ってなんとなく笑ったソラに、アオが同調して笑みを作る。それはアオが初めて見せた笑顔だった。
「良かった。ずっとつまんなそうな顔してるから、どうしようかと思ってた」
素直に気持ちを吐露すると、アオは最後の一口を中途半端にフォークの上に残したまま、同じ形の目を瞬かせた。
「別にそんなんじゃないよ。今日のことは楽しみにしていたし。でも下層区の現実があまりに僕の想像からかけ離れてたから……」
「がっかりした?」
「うーん……難しいな。怒りや嘆きに近い感情かもしれない」
アオは少し視線を外して口ごもる。それをソラは小さい頃に何度も見たことがあった。大人しいのに我が強いアオは、いつも何かを考えこんでは、その中の「最適」を見つけようとする癖があった。そういう時は必ず、この表情をしていた。
「飯食ったら、どこ行きたい?」
「どこでもいいよ」
「じゃあ俺の友達のところ行くか。多分、今の時間帯だと海にいると思うから」
海、とアオが小さく呟いて顔を曇らせる。だがソラにはその理由がわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます