潮風

 ガンマ地区には相変わらず潮風のにおいが強くにじんでいた。今日はそれに日差しの強さも加わり、駅から出た二人はほぼ同時に溜息を吐いてしまったほどだった。


「暑い」

「上層区も気温の変化ってあるのか?」

「同じ島なんだから当然あるよ。でも基本的には皆、アーシャム……庇付き通路を使うし、そこには温度調整出来る装置がついてるからね」

「いいな、それ。下層区にも反映してくれよ」


 冗談交じりに言いながら、ソラは目的地に向かって歩き出す。


「そこ、遠いの?」

「いや、すぐ近く」


 白く照らされた道路の上を、バスが一台走っていく。中にいる乗客は涼しい表情で、車内の空調が正常に動作していることを示していた。ガンマエリアのバスとしては珍しい。


「何味にするか決めたか?」

「決めるも何も、ずーっと「塩チキンラーメンが旨い」しか言ってなかったじゃないか」

「だって旨いんだもん。あれを半分食べてから」

「レモンを入れると最高、でしょ。もうそれは聞いたよ」


 大通りから一本脇に逸れた小さな道に入る。建物同士の隙間で構成された道は、白一色で塗られていた。空き缶などのゴミがいくつか散らばっているが、下層区では上等な部類に入る。しかし、後ろを付いてくるアオはそう思わなかったようだった。


「汚い」

「結構綺麗なほうだけどな」

「冗談でしょ。清潔とかそういう概念ないわけ? 上層区にはゴミなんて一つも落ちてない。皆、正しく生活してるからね」


 ソラは、アオにあることを教えようか否か悩んだ。だが、今から食事をするのに、わざわざ波風を立てることもないと思い喉奥に飲み込む。足元に転がっていたソースプディングの缶を蹴り飛ばすと、中からネズミが飛び出して何処かに逃げて行った。


「因みに今のネズミな」

「初めて見たよ……」


 長くもない道を抜けると、拓けた場所に出た。木と鉄板で出来た簡素な建物が、しかし規則正しく円形状に並んでいる。いずれも独特の色とデザインで構成された看板を掲げていて、良い匂いが溢れかえっていた。


「此処は色んな飯屋が集まってるんだ。まぁどのエリアにも似たようなものはあるんだけど、ここが一番人気かもな」

「……どれがラーメン?」


 アオは看板を見回しながら疑問符を上げる。牛丼、パスタ、サンドウィッチ、その他諸々の看板が並ぶ中、どれが、あるいは何が食べ物の絵なのかわからない、とその表情は訴えていた。


「あれだよ、一番奥。あ、今日は空いてるな」


 ソラはその場で少し跳ねて、奥にある店舗の様子を確認した。時間帯などによっては長蛇の列が出来ることもある人気店だが、今日は入口には誰も待っておらず、中には人の気配がした。

 人ごみを掻き分けて、店の中へと一歩踏み込んだソラは、中にいた店員に対して「二人」と言いながら同じ数だけ指を立てた。少し遅れて店に到着したアオを促して、店の奥にあるテーブルへと連れて行く。


「これ、何の匂い?」


 独特の匂いにアオが戸惑った声を出す。警戒しているのか、店員が置いて行った水のグラスにも手を付けようとしない。脂のついたグラスの表面で、水滴が道に迷うかのように左右に揺れながら落ちていく。


「ニワトリからスープ取ってる匂い」

「こんな匂いするの?」

「いい匂いだろ。で、何食べる?」


 安定が悪いテーブルの上に置いてあるメニュー表を手に取り、ソラは相手に尋ねた。店の匂いに慣れないのか、アオは鼻を両手で覆うようにしながら眉を寄せる。


「何でもいいよ。この匂いじゃ結果も察せる」

「すみまっせーん、塩チキン二つー」


 勝手に注文をしてしまうと、ソラはメニューをテーブルの脇へ押しやった。

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